ストーンハート(石の心臓)を甦らせた外科医のひと言

栃木県にある鷲谷病院で院長代行を務める現役医師・定方正一さん、90歳。戦後、国内における外科医療発展の礎を築いた定方さんにその半生を振り返るとともに、今後の活動に懸ける想いを語っていただきました。

ナイチンゲールのように

僕は戦争中に育っているんですよ。父は陸軍少尉で、実家は養蚕業を営んでいて、僕はそこの長男でした。旧制中学3年生の時に大東亜戦争になりましてね。これは大変なことになったと。だってアメリカと戦うわけでしょう。

その時に思い出したのが、小学生の頃に先生に教わった近代看護教育の母・ナイチンゲールのことでした。彼女はクリミア戦争で敵も味方も関係なく負傷者を治療したじゃないですか。

いずれ自分も戦争に行くようになれば、戦わなければいけない。当然戦場には怪我人が出る。そうであれば、僕は兵隊としてではなく、ナイチンゲールのような働きがしたい。それには医者しかないと思って、外科医の道を選んだという格好ですね。

当時は徴兵検査があって、僕は甲種合格になったのですが、ちょうど僕らが徴兵検査を受けた最後の世代でしてね。翌年には終戦を迎えたため、結局戦場には行きませんでした。

ただし、戦争は終わっても医者になろうという思いは変わりませんでした。医者の道というのは、専門的にレベルアップしていくにはどうしたって時間がかかる。それに、結婚した妻が小児科医で、生活費などを補ってもらいましてね。それがなかったら、勉強は続けられなかったので、妻には頭が上がりません(笑)。東北大学医学部では恩師・桂重次教授のもとで学び、そのまま大学病院に進んだのですが、そこで思いがけず世界最初の手術成功例に立ち会うことができたんです。

当時僕は大学病院に入って2年目で、生後75日の先天性胆道閉鎖症だった女児の主治医を仰せつかりましてね。すぐに手術をしなければ助からないというので、桂教授に執刀していただき、術後の経過も順調でした。

後に同じ症例について調べてみたところ、国内では先天性胆道閉鎖症の1歳以下の報告例は110例あって、うち9例が手術を受けているとありました。しかし、いずれも死亡していて、この時の症例が我が国最初の成功例であることが分かったんですよ。それどころか、世界的にも最初の成功例だと分かった時には本当に驚きました。

これは昭和28年のことで、敗戦から10年も経っていませんでしたが、外科患者さんを救おうという意思のもと、教室の総合力が見事に発揮されたことに成功の秘訣があるように思いました。

「まだ心臓は動いています」

ある心臓手術ですべてが順調に進んでいて、あともう少しで終わりかなと思っていた時に、突然患者さんの心臓が止まってしまったことがありました。

なぜ止まったのか理由が分からない。あの手この手で動かそうとしても全く動かない。我われはこの現象をストーンハート、つまり石の心臓と言っていて、そういうことが起こり得るんですね。でもまさかそれが目の前で起こるなんて思わなかったので、困ってしまいました。

咄嗟に「あの薬を注射しろ!」と言ったんです。そうしたら、また心臓が動き出した。でも、僕はその時に指示した薬が何だったのかを全く覚えていないんですよ(笑)。人間って一所懸命やっていると神業的な勘が働くんだなということを感じましたね。

実はこの話には後日譚があって、その患者さんが退院して何年か経ってから年賀状が届きました。そこには、「先生、まだ私の心臓は動いています」と書いてあったんですよ。僕は驚きました。だって普通なら「まだ生きていますよ」って書くはずじゃないですか。

というのも、手術中に心臓が止まったことを僕は教えていなかったんです。そんなこと、あえて言う必要もないでしょう。だから患者さんとの間では、退院するまでそんな会話は一度もしていないし、心の中で「あの時は本当によかったな」と思っていればそれでよいと思っていましたから。その患者さんは当時高校3年生の女の子でした。誰かに聞いていたのかもしれませんが、勘のいい子だったのかもしれません。いまも思い出に残る患者さんです。

犠牲を厭わない

僕にとって宮本武蔵は憧れの武芸者で、昔から映画やテレビはよく観ていました。では、その武蔵はいったい何を一番大事にしているのか。きっとすごい言葉を残しているのだろうと思って探していたところ、ある時こういう言葉に出合いました。

「上手のする事は緩々と見へて、間のぬけざる所也」

僕は感動しましてね。そうか、こういう気持ちが大事なのかと。武蔵でさえ、こういうことを考えていたのであればと、僕も手術の時にまずはゆったりと構えることを常に心掛けてきました。

もっとも、初めて大学でメスを握った時はそれどころではありませんでした。先輩から切れって言われても切れないんですよ。メスが皮膚まで届かない。ようやく切れたと思っても、切れていない。それくらい怖いものでした、人にメスを入れるというのは。

それでも、やるとなったら患者さんを絶対に助けたいという、その気持ちが大きな支えになりました。自分のためではなく、人のために自分のやれることを一所懸命やることは、やはり人間にとって一番の基本ですよ。

もっとも、どんな手術であっても、これなら必ず大丈夫だという保証はどこにもありません。それでもよく考えた上で、こうすればいいはずだという道はあると信じてやってきました。

そうやって一つひとつ成功させていくと自信がつくでしょう。その経験に慢心することなく、常に自信を持ってやっていくことができれば、僕は長い人生の中であんまり大きな失敗というのはしないと思うんですよ。

まだ珪肺労災病院に勤めていた頃のことですが、夜中まで手術が長引くこともよくありました。そうなると電車がなくなるので、夜道を宇都宮市内の自宅まで車を飛ばして帰ったものです。大変ではありましたけれど、そうやって何かを犠牲にしてでも時間をかけなければ、本当の医者にはなれないと思うんです。

 

本記事は『致知』(2016年11月号 特集「闘魂」より一部を抜粋・編集したものです。『致知』には人生、経営に役立つ一流の方々のご体験談が満載!詳細・ご購読はこちら

◇定方 正一(さだかた・しょういち
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大正15年群馬県生まれ。昭和26年東北大学医学部を卒業後、同大学病院桂外科教室、同大学抗酸菌病研究所にて研究に従事。32年珪肺労災病院勤務。同病院外科部長、副院長を歴任。57年宇都宮第一病院院長に就任。平成元年鷲谷病院院長代行となり、現在に至る。

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