入社1年目で保険営業の頂点に立った男が大切にしてきた言葉

日本全国から優秀な営業マンが集うプルデンシャル生命保険株式会社。その中で、入社1年目にして記録的な数字を叩き出し、個人契約No.1の座を奪取した営業マンがいます。金沢景敏さん。競争の激しい営業の世界において、圧倒的な成果を出す極意をお話しいただきました。

一人ひとりが世界で唯一の存在

私は平成24年度、プルデンシャル生命の営業コンテスト個人保険部門で頂点に立ちました。入社1年目、特に最後の数か月は「物理的には不可能」と言われた大差を覆しての勝利でした。

 プルデンシャル生命に転職したのは昨年、32歳の時。前職では大手テレビ局でスポーツ中継などを担当し、名刺を出せば誰もが会ってくれるというような一見、何不自由ない日々を送っていました。

そんな私が固定給なし、経歴関係なし、「いかに多くのお客様を満足させたか」ですべてが決まる完全フルコミッションの生命保険営業の世界に飛び込んだのは、自分はこのままでいいのだろうかとの思いがあったからでした。

周囲からするとなぜ? という思いがあったでしょう。京都大学在学中には名将・水野彌一監督率いるアメリカンフットボール部でプレーし、卒業後も特に苦労なく大手企業へ就職。しかし学生時代、口では日本一になると言いながら満足に勝つこともできず、厳しい練習から逃げていた自分がいました。

「完全燃焼できなかった」との後悔の念が卒業後も拭えず、学歴や大手企業の〝看板〟の中で生きるのではなく、自分の力をもう一度がむしゃらに試してみたいとの思いがあったのです。

また就職後、記者としてアスリートに接する中で、選手を取り巻く厳しい現実にも直面しました。若くして高給をもらう選手の多くは金銭感覚に乏しく、引退後には厳しい生活になることも少なくありません。引退後に彼らが安心して競技に打ち込める環境をつくれないかと考えるようになっていました。

プルデンシャル生命の社員から「一緒にやらないか」と声をかけていただいたのはそんな時でした。

「フルコミッションの世界なら、どこまでも自分の力を試すことができる。また保険を通じてアスリートの手助けもできるかもしれない」と、すべてを抛ち、転職を決意したのです。

しかし、転職後の2か月はいくら電話をかけても、もうこれ以上ないというほど断られる日々が続きました。こちらの名前を名乗った途端、「保険の営業ですか」と電話を切られてしまう……。

しかし、ある時、ふと手に取った『鏡の法則』という本の中でこんな言葉に出合ったのです。

“あなたの人生の現実は、あなたの心を映し出した鏡”

自分が冷たい対応をされてきたのも、逆の立場だったら同じことをしていたかもしれない。

そう思うと、いくらかは相手の気持ちが理解できるようになった気がしました。

商談が失敗しても、アポが取れなくてもすべての原因は我にあり。自分がされて嫌なことは相手にもしない、自分がされて嬉しいことをとことんやっていこうと発想を変えました。

そして私は保険営業という枠にとらわれず、お客様の役に立てることはなんでも提案していこうという自分なりの営業スタイルを築いていったのです。

法律や資産の知識に乏しいアスリートの方がいれば弁護士・税理士を、独立を考えている方がいれば、志を同じくする経営者を自分の損得を考えず紹介していく。

それによって、自分もまた人と人を結ぶ役割を果たせるこの仕事にやり甲斐と誇りを見出していきました。

プルデンシャル生命のライフプランナーが提供する保険はすべてオーダーメイド。私自身もお客様一人ひとりの人生に寄り添い、心を込めて保険プランを設計していくのです。

仕事に打ち込んでいるいま、営業後の資料作りや設計が終わるのは朝の3時か4時頃です。寝袋を会社に持ち込んで、家に帰るのは週に一度きりということもありました。

転職して学生時代には理解できなかった水野監督の言葉の一つひとつが、不思議と心に響いてくるようになりました。

「男は30歳までに器が決まる。それは“頑張れる器”の大きさだ。おまえら、一回死ぬほどしんどい思いをしろ」

思えば京大アメフト部時代の経験、そしてテレビ局に入ったばかりの25、6歳の頃、ADとして雑用や人のやりたがらない仕事をとことんした経験があるからこそ、いまの生活ができているのだと感じています。

冒頭にも述べたとおり、コンテスト終盤、トップとは大きな差がありました。

「できるかできないかではなく、やるかやらないか」

水野監督の言葉を胸に、最後は自らを“二者択一”へと追い込んでいきました。

「あと一件訪問するのと、会社に戻るのと、あと一本電話するのと、明日電話するのと、どちらが日本一に近づけるだろうか」。

そうやって「一歩余計に」を地道にコツコツ積み上げることに徹していったのです。

そうしてそれらの積み重ねから不思議な縁が生まれ、終盤に差し掛かるにつれて大きな商談が次々と決まっていきました。最後の最後、まさに〝奇跡〟ともいうべき逆転勝利でした。結果的に、歴代でも記録に残る成績を挙げての優勝となりました。

この1年間で私が最も学んだことは、どんな些細なことにでも“感謝する”ということです。

家族などの周囲の支え、お客様があって初めて自分がある。電話に出てくれてありがとう、

会ってくれてありがとう、と絶えず感謝しながら、一歩一歩、歩みを進めてきたのです。

「志は高く、アンテナは高く、頭は低く」をモットーに、これからも一人でも多くの方のお役に立てればと思っています。

 

(本記事は『致知』201310月号「致知随想」よりの記事を一部抜粋・編集したものです。月刊『致知』には仕事や人生を発展させるヒントが満載です!詳細・ご購読はこちらから)

 

金沢景敏(かなざわ・かげとし)

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京都大学工学部工学化学科卒業。東大寺学園高校では野球部に所属。早稲田大学理工学部を中退後、2か月の受験勉強を経て京都大学に入学。アメリカンフットボールをはじめ活躍。京大卒業後TBSに入社。世界陸上やオリンピック中継、格闘技中継などのディレクターをした後、編成としてスポーツを担当。 2012年よりプルデンシャル生命保険に転職し、1年目で個人保険部門全国約3200人中の1位になる。 全国の営業マンの中でトップ0.01%程度しかいないTOTに3年目で到達。

 

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