夢を実現するために大事なこと——片岡鶴太郎×鈴木秀子

バラエティー番組への出演、俳優、画家など、様々な分野で才能を発揮している片岡鶴太郎さん。その人生と活動の原点、いつまでも夢に向かって挑戦し続けることの大切さを文学博士の鈴木秀子さんと語り合っていただきました。

やる気が人生をひらく

(鈴木) 

以前、鶴太郎さんとお会いした時、画家になるきっかけとなった一輪の椿の話を聞かせていただいたじゃありませんか。あの話は感動的で、折に触れて思い出すんです。きょうはぜひ、鶴太郎さんご自身がどういう夢を持って歩んでこられたかをお聞かせいただけませんか。

(片岡) 

僕は東京の下町・日暮里の生まれでしてね。両親は大変寄席が好きで、子供の頃から父親によく連れていかれていました。でも、子供ですから、爺さんが喋る落語なんか分からないんですよ。それよりも合間にある曲芸とか漫才とか物まねに惹かれていました。

ふと物まねなら自分にもできるんじゃないかと思って、学校では先生の癖を盗んで物まねをやったりしていました。ですから「芸人になりたい」と思ったのは、物心ついてすぐのことです。この時から僕の夢や目標は明確でしたね。

(鈴木) 

そうでしたか。

(片岡) 

家でも見様見まねで落語のまねなんかやっていたんですが、小学5年の時に「トクホンしろうと寄席」という番組があって、親に内緒で出場応募ハガキを送ったんです。オーディションに受かってテレビ出演したのが芸能界入りを決意した1つのきっかけです。

まあ、でもそんなふうですから小中と成績はいつもビリケツでした。母親も僕に勉強しろとは一言も言いませんしね。中3の一学期が終わる頃、いよいよ受験ということで担任の先生が「おまえ、高校はどうするんだ。都立なんか希望しても無理だぞ」と。で家に帰って相談したら「私立は駄目だ。うちは貧乏なんだから」とはっきり言われました。

僕も芸人になるにしても中卒はまずいだろうという思いがあって、中3の夏休みから本気で勉強を始めたんです。

(鈴木) 

順調に進みました?

(片岡)

ところが、中3の教科書を見ても全然理解できないんですね。それどころか、中2の参考書も、中1の参考書も分からない。小6の問題集を見たら何となく分かる。それで小6から中3までの問題集を買ってきて、小6の最初から順番に勉強しました。それで夏休みが終わる頃、ようやく中3まで追いついたんです。

夏休みが終わって新学期になったら抜き打ちの学力試験がありました。この時僕は国数英90点満点中85点を取っているんです。

それまでずっとビリケツだったのが、いきなり学年で10位以内ですよ。

(鈴木) 

すごいじゃありませんか。先生もさぞ驚かれたことでしょうね。誰に言われたわけでもなく、ご自身から進んで、しかも途中で挫けないで頑張り抜かれてたことに、とても感心しました。

(片岡) 

後になって母親に「何で勉強しろと言ってくれなかったんだ」と聞いたことがありました。そうしたら「私が何かを言ったところで、本人がやる気にならなかったら何にもならないからね」と一言言いました。この言葉にはすっかり参ってしまったんですが、この時の頑張りは僕の原点になっています。

 

冬空に凜として咲く椿に教わる

(鈴木) 

その頑張りを芸能界に入って発揮されるのですね。

(片岡) 

僕の場合、子供の頃に好きな道が見つかったので、高校を出ると迷わず師匠に弟子入りして芸人になりました。お笑いの世界ではある程度、名前が知られるようになりましたが、30歳くらいになると、子供の頃から好きだったボクシングをどうしてもやっておきたいという思いが湧いてきましてね。

プロライセンスを取れるのが33歳までだったものですから、32歳の時、この1年間で肉体と精神をそぎ落とし、もう一度、人生を立て直そうと決意したんです。

それで、ちょうどボクサーとしてのライセンスを取ったあたりから、役者のほうに少しずつ転向を図るようになりました。というのも、物まねだけだと限界があるし、せっかく何かに扮するのなら人間の不条理だとか、喜怒哀楽だとか、そういうものが表現できる役者になりたいと考えたんです。

