父の遺言「バカなことは絶対するな」


本日は、相田みつを美術館の
誕生秘話の一端をご紹介します。

───────「今日の注目の人」───

☆ 父の遺言「バカなことは絶対するな」 ☆

相田 一人(相田みつを美術館館長)
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横田 南嶺(円覚寺管長)

※『致知』2017年5月号【最新号】
※特集「その時どう動く」P10

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【相田】
私が美術館の構想を持ったのは、
いま思えば不思議な縁に
導かれてのことでした。

1991年の12月17日に
父は亡くなりました。

その数日前に小康状態になって、
私は足利の病院から東京に戻ったんです。

仕事が溜まっていたので、
その日は夜遅くまで残業していました。


帰宅する時、駅の階段を
下りて終電に乗ろうと思ったら、
急いでいたのと疲れもあったんでしょう。

足を踏み外して階段の
上から下まで転げ落ちて、
全治6か月の右足複雑骨折
という大怪我をしてしまったんですね。


緊急手術をして3日目に
父が再び危篤になってしまい、
医者からはいま動いたら
骨がずれてしまうと反対されながらも、
無理を押して父のもとへ帰りました。

しかし、私が帰った時、
父は既に亡くなっていました。


長男の私が喪主なんですけど、
ギプスをしている上に
麻酔が効いているので全く動けず、
喋れないほど酷い状態でした。

それで母に、

「おまえはお父さんが
 元気なうちも頼りなかったけれど、
 最後まで頼りない」

と言われまして、
返す言葉が何もありませんでした。


【横田】
ああ、そんなことがあったんですか。


【相田】
葬儀が終わった後、
私は父が亡くなった病室の
隣の部屋に半年入院しました。

絶対安静なので、ベッドの上で
考えることしかできない。

その時に思い出したのが、
父が遺言のように言っていた言葉でした。


「もし自分が亡くなった後、
 美術館や記念館なんていうのは、
 ゆめゆめ考えるんじゃないぞ。

 世の中にとって必要と
 されるものであれば必ず残る。

 必要とされないものは
 どんなに残そうと頑張っても残らない。

 だから、そんなバカなことは絶対するな」




※この続きは本誌でお楽しみください。

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