2017年08月29日
本日は弊社書籍『生き方のセオリー』から、
味わい深い古典の言葉を
2つご紹介します。
言葉に出逢うということは、
その人にその言葉どおりの
人生を生きることができる
可能性がある、そうです。
読者の皆さまは最近、
どんな言葉と出逢いましたか?
───────────────────
●『生き方のセオリー』(藤尾秀昭・著)
───────────────────
私は縁あって、『致知』の編集に
38年間携わってきました。
口幅ったいいい方を
させていただけば、
38年間、人間学探究の一道に
身を献じてきたといえます。
その私の心にいま、
響いてくるふたつの
言葉があります。
一つはこの言葉です。
窮達(きゅうたつ)は命(めい)なり
吉凶(きっきょう)は人に由(よ)る
困窮に陥る。あるいは
栄達に恵まれる。
これは運命であって
人知人力を超えた世界だが、
それを吉にするか凶にするかは
その人次第である、
ということです。
深く頷かせるものがあります。
歴史上の偉人は皆、
困窮の中から運命を
飛躍させています。
一方、栄達の中にいながら
自らの人生を下落させていく
人も枚挙(まいきょ)に
遑(いとま)がありません。
窮達は命なり、
吉凶は人に由る──
この言葉を骨髄に
徹して知っておくこと。
これは人生を発展させて
いくための大事な
セオリーの一つだと言えます。
もう一つは、渋沢栄一翁が
晩年、好んで揮毫した
という言葉です。
天意夕陽を重んじ
人間晩晴(ばんせい)を貴ぶ
夕日の美しさは格別です。
一日を懸命に照らし続け、
西の空を茜色に染めて
沈んでいく夕日の
美しさは感動的です。
それは天が夕日のような
生き方を重んじている
現れに他なりません。
人間もまた、若くして才あり、
もてはやされながら、
晩年は見る影もないといった
早成の人生ではなく、
年とともに佳境に入り、
晩熟、晩晴していく
夕日のような生き方が貴い、
ということを、この言葉は
私たちに教えてくれています。
どうすれば晩晴の人生
を築くことができるのか──
そのヒントが本書の中の
一流人たちの言葉に
散りばめられています。
それをくみとり、
己の生き方に活かす方の
一人でも多からんことを
願ってやみません。