(鈴木) 

そして、絵の道に進まれるきっかけが椿だった。

(片岡) 

ええ。ちょうど40歳になる少し前くらいから、仕事も過渡期かなと感じるようになっていたんです。表現しようのない心の焦りというのか、朝起きた時に鉛をのんだような重たさがあるんですね。とても切なかったり悲しかったりするんだけど、その原因が自分でも分からない。鬱々とした日が続いていました。

2月の寒い朝でしたけれども、朝5時にマネジャーが迎えに来て、玄関を出るとふっと何か後ろで気配がして、見たら赤い花だったんです。それが椿という名前だとは知らないくらい、それまでの僕は花に疎い男でした。

だけど、その時は「うわー、こんなに朝早く誰も見ていないのに、よく君咲いているね」と思わず語り掛けていました。寒さの中、凜として咲いている椿の姿に息が詰まるほどの感銘を受けたんです。

こんなにも僕を感動させてくれるこの椿を何とか表現できないかと考えました。だけど、役者として椿を演じろと言われてもそれは無理だし、音楽や詩の才能もない。その時、心の中で「絵だな、絵だな」という声が湧いてきて、それに突き動かされたんですね。

(鈴木) 

それまでにも絵をお描きになっていたのですか。

(片岡) 

まともに描いたことなんかありませんよ(笑)。だけど、これはボクシングを始めた時もそうでしたが、人生の転機を迎えた時、僕の中にいる〝腹の主〟が「おまえはこれをやるんだ」と激しく突き動かすんです。そうしたら「そうですか。じゃあ分かりました」と言う他ない(笑)。

すぐに文房具屋さんに行って道具を取り揃えて椿を描いてみたんですが、そりゃ酷いものでした。「やっぱり駄目だな」と呆れるくらい稚拙だったんです。普通なら撤退するところでしょうが、もしこれを手放したらまた鉛をのむような毎日が始まるかと思うと、絵にすがる他ありませんでした。

それにしても出会いとは不思議ですね。その頃僕は、タモリさんと月に1回、銀座に飲みに行っていたんですけれども、タモリさんが「鶴ちゃんね、あそこに座って飲んでいる人は挿絵とか番組のタイトルバックなんか描いている画家の村上豊先生なんだけどね」と言うんです。僕、画家と称される人とこんなに近くになるのは初めてでした。

これ、偶然と思えないでしょう。「ぜひ紹介してください」と言って3人で飲んだんですけれども、この村上先生との出会いがあったから、きょうまで絵を続けてこられたと思っています。

初めてお会いした時、「先生、絵が上手くなきゃ画家になれないですよね」とお聞きしたら、「いや、そんなことはないですよ。あなた方の商売だってそうでしょう。演技ばかり上手い役者よりも、下手でもその人物になりきっている役者のほうがよっぽど説得力がある。私はそういう役者が好きですよ」と。この言葉には絵を描く上で随分救われてきました。

(本記事は月刊『致知』2014年10月号「夢に挑む」から一部抜粋・編集したものです。各界一流の方々のご体験談や珠玉の名言を多数紹介。あなたの人生、経営・仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

 

片岡鶴太郎(かたおか・つるたろう)

昭和29年東京都生まれ。高校卒業後、物まねの片岡鶴八に弟子入り。テレビのバラエティー番組などの出演を重ね、63年にはボクシングのプロライセンスを取得し注目を浴びる。同年、映画『異人たちとの夏』で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞受賞。現在では画家としても活躍。著書に『片岡鶴太郎 還暦紅』(青幻舎)『今日も日暮里』(徳間書店)など多数。

鈴木秀子(すずき・ひでこ)

東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。聖心女子大学教授を経て、現在国際文学療法学会会長、聖心会会員。日本で初めてエニアグラムを紹介し、第一人者として各地でワークショップなどを行う。著書に『幸せになるキーワード』(致知出版社)など多数。

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