病気の生徒をあっという間に立ち直らせた田園ソング——禅僧・酒井大岳が掴んだ『般若心経』の神髄

『致知』最新8月号 特集「鈴木大拙に学ぶ人間学」の発行に伴い、いま世界から注目を集める禅の教えに触れられる記事を4日間連続で配信いたします。第2弾でご紹介するのは、仏教の教えを分かりやすい言葉で説くことで定評がある曹洞宗長徳寺住職の酒井大岳さんのお話。地元・群馬県吾妻郡の高校で書道講師をしていた若かりし時、ある大先輩の先生から『般若心経』の神髄を教えられた経験をお持ちです。その感動的な思い出を語っていただきました。

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「酒井先生、私に『般若心経』を説いてください」

大学を出てしばらくして群馬に戻った私は、住職である父の手伝いをするとともに、たまたま空きがあった県立女子校の書道講師を務めることになりました。

私が奉職間もない頃、小林文瑞という大先輩の先生がいました。小林先生は私のように僧籍を持ち、西田哲学や仏教思想に精通していました。190センチ近い大柄な方でしたが、一緒に食事をしていた時にこうおっしゃるのです。

「酒井先生、『般若心経』というお経があるでしょう。きょうは一つ私にそれを説いてください」

「それは無理ですよ。読めと言われればすぐに読めますが、とても説くことなんか」
 
すると一瞬先生の表情が変わり、「馬鹿者!」と頭ごなしに私を怒鳴られるではないですか。

「あなたはきょう、私の隣の教室で授業をやっていたね。1人休んでいた子がいたでしょう。名前はなんと言った?」

「山田悦子(仮名)です。窓際の前から3番目の子です」

「あなたは彼女がなんで休んでいるか知っていますか」

「いいえ、別に担任に聞いてみたこともないし、風邪でもひいたんだろうかと……」
 
その言葉が終わらないうちに、再び雷が落ちました。

「馬鹿者! 生徒が1人休んでいたら担任であろうが副担任であろうがそういうものは関係ない。ひょっとしたら事故かもしれない。大病かもしれない。担任のところに行ってなぜ休んでいるかを聞くのが教師の役目ではないか」
 
さらに先生は「あなたに『般若心経』が説けなかったら、私が見せてやる。着いてきなさい」。そうおっしゃったかと思うや、もう歩き出されていました。店の裏の道をどんどん歩きながら、しばらく経ったところで、

「あのな、山田悦子は腎臓を悪くしてこの先の病院に入院しているんだ。これから見舞いだ」。
 
彼女の部屋は2階の奥まったところにありました。小林先生は病室に入ると、笑顔で挨拶を交わし静かに話し始められました。

「えっちゃんな。きょう酒井先生が君の教室で授業中に歌を歌っていた。俺は隣の教室で聞いていたんだけど、酒井先生はえっちゃんがどんな病気で入院しているか知らなかったそうだ。俺が酒井先生に頼んでその歌を歌ってもらうからな。よーく聞いていろや」
 
私が歌ったのは、その頃農家を励ますために流れていた田園ソングでした。2番くらいから山田は布団を引っ被って泣いていました。声は出さなくても肩が震えているからそれと分かるのです。3番まで歌い終わると「ありがとうございました」と小さな声がしました。

「よかったな、えっちゃん。これであと1週間もすると治って退院できるよ。じゃあな」

仏教で大事なのは理屈ではない

そう言って先生は部屋を出られました。病院を出て別れ際に小林先生が「酒井先生」と声を掛けられました。また雷かと思って「はい」と答えると、先生は大きな両手で私の手をしっかり握り、大きく揺さぶられました。そして満面の笑顔でおっしゃったのです。

「これが『般若心経』だよ。覚えておきなさい。じゃあな」

私は最初小林先生がおっしゃった意味が分かりませんでした。しかし、ある時、ふと「仏教で大切なのは理屈ではなく実践なのではないか」「いまできることを精いっぱいやることが人生で大切ではないのか」と思ったのです。

それから私は『般若心経』に関する本を取り寄せ、300冊以上貪るように読みました。驚くことに、小林先生の教えにすべて帰着していました。理屈ではなく歩み続けることこそがその神髄だったのです。

ちなみに、山田悦子は奇跡的な回復を遂げ、先生の言葉どおり1週間後に無事退院しました。私には愛語の力を知る忘れられない思い出の1つです。

(本記事は月刊『致知』2013年10月号 特集「一言よく人を活かす」より「道元禅師の愛語の心に学ぶ」から一部抜粋・編集したものです)

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◇酒井大岳(さかい・だいがく)
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昭和10年群馬県生まれ。駒澤大学仏教学部卒業。群馬県吾妻郡の曹洞宗長徳寺住職の傍ら、地元の県立吾妻高校に書道講師として36年勤務。南無の会会友。著書に『「愛語」のすすめ たったひとことで人生は変わる』(マガジンハウス)『あったかい仏教』(大法輪閣)『気持ちがホッとする・禅の言葉』(静山社)など多数。講演活動も定評がある。

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