マラソンの英雄“裸足のアベベ”に靴を履かせた男——鬼塚喜八郎の突撃精神

東京オリンピック・パラリンピックの開幕を控え、厚底のランニングシューズが好タイムが出ると話題になっています。同時にメーカー間の開発競争も激しくなっていますが、この「シューズ戦争」は、半世紀以上前から始まっていました。当時、裸足で走っていた世界最高のランナー、アベベ・ビキラ選手(エチオピア)にアタックしたのは、アシクッス創業者の鬼塚喜八郎さん。松下幸之助の側近のひとり、木野親之さんとの対談で当時のエピソードを語っています。

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ローマ五輪でアベベ選手に注目

(木野)
1956年のメルボルンオリンピックのときに初めてアシックス(当時はオニツカタイガー)のシューズが採用されて、以来これまでにアシックスを使用した選手が獲得した金メダルは、160個を超えているんだそうですね。

(鬼塚)
ええ、大変光栄なことだと思います。オリンピックと関係ができたのは、メルボルンからですが、このときは日本選手だけでした。東京オリンピックの開催(1964年)が決まって、世界の選手にアタックできるチャンスが生まれましたから、いろいろ調べようとローマオリンピック(1960年)に行ったんです。

ローマでは、エチオピアのアベベ選手が男子マラソンで優勝しましたね。私はゴール地点で見ていたんですが、黒い弾丸のような選手が走ってくる。彼はまったく無名でしたから、どこの選手やろうと。そう思いながら見ていると、なんと裸足で走っているじゃないですか。これには二度びっくりしましてね。

オリンピックの花といわれるマラソンで、裸足で走って優勝するとなると、世界中のマラソンランナーが裸足で走るようになって、靴屋は上がったりやと思いました(笑)。

(木野)
それでアベベに御社のマラソンシューズを履かそうと閃(ひらめ)いたんですか。

(鬼塚)
そうです。どうしてもこの人にうちのマラソンシューズを履いてもらわんとあかんと。ローマでは彼に会うことができませんでしたが、幸いなことに、明くる昭和36(1961)年に大阪の毎日マラソンがアベベを招待したんです。

大阪のホテルで直接アタック

(鬼塚)
(アベベが)泊っているホテルに行って、あんた、裸足で走ってるが、日本の道路はまだ十分ではないから、いいマラソンシューズを提供するから、マラソンシューズを履いたらどうやと。

しかし、「私は裸足でいいです」といって、なかなか「うん」といってくれない。じゃ一遍足を見せてくれというと、どうぞ見てくれと足を出した。イヌやネコの足の裏には脂肪のパットがあるでしょう。それと同じように、足の裏にかなり厚い脂肪層があって、これやったら靴は要らんなと思いましたが……。

どうにかして履かせんといかんと思ったものですから、あんたはまだ知らんやろうけど、日本の道路は舗装はしてあるけど、ガラスの破片があって、もしそれを踏みつけて足を切ったら、黄金の足に傷をつけることになる。次に走れんようになるでと(笑)。

そうしたら心配しだして、それじゃ監督を呼んで聞いてみようということになった。同じことを監督にいったら、しばらく考えておりましたが、そうか、万一足に故障が起こってはいかんから、いい靴をつくってやってくださるかと。

そして、「アベベ、ミスター鬼塚がいうように靴を履きなさい」ということになったんです。

(注=アベベは白い「オニツカタイガー」を履いて毎日マラソンに出場し、2時間29分27秒のタイムで圧勝した。しかし、連覇を果たした東京オリンピックで履いたのは「プーマ」であった。)

松下幸之助も履いた「ペダラ」

(木野)
それでアベベに靴を履かせた男として、世界中に鬼塚さんの名が知れわたった。靴というと、鬼塚さんが松下幸之助を訪ねてくださったとき、「ペダラ」というウォーキングシューズをプレゼントしてくださいました。幸之助はすぐその靴を履いて、「これは軽い、これはいい」といって喜んで、部屋の中を子どものように歩き回っていたのを憶(おぼ)えています。

それからこの靴がとても気に入って、公式の場でもどこへでも履いていくものですから、周りのものが、気が気でなかったのです。

(鬼塚)
ええ、昭和58(1983)年でした。毎日新聞が私に「毎日経済人賞」をくれるということになった、松下さんと対談させてもらったときに差し上げた。なぜそういう賞をもらったかというと、当時は構造不況のあとで、日本の経済は一体どうやっていったらいいだろうかという不安な時代でした。

そういうときに、オニツカ、ジィティオ、ジェレンクの関西のスポーツ中堅企業3社が合併して、世界戦略に乗り出すということが評価されたということでした。当時は西ドイツのアディダスとかアメリカのコンバースとか、日本にはミズノさんという大メーカーがありました。

そういうメーカーが(シューズ以外の)いろいろな用品をトータル化してせめてきたら、単品メーカーは非常に厳しい。対抗するためには、うちもトータル化をしないといかんが、そのためには服装の工場もつくらんといかん、他の用品の工場もつくらんといかん。これは大変なことやと気がつきました。

それで総合化への第一弾として、友人のスポーツウエアメーカー、ゴールドウインと合併でウェア技術開発会社「ゴールドタイガー」を設立。生産はゴールドウインで、販売はオニツカとして徹底した専門化によるトータル化を実施していきました。

(本記事は『致知』2000年10月号の対談「経営の究極は人間学にあり」より一部抜粋したものです。あなたの人生や経営、仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

◇鬼塚喜八郎(おにつか・きはちろう)
大正7年鳥取県生まれ。昭和11年旧制鳥取中学校卒業。24年鬼塚商会を設立、社長に就任。52年3社が合併してアシクッスを設立。その後、取締役会長、世界スポーツ用品工業連盟名誉会長、スポーツ産業団体連合会会長などに就く。著書に『アシックス鬼塚喜八郎の「経営指南」』(致知出版社)などがある。平成19年9月死去。

◇木野親之(きの・ちかゆき)
昭和元年大阪府生まれ。大阪大学在学中に松下幸之助氏の知遇を得て26年松下電器産業(現パナソニック)に入社。松下電送社長、会長を歴任。59年郵政省電気通信審議会委員に就任。その後、NTTデータ取締役相談役。松下電器産業終身客員。著書に『松下幸之助叱られ問答』(致知出版社)などがある。

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