谷沢永一と渡部昇一、二人の碩学が『貞観政要』から紐解くリーダーの心得

歴史上有数の名君として数えられる唐の太宗はなぜ名君たりえたのか――。そのすべてが解き明かされた本、それが『貞観政要』です。「リーダーとはどうあるべきかが最も具体的に書かれた世界で最高の本」と『貞観政要』を激賞される谷沢永一先生と渡部昇一先生に、この本の魅力を存分に語り合っていただきました。

帝王学の書『貞観政要』

〈谷沢〉
『貞観政要』というのは、唐の太宗が諫議大夫や諫臣たちと交わした対話をまとめた本です。編纂したのは呉兢という当代一流の歴史家で史官だった人。呉兢は太宗が没して約50年後の人ですが、宮廷の中に残っていた資料を基にまとめたわけですね。

『貞観政要』は遅くとも桓武天皇の時代には日本に入っていたようです。以来、当時の歴代天皇、あるいは北条、足利、徳川といった為政者がこの本に学んでいます。

要するに『貞観政要』には、皇帝・帝王とはどうあるべきか、政治とはどうあるべきかが記されているのです。高位にある者が政治を執り行う場合に心得るべき要諦がすべて書かれているエンサイクロペディア(百科事典)のような本です。

私も『貞観政要』という有名な本があることはかねてから知っていました。ところが不思議なことに、この本の研究書が見当たらない。おかしいなと思って探していたところにやっと古書目録で見つけたのが原田種成の『貞観政要の研究』(昭和40年・吉川弘文館)という本。これを読んでビックリ仰天しました。まさに微に入り細をうがって徹底的に研究してある。

〈渡部〉
私も『貞観政要』というのが大変な本であるとは知っておったので、谷沢先生と対談したいなと思っていたのです。それで、その時の参考書には『国訳漢文大成』に収められているものを使おうと思っていたら、谷沢先生から「原田種成の本があります」と教えていただきました。それを読んだ時は日本の文献学のレベルの高さを目の当たりにする思いでした。

北条政子も徳川家康も『貞観政要』を読んでいた

〈渡部〉
北条政子がこの本の存在を知って、公家に訳させて仮名本で読んでいますね。

〈谷沢〉
北条政子は漢文が読めないから、菅原為長に命じて日本語訳させて講義させたわけです。

〈渡部〉
それから徳川家康も読んでいた。徳川時代は儒教の時代と言いますが、本当は孔子よりも『貞観政要』のほうを重視していたような感じを受けますね。家康も『論語』を一所懸命勉強しましたが、本当に役に立つと思ったのは『貞観政要』なのではないかと。

〈谷沢〉
家康の命令で慶長年間に木版の『貞観政要』が出ていますからね。駿河版と言いますが、それが出版された年は関ヶ原の戦より前なんです。家康はすでにその時点で天下を治めるための心がけをちゃんと考えておったわけですね。

〈渡部〉
『論語』や『孟子』は家来が読んでもいいものですが、『貞観政要』は君子、殿様でないとあまり関係ないんですよ。だから、徳川家とか上杉鷹山とか、ああいう人たちは一所懸命読んだと思います。

〈谷沢〉
そうでしょうね。おそらく天下の政治に直接関わる人が読んでいたと思います。例えば吉宗です。『貞観政要』に唐の太宗が後宮にいた3千人の女官を「そんなに必要ない」と言って大部分を家に帰らせる話が出てきます。吉宗は大奥に対してそれとそっくり同じ真似をしていますからね。『貞観政要』を読んでおったのはほぼ確実です。

〈渡部〉
『貞観政要』を学ぶことにおいて吉宗の出た紀州家は非常に熱心でしたね。だから、後に一番普及したのが紀州版でした。

〈谷沢〉
その紀州藩の藩校の初代教授が伊藤仁斎の子の伊藤蘭嵎なんです。その影響があったかもしれませんな。

〈渡部〉
仁斎ももちろん『貞観政要』を知っていたわけですね。

〈谷沢〉
もちろん。おそらく仁斎の後継者の伊藤東涯もね。しかし、仁斎も東涯も君主ではあっても帝王じゃありませんから、それについてもの言うことは、はばかりがあったのでしょう。

〈渡部〉
確かに君主には教えてもいいけれど、普通の人に教えるのは意味がないというような感じがありますからね。逆にいまは社長がたくさんいますから、この本を読む価値はむしろ高まっていると言っていいですね。

〈谷沢〉
あらゆる経営者、リーダー、それから政治家に読んでほしいのは、『論語』『孟子』もさることながら『貞観政要』のほうです。こちらはより具体的なんですよ。

『論語』『孟子』は名著だけれども、いたって抽象的でしょう。「仁」と言おうが「信」と言おうが、要するにぜんぶ抽象論です。ところがこの『貞観政要』はリーダーとはどうあるべきかということが具体的に書かれている。その点では、世界中でこの本が最高じゃないかと僕は思います。

