稽古そのものが人生だ――劇団四季のDNAを創った男・浅利慶太の生き方

その秀麗かつ感動的な舞台で、老若男女を魅了し続ける劇団四季。その芸術総監督を務めた浅利慶太さんが、去る13日に逝去されました。無名だった一劇団を演劇界の花形的存在に育て上げ、日本文化に変革をもたらした浅利さんを突き動かした「狂熱」の源に迫ります。

劇団四季が花開くまで

一瞬の50年でしたね。

演劇をやっていますと、初日、千秋楽、初日、千秋楽……と年に4回くらいのビッグイベントがありますから、そうなると3か月が一単位です。40年生きていても10年くらいしか生きなかった感覚なんです。

僕たちが芝居を始めた頃は、ほとんど観客がいませんでした。というのも、当時の演劇界は魅力を失ってしまっていたんです。そこにテレビ時代が到来し俳優は皆テレビに出て食べるようになった。大衆の中に入っていけばいいと思うのだけど、そうはしない。僕はその逆をやって、ここまできましたけどね。

最初の頃、随分苦労が続きまして、食うや食わず、何とか劇団が維持できるという状態だったんです。全国に切符を売りに行きまして「四季です」と言うと「花屋さんですか」と言われました(笑)。最近でこそ、劇団だと知っていただけるようになりましたけど。

人生の感動を観客に伝え続ける

(お話をお聞きしておりますと、浅利さんは常にお客様のことを考えてらっしゃいますね)

四季のDNAは何よりもそこだと思っています。観客を信じること、お客様は神様だと思うことです。観客が支持してくれるものを創れば、いい芝居が生まれるんですよ。

言葉を換えれば観客を退屈させないことと言ってもいい。では何を出せば観客は退屈しないか。たった一つのテーマなんですよ。それは「人生は感動的だ」ということなんです。四季の舞台にはそれがすべて貫かれています。

人生の感動を、どの作品でも常に追い求めていけば、お客様は来てくださるというのが僕の信念です。誰でも日常生活のなかには難しい問題で疲れ、いやになることがあります。そういう時に演劇を通して人生の感動を味わい直すと「やっぱり人生は素晴らしい。生きているっていいことじゃないか」と思っていただけるんです。

これは何も僕が考えたのではなくて、ギリシャ悲劇以来の伝統ですね。ギリシャの文学者、哲学者も「演劇の効用はカタルシス(精神の浄化作用)にある」と言っています。明治維新以後、日本には新しい演劇の流れが入ってきましたが、その多くは啓蒙運動、つまり何かの思想を知らせること、教えることに偏りすぎて顧客は離れてしまった。それで僕は演劇の世界で失われた観客と人生の感動をもう一度、取り戻したいと思ってきたんです。

ですから演出家の役割とは、自分が感動できるものを観客に提供すること、僕の感動と観客の感動を一つにすることなんです。

芝居で食っていこうと思ったら、舞台の質を高める以外にありません。適当に手抜きをやっていたら観客には見向きもされませんからね。舞台で食べていくのは本当に素晴らしいことなんです。

日本にある「芸道精進」という言葉、この概念は英語にはありません。常に精進し続けるというのが日本の芸人の姿勢なんですね。

 まだ足らぬ
 踊り踊りて 
 あの世まで

これは六代目尾上菊五郎の辞世の句で、四季の掲示板にはこの言葉が張ってあるんですが、菊五郎ほどの踊りの名人にして「まだ足らぬ」と言ってあの世に行かれた。

それに世阿弥も、

 稽古することは生きることと見つけたり

と言っている。舞台に上がって見せるだけでなく、稽古そのものが人生なんだと。このように15世紀の世阿弥から現代の菊五郎に至るまで、芸の道は一貫している。だから、われわれもその伝統に基づけばいい。

四季のDNAはそこにあるといってよいでしょう。

(本インタビューは、『致知』2003年6月号「歴史創新」より一部を抜粋・編集したものです。月刊『致知』には仕事や人生の糧になる体験談が満載です!詳細・ご購読はこちらから)

浅利慶太(あさり・けいた)
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昭和8年東京都生まれ。慶應義塾大学在学中の28年に劇団四季を結成。以来、西欧の古典から現代劇、創作劇、ミュージカル、オペラなど幅広い舞台の演出を手掛ける。ミュージカル『キャッツ』以降画期的なロングラン公演を定着させる一方、長野オリンピック開閉会式総合プロデューサーを務めるなど、演出家の枠を超えた活動で注目を集めている。文化庁芸術祭大賞など国内外で数々の賞を受賞。著書に『浅利慶太の四季』など。〔このプロフィールは『致知』掲載当時のものです〕

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