アジアで愛され続ける日本の先人たちの
功績を縦横に語った名対談
「日本の父祖の生き方に学ぶ」。
そこには、現代の日本人に忘れられてしまった
名将たちも多く存在しています。
西洋列強の植民地支配に苦しむアジア諸国の
解放のために死力を尽くした日本。
本対談には皆さんにもぜひ知っていただきたいことが
たくさんありますが、本日はその一部だけをご紹介します
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「
植民地解放のために戦った名将」
池間哲郎(アジア支援機構代表理事)×井上和彦(ジャーナリスト)
※『致知』2016年1月号
特集「リーダーシップの神髄」より
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【井上】
そして三人目が、インドネシア解放に
尽力された今村均(ひとし)大将です。
【池間】
ああ、今村大将は、私も
ぜひ挙げたいと思っていました。
【井上】
今村大将はインドネシアのジャワ島上陸作戦によって
僅か九日間でオランダ軍を追い払っただけでなく、
オランダによって流刑に処せられた
インドネシア独立運動の指導者である
スカルノとハッタを獄中から救い出しました。
僅か三年半の軍政だったものの、
圧政を禁じるなどインドネシアの人たちとの
向き合い方を全軍に布告し、人々に教育を施し、
インドネシア義勇軍(PETA)を編成しました。
日本軍が負けた後もなお2,000名以上の
日本人将校が残ってオランダからの
独立のために戦っているんです。
【池間】
今村大将がやったことは男としても
格好いいし、魅力がありますね。
日本が敗れた後、今村大将は
オーストラリア軍の裁判にかけられ
処刑されそうになりましたが、
スカルノやハッタ、民衆が動いて助けるんですね。
それだけ温厚で、
人柄も素晴らしかったようですね。
【井上】
そのとおりです。
【池間】
それで禁錮10年に減刑されて
巣鴨に収監されたわけですが、
苛酷な現地のマヌス島収容所に
入れられている部下たちを思い、
「自分だけがぬくぬくとしているわけにはいかん」
というので、マッカーサーに島送りを訴え、
マナス島収容所に移られるんです。
こういう方は他にいないと思いますね。
心から敬服します。
今村大将と並んでもう一人挙げたい名将は鈴木敬司大佐です……
教科書では教えてくれなかった日本の歴史が
本対談の随所にちりばめられています。
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表紙はマツダの会長・金井誠太氏です