モンドセレクション10年連続金賞「究極」の豆腐はいかに生み出されたか

モンドセレクション金賞を10年連続受賞した豆腐「究極のきぬ」や「至高のもめん」など、品質に徹底してこだわった豆腐づくりに取り組んできた、おとうふ工房いしかわ。その4代目社長を務める石川伸さんに、豆腐づくりの原点、豆腐に懸ける信念を語っていただきました。

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日本一の豆腐屋になってやる

〈石川〉
1963年、私は愛知県刈谷の地で明治より代々続く小さな豆腐屋の4代目として生まれました。両親は来る日も来る日も朝から晩まで作業場に立ち、私も物心ついた頃から店番や豆腐作りを手伝い、育ちました。

しかし、当時はちょうど日本が高度経済成長期に突入していく頃。少し前まで農業をしていた近所の人たちがスーツでビシッと決めて出勤していく姿を見ているうちに、私はいつしか豆腐屋の仕事によいイメージを持てなくなっていったのです。

そうして、将来はとにかく家業と離れた仕事がしたいと、両親を説得して東京の大学に進学。一人暮らしを始めたのでした。

念願叶って家業から離れ、充実した学生生活を送っていた私でしたが、しばらく経ったある日、アパートで一人夕食を食べていると、ふと両親の姿が目に浮かんできたのです。自分が食事をしているこの時にも、両親は身を粉にして働いているのだろう。そして一所懸命豆腐を作って得たお金で毎月欠かさず仕送りをしてくれているんだと。

両親への感謝の念が込み上げてくる中で、家業を継ぐことこそ自分にできる親孝行だと思うようになり、大学を卒業する頃には、「どうせ継ぐなら日本一の豆腐屋になってやる」と迷いは一切なくなっていました。

本当に胸を張ってつくってきたか?

〈石川〉
家業を継ぐことを念頭に、卒業後は豆腐を扱う食品メーカーに就職。自ら手を挙げ、新規プロジェクトの立ち上げや新製品の開発に携わり、4年間で経理や営業、現場の技術など、会社経営に必要な知識をほとんど身につけることができました。

しかし、経験を積み、意気揚々と実家に戻った私を待ち受けていたのは想像以上に厳しい現実でした。1991年に個人商店から有限会社にし、屋号も「おとうふ工房いしかわ」に改めたものの、業態は相変わらず小さな町の豆腐屋で、従業員も家族だけ。しかも1993年にはバブルが崩壊し、豆腐の値段がどんどん下がっていきました。

日本一になるためにはとにかく安く、たくさん豆腐を作って売り上げを上げなければならない――。その思いから大きな投資を決断し、機械を導入して大量生産体制を整え、材料もより安価な輸入大豆や凝固剤に切り替えていきました。ところが、そうすると今度は他社の安価な豆腐との差別化ができなくなり、営業に行っても門前払いされる始末。私は途方に暮れました。

そんな時でした、高校の同級生の奥さんに「自然食のお店に売りに行ったら? そこでは一丁200円の豆腐が売られているけど、私は買うの」と提案を受けたのです。当時一丁百円が豆腐の相場、そんな儲け話はないと思いながらも、私は地元の自然食の会社を訪問しました。

そして200円の豆腐を買って実際に食べてみると、確かに美味しい。その会社の社長に、美味しさの秘密は伝統的な豆腐作りの技法と、安全安心な国産大豆、大豆の旨味を引き出すにがりにあることを教えられた私は大きなショックを受けました。

果たして自分は世間にも自分の子供にも胸を張れる豆腐作りをしてきただろうか。この気づき以来、私は一念発起して日本の伝統を継承した豆腐作りに取り組むようになったのでした。

結果的にこれが奏功し、自然食のお店や生協などからの注文が相次ぐようになっていきました。また、売り上げが伸びていく中で、「究極のきぬ」「至高のもめん」といった新製品の開発にも取り組み、発売2年目からは、前年比200%以上の売り上げが続いたのです。

会社は家族経営から企業経営に転換し、念願の豆腐レストランも開店、事業規模も20億円を突破しました。日本一の豆腐屋も夢じゃない。そう思えるところまで来ていました。

「大豆3粒」の教え

〈石川〉
しかし、2002年、台風と冷害で不作となり、大豆の値段が前年の2倍に急騰、翌年には3・5倍に急騰したのです。よい大豆が手に入らなくなり、たちまち経営は悪化。業界紙に「おとうふ工房いしかわの財務が危ない」と書かれ、当時120人いた社員も瞬く間に半分に減ってきました。まさにこれまで積み上げてきたものが音を立てて崩れ落ちていくようでした。

ただ、厳しい中でも残ってくれている社員がいる、それが唯一の支えでした。そしてこの時に思い至ったのです、日本一の豆腐屋になりたいと思っていたのは私だけで、社員は仕事に異なる意義を見出していたのではないか。これからは日本一を目指して会社を大きくするのではなく、社員と同じ価値を共有し、地域からも愛される経営を目指していくべきではないかと。

経営危機を受け、私は朝礼を導入したり、お互い顔の見える職場作りに注力したり、地域との触れ合いの機会を増やしたりと、様々な取り組みを進めていきました。すると「おとうふ工房いしかわ」が創立15周年を迎える頃には、経営も安定を取り戻していったのです。そしてその後も順調に売り上げは伸び、いまでは事業規模も50億円を突破するまでになりました。

自分がこの仕事に携わり始めた頃、ある農家のおじいさんが教えてくれた「大豆3粒」という話があります。

「なぜ大豆は畑に3粒一緒に蒔くのか知っているかい? それは1粒は鳥のために、1粒は土のために、1粒は自分のために蒔くからなんだよ」。

経営も同じで、社員や地域社会に支えられて初めて成り立つのであって、自分が儲かればいい、そういう考えでは発展していかないのだと思います。

会社は社会の「公器」である。その思いを持って、この地域の人が、社員が、日本が、世界中の人たちが幸せになれる豆腐作りに、これからも誠心誠意取り組んでいきたいと思います。


(本記事は月刊『致知』2017年3月号 連載「致知随想」から一部抜粋・編集したものです)

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