〈渡部〉
私もそう思いますね。

「四書五経」に学ぶ人間学

守成をいかに成し遂げるか

〈渡部〉
いまの話からも分かりますが、『貞観政要』というのは、創業の成った後の守成をどのようにやり遂げるかということが大きなテーマになっていますね。

〈谷沢〉
だから太宗は群臣に質問しています。「帝王の業、草創と守文と孰れか難き」と。つまり帝王の事業として、戦って天下を獲得することと、その天下を治めることのいずれが難きや、と聞くわけです。

〈渡部〉
これは日本中の社長が大好きな言葉です(笑)。

〈谷沢〉
そうすると魏徴は「守成のほうが大切だ」と言うし、房玄齢は「創業のほうが大事だ」と言う。この房玄齢は太宗とともに唐の王朝をつくるために苦労した人ですね。だから太宗は、房玄齢が創業の難しさを強調する立場もよく分かるし、治めていく立場を強調する魏徴の考え方もよく分かると言って、天秤にかけて両方をバランスよく取り入れるんですね。

〈渡部〉
そのうえで、もう天下は取って創業の困難は過ぎたのだから、これからは守成のほうに重きを置こうと太宗は言うわけです。

〈谷沢〉
これから自分は施政をしなきゃならないから諫議大夫だけじゃなくて他の連中も、どんどんわしに忠告してくれとね。

〈渡部〉
この天下を守る難しさという話はしょっちゅう出てきます。

貞観15年には、太宗が諫臣たちに「天下を守ることは難しかったか」と問うています。すると魏徴が「甚だ難しい」と答えるんです。そうしたら太宗は「権限を家来たちに任せて、その諫言を受け入れれば難しくないんじゃないか」と言うのですが、魏徴はその答えに納得しないんですね。そして「昔からの王様を見ていると、国が危ないような時は賢い家来を使い、その忠言も聞くけども、安楽になると心が緩んで怠るようになります。諫めようとする者も、王様に逆らうのを恐れて諫めなくなります」と忠告するんです。

だから「安くして而も能く懼る」つまり、安楽の時ほど大いに警戒する必要があるというわけです。これはそのとおりで、玄宗皇帝なども最初の頃は名君と言われましたが、後には楊貴妃に入れ込んで駄目になってしまいました。

〈谷沢〉
貞観11年には、豪華な宮殿を造るようなまねをすれば天下人民の心がすべて離れてしまうと魏徴が注意しています。「高大な宮殿を造ることは危険であり、低い粗末な宮殿が安全であることをお考えになれば、神のごとき天子の徳化は自然に人民にしみわたり、無為にして天下は治まりましょう。これが最上なる天子の徳でございます」と。

つまり、何もしなはんな、と。それでいて自然に治まるのが一番の徳であるというわけです。逆に、創業の困難を忘れて土塀にまで彫刻を施すような贅沢華麗を追求すれば、人民は天子の徳を認めない。「これが最も下なるやり方でございます」と論理的に説明していますね。

〈渡部〉
これだけ言われても、子孫の時代には駄目になるんです。

〈谷沢〉
玄宗も『貞観政要』を勉強すれば良かったのですが、しなかったのでしょう。

〈渡部〉
やはり守成は難しい。だから魏徴は『詩経』にある、

「戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し」

という気持ちでないと国は治められないと言っているわけです。

〈谷沢〉
それは実力で天下を取った人の心境ですね。三代目になると分からなくなるんです。


(本記事は『致知』2008年5月号 特集「工夫用力」より対談「『貞観政要』に学ぶ上に立つ者の工夫用力の心得」の一部を抜粋・編集したものです)

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◆谷沢永一(たにざわ・えいいち)
昭和4年大阪府生まれ。32年関西大学大学院博士課程修了。関西大学文学部教授を経て、平成3年より名誉教授。文学博士。専門は日本近代文学、書誌学。社会評論でも活躍。著書に『人間通』(新潮社)『名言の智恵 人生の智恵』(PHP研究所)『いま大人に読ませたい本』(致知出版社)など多数。共著に『「聖書」で人生修養』『修養こそ人生をひらく』(いずれも渡部昇一氏との共著、致知出版社)などがある。

◆渡部昇一(わたなべ・しょういち)
昭和5年山形県生まれ。30年上智大学文学部大学院修士課程修了。ドイツ・ミュンスター大学、イギリス・オックスフォード大学留学。Dr.phil.,Dr.phil.h.c.平成13年から上智大学名誉教授。幅広い評論活動を展開する。著書は専門書のほかに『歴史に学ぶリーダーシップ』『幸田露伴に学ぶ自己修養法』など多数。近著に『渋沢栄一 男の器量を磨く生き方』『時流を読む眼力』『四書五経一日一言』(いずれも致知出版社)などがある。

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