「スカーレット」実在モデル 神山清子が歩んだ苦難の道

NHK朝の連続ドラマ「スカーレット」。戸田恵梨香さん演じるヒロイン・川原喜美子さんのモデルとされているのが女性陶芸家の草分け的存在の神山清子さん。苦難の連続を辿る陶芸の道に、どのような縁で進まれたのか。かつて月刊『致知』に詳しく明かしています。

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27歳の時に陶芸家として本格始動

焼き物で知られる滋賀県甲賀市信楽町。三重県との境に位置する山深いこの町に私が移り住んだのは昭和22年、小学校5年生の時でした。父が炭鉱作業員だった関係で私たち一家は九州の産炭地を転々とした後、戦後に信楽に落ち着いたのです。

当時の信楽といえば、狸の置き物や火鉢などを焼く窯が町中にあり、あちこちで煙がたなびいていました。私もそういうのどかな山村で少女期を過ごしたのです。その頃は絵に夢中でした。画家になる夢を抱いていましたが、何しろ貧しい家庭でしたので、中学校を出てしばらくすると、陶器会社に就職し絵付けの仕事に携わるようになりました。

会社勤めの傍ら複数の窯を掛け持ちで絵付けの仕事をしたのもこの頃です。自分でいうのもおこがましいのですが、私の絵は「結構うまい」と評判で、いろいろなところから仕事が舞い込むようになりました。やがて師に就いて少しずつ作陶の技術も覚え、作品を発表するようになりました。

本格的に陶芸の道に入ったのは27歳の時。会社の同僚と結婚して一男一女を授かって間もなくのことです。ある本でイギリスの彫刻家バーバラ・ヘップワースの前衛的で抽象的な石彫に接し、その作風を陶芸に生かすことを思いつきました。

釉薬を使用しない独創の道を探求

陶芸といえば実用的な壺や食器と思われていた当時、私の作品は傍目には風変わりで意表をつくものだったに違いありません。しかし、幸運にも地元の市展や県展、新聞社が主催する朝日陶芸展などに次々に入選。次第に社会から注目を集めるようになりました。

一方、そういう私に対する地元の目はとても冷ややかでした。女性が窯を持ってはいけないと言われた時代でしたから、やっかみもあったのでしょう。「あんたは生意気や」「男の俺たちでもできないのに、女のあんたにできるはずがない」と随分疎んじられました。

作品展で入賞して認めてもらえるかと思ったら「まぐれや。こんなおかしげな作品は長続きしない」と逆に罵倒されるような状態が続いたのです。地域では仲間はずれのような立場でしたが、自分なりに小さな窯を持ち、電気窯で清子独自の食器を作り、徐々にですが陶芸家としての地歩を固めていきました。

本物の信楽焼を再現したいと考えた私は34歳の時、夫とともに自宅の庭に「寸越窯」と名付けた穴窯をこしらえました。その頃の信楽焼は焼き物に釉薬をかけてつやを出すやり方がほとんどで、電気窯、ガス窯、灯油窯が一般的でしたから、昔の穴窯の再現を考える者など一人もいませんでした。周囲の嘲笑の中、釉薬を使用しない信楽自然釉の美を探究する長旅はここから始まったのです。

女手一つの「苦難の道」を覚悟

私に人生の大きな転機が訪れたのは自然釉の探究を始めて3年が経過した時でした。会社員の夫とは次第に考えが合わなくなり、夫にも好きな女性ができて私は生きる気力を失い、自殺を考えるほど悩みました。

そういう私に、中学生になった長男賢一は言いました。「僕は、母さんと姉ちゃんとで頑張る。学校に行けなかったらアルバイトもするから、父さんいなくてもいい」。

この一言が私を立ち直らせました。女手一つで2人の子どもたち、年老いた母、それに寸越窯を守っていくことを決意したのです。離婚を決めた前の晩、長女の久美子と賢一と3人で並んで寝て「私についてきて」と子どもたちに頼みました。これが私の決意表明でした。それまでも陶芸で生きてきた私ですが、この道に懸けることをこの時、自分自身に誓ったのです。

私には、一家がこれから辿る苦難の道のりが予想できていました。まずは私一人の力で生活の糧を得られるかという問題でした。食器を量産できる電気窯でいくらかの収入は得られました。しかしその頃、私は信楽自然釉の探究にすべてを懸けていました。

いい作品を作ろうと思えば、よい土や薪も必要です。収入の多くはこれらの開発、研究に消えていくのは明らかでした。それに加え、わが家にはさらに深刻な事情もありました。穴窯を作った時などにできた銀行や国民金融公庫からの多額の借金の返済が私の肩にのしかかっていたのです。

このような状況を覚悟で私は陶芸家として自立。たった一人の戦いが始まりました。

(本記事は月刊『致知』2005年10月号の特集「幸福論」の記事から一部抜粋・編集したものです。★吉野彰さんの貴重なインタビュー掲載号が購読特典に!「祝・ノーベル化学賞受賞 一流発明家に学ぶ成功の秘訣キャンペーン」の詳細はこちら

◇神山清子(こうやま・きよこ)
昭和11年長崎県生まれ。戦後信楽に移り住む。10代の頃陶器会社に勤務する傍ら、絵付けや作陶を学ぶ。27歳で独立し本格的な作家生活に入る。34歳で信楽自然釉の研究を始め5年かかって開発に成功。その作品は高い評価を受け、全国各地で個展を開催。長男の白血病の発病をきっかけに公的骨髄バンクの設立に尽力。その波瀾万丈の半生は小説『母さん 子守歌うたって』、映画『火火』のモデルにもなっている。

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