能動的な読書が古典を生かす! 安田登が紐解く『史記』に学ぶ人間学

数千年の時を経ていまなお読み継がれ、多くの人々の仕事や人生に指針を与えてきた不朽の歴史書『史記』。『致知』7月号では、高校時代に出会って以来『史記』を座右の書として味読してきたという能楽師・安田登氏に、『史記』と司馬遷の生き方から現代の私たちが学ぶべき教えを詳らかに紐解いていただきました。本記事ではその中から、張良のエピソードと『史記』の読み方について抜粋してお届けいたします。

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張良の物語が教える物事を学ぶ基本姿勢

〈安田〉
次にご紹介したいのは、数々の献策で劉邦を勝利に導いた漢軍の名軍師である張良です。特に張良が軍師になったいきさつには、学ぶべきことが数多くあります。

ある日、張良は夢の中で馬に乗った老人に出会います。老人は馬上から沓を落とし、それを張良が拾って履かせると、「おまえに兵法を授けるから5日後にまた来なさい」と言います。目を覚ました張良が五日後、夢で言われた通りの場所に行ってみると、老人に「来るのが遅い!」と怒られます。

さらに5日後、今度は早く行くと、老人は沓を川の中に投げ入れました。咄嗟に川に飛び込んだ張良は急流にもまれ、さらに大蛇と戦いながらも、沓を取って老人に履かせます。すると、老人から兵法書を与えられ、張良は兵法の達人となるのです。兵法書は周の軍師・太公望が書いたものとされるので、黄石公という名の老人は太公望の霊なのかもしれません。

この話で問題なのは、なぜ老人は張良に沓を拾わせたのかということです。この話はおそらく何かを学ぶ基本姿勢を示しているのだと私は思います。つまり、老人は何の説明もなく張良に沓を拾わせたわけですが、そこに意味を見出し、学び取っていくのは弟子自身であるということです。しかも張良が言われた通りの時間に、言われた通りの場所に行ったにも拘らず、最初はなぜか「遅い」と怒られました。たとえ師匠がめちゃくちゃな理屈を言っても、学ぶ側は反問してはならないのです。

実は能楽にも『張良』というワキ方にとって一子相伝の特別な作品があります。というのは、老人が落とした沓の場所によってアドリブで舞を舞わなければならないからです。その舞も、まるでスケートの「イナバウワー」のように体を反り、後ろ向きにぐるぐる回るという大変難しいものです。

実際に『張良』の稽古をしている時、私は張良が軍師になったいきさつに込められた意味を実感するようでした。師匠の鏑木岑男先生は、具体的な稽古を全くしてくれず、とにかく何をやっても「だめだ」としか言いません。そのような稽古が1年くらい続き、最後まで「いい」と言われないまま舞台に出されてしまいました。

確かに『張良』の舞の部分はアドリブなので教えようがないのですが、私はその代わり「こういう場合にはこうするのではないか」と、自分なりにパターンを考え必死に稽古に励みました。実は本番では全く予期しないことが起きたのですが、それをクリアできたのは、師の教えを自ら考え自ら学ぶ、張良が沓を拾った話そのものの稽古のおかげだと思うのです。

しかし、最近は欧米のマーケティング的な手法が社会に浸透してきたことで、学校教育の現場においても、生徒のニーズに合わせた授業を提供するという状況になりつつあります。生徒のニーズに合わせない先生は低い評価をつけられ、授業に人が集まらなくなってしまうのです。それでは老人と張良のような師弟関係は実現できないでしょうし、物事を学ぶ基本姿勢も身につかないでしょう。『史記』に学び、現代の教育のあり方も見直していくことが必要なのかもしれません。

司馬遷が伝えたかった人間が自由に生きる道

〈安田〉
『史記』の「太史公自序」にも書かれていますが、司馬遷は具体的な人物や物語を通じて、人々がよりよく生きていく「道」「徳」を示そうとしたのだと思います。徳とは「道(彳)」と「直」と「心」から成る文字です。「ここをまっすぐに行けばいいよ」という正しい道を教えるのが「徳」です。

法律は「こっちに行ってはいけません」と人々の行動を禁止しコントロールするものです。法が支配する世界は「法に書かれていないことなら何をやってもいい」という世界であるとも言えます。

一方の「道」、あるいは「徳」が行き渡った世界は、「こちらに行けばうまくいきますよ」と抽象的な道筋を示すだけで、あとはどうぞ自由に生きてくださいと人々を手放すものです。そうした世界では、人々は「道」に外れないよう恥をもって自らを律して生きる。法による制限が強くなっていく前漢の時代に生きた司馬遷は、何とかして正しい「道」を示し、人間が自由に生きていく方法を教えたかったのではないでしょうか。

実際、『史記』には、「こういうことをしてはいけない」という禁止は一つも書いていません。ただ、「こういう生き方もある」といろいろな生き方の可能性、「道」の在り方が示されているだけです。

今回紹介した話も、年齢によって、読み方によってその深さが全く変わってきます。読む人の向き合い方次第で様々な生き方、教訓を引き出すことができる。いま私たちはテレビを見るような感覚で書物を読み、読まされようとしていますが、本来、読むという行為は受動的なものではなく、能動的・自律的な行為なのです。

ではどうすれば能動的・自律的に『史記』を読むことができるのでしょうか。それは自分に問いを持ち、『史記』にぶつかってみることです。あるいは大きな問題に直面した時に『史記』を紐解いてみることです。私も『張良』を演じることになった時、改めて『史記』に向き合ってみると、それまで分からなかった張良の話の意味が見え、道を示してくれました。特に変化の激しい現代では、いま為すべきこと、これから自分はどうやって生きていけばいいのか、自ら考え、自ら学び、行動していく人物が求められてくるはずです。

そして、誰の人生にも必ず挫折や逆境というものは訪れます。その時にたった一折で人生を諦めてしまう人もいれば、百折にも不撓の精神でぶち当たって運命を切り開いていく人もいます。その運命を切り開いていく百折不撓の精神を養う方法もまた、『史記』、何よりも司馬遷自身の生き方が教えてくれていると思うのです。

(本記事は『致知』2020年7月号 特集「百折不撓」より一部抜粋したものです。)

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◇安田登(やすだ・のぼる)
――昭和31年千葉県生まれ。高校教師時代に能楽と出合う。ワキ方の重鎮・鏑木岑男師の謡に衝撃を受け27歳で入門。現在は、ワキ方の能楽師として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行う。『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)『身体感覚で「論語」を読みなおす』(新潮文庫)『日本人の身体』(ちくま新書)『NHK100分de名著 史記』(NHK出版)など著書多数。

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