渋沢栄一を祖父に持つエッセイスト・鮫島純子さんが抱き続ける「感謝」の念

生涯に約500の企業育成に携わった他、社会公共事業や民間外交に尽力してきた渋沢栄一。今年は生誕180年の節目の年で、その生き方や教えは今なお多くの経営者らに受け継がれています。孫でエッセイストの鮫島純子さん(97歳)に、祖父との思い出やご自身の半生について振り返っていただきました。

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榮太樓飴を口に入れてくれた祖父

私は祖父の家近くで生まれました。祖父終焉の自宅はいま飛鳥山公園(東京都北区)の一部になっていますが、幼い頃は両親とともに行き、従兄たちと合流して遊ぶのが楽しみでした。祖父は70代で、営利事業から既に手を引いていましたが、それでも国際親善や教育活動、困窮者の相談、手伝いなど忙しく、自宅には訪問者が出入りしていました。

その頃の祖父はいつも和服姿で、大きな籐椅子に腰掛け、孫たちの遊んでいる姿をただ黙ってニコニコと見ていました。「ごきげんよう」と挨拶をすると、「よう来られたな」と言いながら孫たちの頭を一人ずつ撫でて、食籠(じきろう)に入った榮太樓飴を一個ずつ口に入れてくれます。

もちろん、私たちは祖父が日本の近代化に貢献した経済人であることなど知りませんし、何か教えを請いたいという思いもありません。私が祖父の生き方を教えられたのは、中高生になってから父を通してであったような気がします。

父は祖父が手掛けなかった製鉄製鋼を官営から民営に移し、懸命に働いた人ですが、祖父を「大人」(たいじん)と呼んで尊敬していました。自宅の居間には、祖父の直筆による「人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくが如し。いそぐべからず不自由を常とおもえば不足なし云々」という徳川家康公の遺訓を掲げ、それを常に服膺(ふくよう)し、私たちへの戒めにも用いていました。

休日になると、永年忠勤の運転手さんの運転で近郊の緑地あちこちに私たち家族を連れていってくれました。私は家族一緒のただ楽しい一日でしたが、関東大震災の後、東京が過密化する中で、各所に広い緑地を備えて非常時に住民の安全を確保しなくてはいけないと主張していた父にとっては、実はこれも仕事の調査だったのだと思います。

車中で新渡戸稲造にかけられ言葉

仕事を兼ねた名古屋への家族旅行の折、こんなことがありました。当時の二等車は空いていて、父は席につくといつもすぐに仕事を始めました。私たち子供は空いている席に散って一人旅行気分を楽しんだものでした。私は背中合わせに座って読書中の白髪の老紳士とふと目が合い、老紳士はニッコリ微笑まれました。

「お名前は?」「お歳はいくつですか」「どこまでゆかれますか」と書いたメモが渡され、私はその度に「純子でございます」「名古屋まで」などたどたどしい文字で返事をしました。

しばらくすると、ご自分の席に私を招かれて「ご家族と楽しい旅ができるのは何と幸せなことでしょう。それにはたくさんの方のご恩を受けてのことですね」と話しかけられました。そして、私の小さい指を一本ずつ折り曲げながら、私がどれだけ多くのご恩を受けて生きているのかを教えてくださいました。

「お父様、お母様、留守の間に家を守ってくれる人、旅の支度を調えてくれた人、この列車の運転士さん……。それからお天道様や空気もなくてはいけませんね。それはどなたがくださったのでしょう。私たちは神様の恵みの中で生かされているのです。どなたも自分一人の力だけでは生きていけないのですよ」 

名古屋に着く頃、私たちを呼びにきた父が老紳士に気づき、「おや、新渡戸(にとべ)先生ではいらっしゃいませんか」と驚いた表情で丁寧にご挨拶しました。この老紳士こそ国際平和に貢献され『武士道』を書かれた教育者・新渡戸稲造博士であり、博士は父の一高時代の恩師だったのです。

新渡戸博士は敬虔なクリスチャンのお一人ですが、この時の教えは私が大いなるものに生かされていることに気づいた原点のように思います。

私が明るく健康でいられる理由

昭和6(1931)年、祖父・渋沢栄一が93歳で他界の折、まだ10歳でした私は「人間はこんなにも長生きできるものなのか」と驚いた記憶がありますが、その祖父の年齢をも超えてしまいました(大正11年=1922年生まれ)。

結婚後、病気らしい病気をしたことのなかった私ですが、最近、心筋梗塞で入院生活を経験しました。「ああ、ちょうどいい死に時だな」と思いましたが、手術が成功し、いままたこうして元気に生かしていただいています。「もう少し世の中のお役に立つように」「病気で苦しんでいる人の心に寄り添える思いやりを!」という神様のメッセージかなと思います。

いつも明るく健康な心でいられるのは、感謝の心を保つことを自分に言い聞かせ、習慣づけてきたからだと思います。先祖の悟った神霊の守護を信じ、私たち一人残らず与えられた天命(世界平和の実現)が完(まっと)うできるよう守り導いてくださっていることを自覚できれば、これほどの安心感はありませんし、最近、私はそのことを一人でも多くの方にお伝えしたい思いでいっぱいです。

起きるすべての出来事は神様のお計らいで、自分に必要な問題と素直に受け入れて感謝するうちに、辛く感じられる運命が消えていく……。「世界人類が平和になるように」との神の意志と自分の思いを同じ周波にすることで、いつの間にか明るい気持ちで乗り越えられている自分に気がつきます。

(本記事は『致知』2018年11月号の特集「自己を丹誠する」より一部抜粋し編集したものです。あなたの人生や経営、仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

◇鮫島純子(さめじま・すみこ)
大正11年東京生まれ。昭和17年結婚。祖父は渋沢栄一、父は栄一の四男で実業家の渋沢正雄。著書に『なにがあっても、ありがとう』(あさ出版)『毎日が、いきいき、すこやか』(小学館)『祖父・渋沢栄一に学んだこと』(文藝春秋)など。

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