2017年10月04日
イースター島のモアイ像を修復した人が
日本人石工だったことをご存じでしょうか。
左野勝司さんがその人。この道60年以上の匠です。
「一流になる人は心構えが違う」と
思わせる若き日の修業時代のエピソードを紹介します。
左野 勝司(石工)
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※『致知』2017年11月号
※特集「一剣を持して起つ」P42
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──独立を志されたのですね。
独立しようと思った理由はもう一つあります。
棟梁が家に行けば
「大工さんの棟梁はん、来てくれはったで」
と歓迎されるのに、石工だけは
「あ、石工も来よったがな」
と言われる。
石工は見下げられた職種の一つだということを、
思い知らされたんです。
子供ながらにこれは悔しかったですね。
まだ独立前ですが、僕は日本の石工が
ヨーロッパに行ったという話を聞いたことがありませんでしたから、
それなら自分が真っ先に行ってやろうと思いました。
往復の旅費だけで80万円ほどかかる時代でしたが、
給料は1円も使わず、酒は一滴も飲まずに
コツコツとお金を貯めて、19歳の時に一人で日本を飛び出したんです。
──人並み以上の石工になりたいと思われたのですね。
と同時に世界を見てみたいという思いもありましたね。
向かったのはフランスのパリで、シャンゼリゼ通りなど
石造物の多さには驚きました。
ルーブル美術館に行くと、階段の補修工事をやっていて、
僕は四時間も五時間も作業に見入っていたんです。
しばらくすると石屋さんのほうから
声を掛けてきて、僕は手真似で
「道具を貸してほしい」
とお願いしました。
コンコンと大理石を割ったら、まぁこれがまっすぐに
綺麗に割れてしまいましてね。
「自分たちより上手く割れるじゃないか」
というので、現場監督が
「自分の家に泊めてあげるから、しばらくここにいて仕事をしてくれ」
と言ってくれました。
信じられないような話でしょう(笑)。