2016年06月13日
岡山市を中心に一つの法人、
五つの歯科医院、一つの歯科技工所を
擁するアスペックグループ。
社長の小林充治さんは20年以上前、
歯科医院の経営と
家庭の人間関係に行き詰まり、
人生のどん底に落てしまいます。
その時、小林さんを救ったのが
ある人の紹介で出合った
安岡正篤先生の人間学でした。
ここでは小林さんのご体験談の
一部を紹介します。
────────[今日の注目の人]───
★ 安岡人間学にひかれた運命 ★
小林 充治(アスペック社長)
※『致知』2016年7月号【最新号】
※特集「腹中書あり」
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「自分を見つめ直したいから
実家に行ってきます。
そこで考えが変わらなかったら、
私は別れることにします」
妻からこう言い放たれたのは、
平成15年のことでした。
成功者の仲間入りを果たしたと
思い込んでいた私の人生は、
一体どこで狂ってしまったのか。
その時の私には
考えも及びませんでした。
私が岡山で歯科医院を開業したのは
平成4年でした。
父親の体が不自由で
実家の家計が苦しかったため、
私は子供の頃から、
自分が頑張って家族にいい生活を
させてやらなければならない、
という思いを抱いていました。
そこで大学の歯学部、
さらに大学院に進んで
がむしゃらに勉強し、
在学中に知り合った妻と、
ビルの一角を借りて
「オリーブ歯科」を開業。
妻が当時まだ珍しかった
小児歯科の認定医の資格を
持っていたことや、
「痛くない」
「待たせない」
「治療内容について明確に説明する」
というポリシーを
掲げたことなどが奏功して、
患者さんの予約でいっぱいの
人気歯科医院となりました。
大きな家を建てて田舎の母を呼び、
また33歳の若さで
市の歯科医師会の理事に就任し、
私は得意の絶頂にありました。
ところがその頃から、
人生の歯車が少しずつ
狂い始めたのです。
医師会活動が多忙になったことで、
診療にしばしば遅れが生じ、
スタッフとのコミュニケーションが
不十分になりました。
(中略)
医院の運営や医師会活動で多忙な上、
毎晩付き合いで遅くまで
飲んで帰るため、
家庭を顧みる余裕は
全くありませんでした。
そんな私に不満を募らせた妻とは
衝突が絶えなくなり、
冒頭に記したように
実家に帰ってしまった
時期もありました。
さらには、荒んだ家庭に
精神を蝕まれた長女が、
拒食症で入院する事態に
至ってしまいました。
妻から聞かされるまで、
彼女の異変に
全く気づかなかったことは、
大変なショックでした。
歯科医院の経営も家庭も行き詰まり、
私は得意の絶頂から一転、
人生のどん底に
突き落とされたのでした。
※窮地に陥った小林さんの
辛い心境がよく伝わってきます。
小林さんはその後、
安岡人間学に出合い、
経営と家庭を
見事に立て直していかれます。
安岡先生の言葉は
どん底にあった小林さんを
どのように救ったのでしょうか。