楠木正成と正行に学ぶ父と子のあるべき姿

その天才的な軍略と、最期まで忠義を尽くした生き方で、時代を超えて日本人を魅了してきた楠木正成。中でも、正成、正行親子の別れを描いた「桜井の別れ」は戦前の学校の教科書には必ず載っていたとされる逸話です。本誌ではその楠木親子の物語を中心に、中世日本史に詳しい生駒孝臣さんに語っていただきました。『太平記』に楠木親子がともに登場するのは僅か一場面にすぎませんが、私たち日本人はそこに父と子の理想像を見出してきたことが感じられます。
(本記事は『致知』2018年6月号「楠木正成と正行」をもとに再編集したものです。)

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名を後代に残すべし。これを汝が孝行と思うべし

鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇のもとで行われた「建武の新政」でしたが、数年も経たないうちに屋台骨がぐらつき始めました。その引き金となったのが、のちに室町幕府を開く足利尊氏でした。

 「尊氏、直義兄弟が九州を平定し、大軍を率いて東上してきたのは同年4月に入ってのことだった。後醍醐天皇は新田義貞を兵庫に急行させて防衛に当たらせるとともに、正成にも兵庫に駆けつけるよう命じている。

しかし、正攻法ではとても勝ち目がないと見て取った正成は、新たな作戦案を申し出る。足利軍をいったん京都に誘い込んで通路を封鎖し、兵糧攻めにした上で、一気に殲滅するというものだ。だが、この献策もあえなく却下されてしまった正成は、もはやこれまでと覚悟を決め、500騎ほどの手勢を率いて京都から兵庫へと向かっていったのだった」

 もはや勝ち目はない。そう悟った正成は、戦場に赴く途中の桜井で、息子正行を領地に帰るよう諭しました。

 「『太平記』には父・正成が息子に対して掛けた言葉が、次のように書き記されている。

『多年の忠烈を失いて不義の振る舞いを致すことあるべからず。名を後代に残すべし。これを汝が孝行と思うべし』

今回の合戦で自分が討ち死にすれば、足利尊氏の天下となるだろう。だが、これまで自分たちが貫いてきた後醍醐天皇に対する忠義を忘れて、降参するようなことがあってはならない。忠義を貫いて後世に名を残すことが、私への親孝行だと思いなさい、と正成は息子に教え諭している。

正行は父との別れの場面で、何を思ったのだろうか。その思いが綴られた記録は何も残されていない。ただし、後ほど触れるように、正行のその後の行動からその思いを推し量ることは十分にできると言えよう」

生きては帰るまいという正行の覚悟

では、父・正成亡き後、正行はどのような道を辿ったのでしょうか。

 「『湊川の合戦』で敗れた楠木正成の首は、六条河原に晒された。しかし、正成に同情を寄せていた足利尊氏の気遣いにより、のちにその首は正成の妻子のもとに届けられている。

 正行は変わり果てた父の姿を見て、あまりの悲しみに自ら命を絶とうとした。しかし、母から諭され、自害を思いとどまる。なぜ、父・正成は正行の同行を許さずに生かしたのか。残された一族郎党を養わせるためであることもさることながら、ゆくゆくは自ら挙兵して朝敵を滅ぼしてほしいという切なる願いが込められていたのかもしれない。母に諭された正行は、父・正成の願いに改めて思いを馳せたことだろう。以来、正行は来る合戦に備えて、臥薪嘗胆を固く誓い、武略と智謀の鍛錬に心血を注いだのであった」

 遂に時来る。約7年の雌伏を経て、正行が挙兵した年は、正成の13回忌にあたったそうです。

 「紀伊で兵を起こした正行は河内国を北上し、摂津国の住吉・天王寺で室町幕府軍との激戦に至るが、この時の進軍経路は父・正成がかつて辿った経路と同じであった。ここにも、正行が父・正成を思う気持ちを見ることができよう。

正行の快進撃は続く。おそらく正成を知る誰もが、正行にその姿を重ねたことだろう。一方、正行の猛威に焦りを感じた幕府側は、足利尊氏の懐刀、高師直とその兄師泰に正行討伐のため河内国へと向かわせた。

両軍が激突したのは、河内国の讃良(ささら/現在の四条畷市、大東市)。世にいう「四条畷の合戦」は、両軍譲らず大激戦となった末、幕府軍の勝利で幕を閉じた。

『太平記』では、この合戦を前に、正行は吉野の皇居で後村上天皇に拝謁した後、後醍醐天皇の墓前にも参じている。そして墓所のある如意輪堂の壁板に、決意を込めた歌を書き留めたとする。

返らじとかねて思へば梓弓(さずさゆみ)なき数に入る名をぞ留むる

放たれた矢が二度と返らぬように、生きては帰るまいという意味のこの歌は、『太平記』の創作とされるが、後世の人々が正行に抱いた想いの反映と言えよう。そしてその歌の意の如く、正行はただひたすらに大将である高師直の首を狙って突き進むも武運に恵まれず、鱸四郎という弓の手練れに散々に射抜かれて最期を遂げたのであった」

『太平記』には戦乱の世が描かれており、そこには混乱した戦場で親が子供を見捨てたり、子供が親を見捨てるという場面が多く出てくるといいます。その中にあって、楠木正成、正行親子の存在は、ひときわ輝きを放っているといえるでしょう。


(本記事は『致知』2018年6月号「楠木正成と正行」をもとに再編集したものです。『致知』にはあなたの人間力・仕事力を高める記事が満載! 詳しくはこちら

◇生駒孝臣(いこま・たかおみ)
昭和50年三重県生まれ。大阪教育大学教育学部卒業。平成12年名古屋大学大学院文学研究科博士前期課程日本史学専攻修了。21年関西学院大学大学院文学研究科博士課程後期課程日本史学専攻修了。博士(歴史学)。現在、大阪市史料調査会調査員、関西学院大学及び関西大学等で非常勤講師を務める。著書に『楠木正成・正行』(戎光祥出版)など。

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