道元禅師も悩んでいた


日本における曹洞宗の祖・道元禅師。

強い覚悟をもって、
師を求めての歩みを進める
道元の歩みに迫りました。

───────「今日の注目の人」───

大谷 哲夫(東北福祉大学学長)
   
※『致知』2017年7月号【最新号】
※特集「師と弟子」P38

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道元が生まれたのは
正治2(1200)年、
父は時の権力者・久我通親、
母は藤原氏一族の息女・伊子でした。

高貴な家柄に生を享けた
道元が13歳にして出家したのは、
3歳で父を、8歳にして母を
相次いで亡くし、
強烈な世の無常を感じたことが
引き金になったのです。

その後、異母兄の久我通具の
もとで育てられるも、
その無常観を拭い切れなかった道元は、
周囲の反対を押し切って
比叡山の門を叩き、
天台座主公円のもとで剃髪、得度し、
天台僧としての第一歩を踏み出しました。


修行に入って間もなく、
道元は一つの疑問に突き当たります。

それは、人間というのは
本来皆仏であるという教えが
あるにもかかわらず、
なぜ苦しんでまで修行をする
必要があるのだろうかという、
日本仏教に対する極めて
基本的な疑問でした。


悩みに悩む道元に助言を
与えてくれたのは、
道元と同じく村上源氏の出身で、
当時有名な学僧・公胤でした。

彼は道元の悩みに
直接答えることはせず、
宋から帰ってきた栄西禅師という
方に会ってみよと勧めてくれたのです。


栄西は二度の入宋を経験し、
帰国後は京都に建仁寺を
開山した後は、鎌倉と京都を
拠点として活躍していた
臨済宗黄龍派の流れを汲む禅僧でした。
 




※道元はいかにして禅僧の道を
 切りひらいていったのでしょうか。
 正師を求めて中国・宋の国に
 渡った道元の歩みは本誌でどうぞ!

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