2020年03月07日
「日本の迎賓館」として明治23年に開業し、130年の歴史と伝統を誇る帝国ホテル。昨年4月にその帝国ホテルの14代目料理長に38歳の若さで就任したのが杉本雄さんです。杉本さんは、一度は務めていた帝国ホテルを退職し、単身フランスに渡って研鑽を重ねるという異色の経歴の持ち主。杉本さんにフランス修業時代の想い出や師の教えを語っていただきました。
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本場のフランスで学びたい
(杉本)
帝国ホテルの「レ セゾン」では、幅広い料理を任せていただき、本当に充実した毎日でした。ところが、その間に帝国ホテルで二度ほど本場フランスからシェフを招聘するフェアが開催されました。そこでフランスから来日した一流シェフの仕事に接して、ものすごく衝撃を受けたんです。カリスマ性、芸術性、繊細さ、美しさ、味もスピードもすべてが別格で、まさに金槌で頭を叩かれた感覚でした。
(――本場のシェフに圧倒された。)
(杉本)
ええ。それで「これは本物を見ないとだめだ」という思いが込み上げてきて、入社から4年半が経った頃に、帝国ホテルを退社して単身フランスに渡ることを決めたんです。フランス語も話せない、お金もない、きちんとした職に就ける保証も何もないまま渡仏したので、周りも「なぜこんなに恵まれた環境を捨て、何もないところに行くんだ」と思ったでしょうね。それでも、私には「どうしてもフランスに行きたい」という思いが抑えられませんでした。
いま「すべてを捨てて新しい世界に行けるか」と言われれば、なかなか難しいでしょう。やはり若かったからこそ、思い切った決断ができたのだろうと思います。
(――とはいえ、たった一人、何もない状態でフランスに渡り、苦労は多かったのではないですか。)
(杉本)
渡仏してすぐには希望するホテルやレストランの厨房に入れず、食堂などでウエイターをやったり、お菓子をつくったりする日々が続きました。それでも、接客の仕事では語学やワインの知識を身につけることができ、お菓子づくりも料理人として幅を広げることに繋がり、あらゆる経験がいまの私の料理、料理長としての仕事に生きているんです。
(―― 一見無駄に見えたことがいまの仕事に繋がっていると。)
(杉本)
また、下積みを通じて、フランス料理を様々な角度から見ることができたのも貴重な学びでした。特にフランス料理は、スープを長時間煮込む、ソースをつくる、お皿に盛り付ける、サービスをするというように、いろんな人が携わって初めてお客様に提供できるものだと思うんですよ。自分一人でできるものではなくて、お客様や食材の生産者の方も含め、人にお願いし、人に伝えて、人に理解してもらい、皆で創り上げていく総合的なものがフランス料理。
ですから、フランス料理は「人」なんですね。その「人」に対するリスペクトを忘れてしまっては、決してよい仕事はできません。
クリエイティブのモーターを回し続ける
(――その後、フランスではどのように歩んでいかれたのですか。)
(杉本)
本物のフランス料理が学びたい、フランス人と同じ条件で仕事がしたいとの思いで渡仏しましたから、なるべく日本人がいない二つ星、三つ星のホテルやレストランを探しました。日本人が多いと、どうしても日本人同士のコミュニティができてしまうので。
そして、いろんな情報を集める中で、ある時、「ル・ムーリス」という歴史と伝統あるパリの名門ホテルを知ったんです。当時のメインダイニングは二つ星だったのですが、とにかく、ここで働きたいという思いを記した手紙に自分の料理の写真を同封し、「ル・ムーリス」に送り続けました。
すると、それが担当者の目に留まり、入社することができたんです。渡仏から2年経った2006年、26歳の時でした。
(――「ル・ムーリス」では、どのようなことを学ばれましたか。)
(杉本)
「ル・ムーリス」で一緒に仕事をしたフランス人のスター・シェフ、ヤニック・アレノ氏には、料理はもちろんのこと、調理場での采配、立ち居振る舞いに至るまで大きな影響を受けました。レストランにいらっしゃった地位のあるお客様への態度も、とてもスマートで品があり、「フランス料理のシェフとはこうあるべきだ」ということを大いに教えられました。
(――いまも印象に残るアレノ氏の教えや言葉はありますか。)
(杉本)
私が傍で働いていた時、アレノ氏は、「常に周りから注目される新しい料理を創り、発信していかなければいけない」とよく言っていました。で、発信すれば当然それは真似されます。そうしたらまた新しいものを創り出していけばいいんだと。そのように、アレノ氏はクリエイティブのモーターを回し続けるというか、常にいろんなことにアンテナを張り、時代の流れも含めていろんなことを繊細にキャッチし、常に新しいものを料理に表現していくことを考え、実践していたシェフでしたね。
おいしい料理をつくる技術とクリエイターとしての資質。その両方を兼ね備える。これはいまも私自身、意識していることです。
また、フランスではシェフ、料理長といえば、もうそのホテルの顔なんです。「ホテル=料理」というくらいに、料理がホテルのイメージをリードしているんです。
ですから、自分も帝国ホテルの顔となれる料理長になりたいなと思っています。
(本記事は『致知』2020年3月号「意志あるところ道はひらく」から一部抜粋・編集したものです。あなたの人生や経営、仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら)
◇杉本雄(すぎもと・ゆう)
昭和55年千葉県生まれ。学校法人後藤学園武蔵野調理師専門学校卒業後、平成11年に帝国ホテル入社。16年同ホテルを退職し、単身渡仏。フランスの名門ホテル「ル・ムーリス」のメインダイニングで総料理長代理、レストラン「レスぺランス」で総料理長などを経て、29年帝国ホテルに再入社。31年より現職。