3人を東大に、1人を将棋の名人に育て上げた永世棋聖・米長邦雄の母

将棋連盟の会長として日本の将棋界を長年にわたりけん引し続けた故・米長邦雄永世棋聖(四男)。ユーモア溢れる人柄の一方、「米長理論」と呼ばれる独特の勝負哲学を持ち、将棋界では異例となる50歳での名人位を獲得されました。今回はそんな米長さんを育てたお母様について、兄・修さん(次男)に語っていただきました。

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山梨の豪農の娘として育つ

母・花子が体調の不良を訴えて入院したのは昨年の夏だった。毎朝5時に起きて畑へ出かけていたが、このとき初めて「今日は具合が悪いから畑に行くの止める」と言った。おかしいと思った兄が病院へ連れて行ったときは、手の施しようのないほどがん細胞が転移していた。「正月は迎えられないだろう」という医師の言葉通り、母は入院して20日目に息を引き取った。

生前、母は何度かマスコミに登場したことがあった。41女の子どものうち、長男、二男の私、三男までは東大を卒業、四男の邦雄は将棋の名人となったことで取り上げられたのだ。のちに「兄たちは出来が悪いので東大に行った」との邦雄の名言が話題になったりもした。

もともと母は山梨・増穂(ますほ)一の豪農の娘だった。米長家も増穂で何代も続く地主であり、呉服屋とたばこ屋も一緒に営む小金持ちだった。しかし父は生まれもっての虚弱体質で、兵役検査では丙種不合格という、当時としてはまったく不名誉な烙印を押された青年だった。このままでは米長家が途絶えてしまう。心配した親族たちは、村で一番丈夫な娘を嫁にもらおうと考え、母に白羽の矢がたったらしい。

戦後、貧乏のどん底の中で家族を支える

私が幼いころは、広大な田畑やいくつもの蔵を持ち、兄弟それぞれに子守がついていたが、そんな裕福な生活も戦争に負けて一変してしまった。満鉄の株はただの紙切れとなり、農地改革で持っていた田畑はほとんどなくなってしまった。さらに父が肺結核で寝たきりになり、一家の運命は母の細腕に託されることとなった。

それから母は、猫の額ほど残った畑を耕し、残ったたばこ屋を細々と営んでどうにか飢えをしのいでいたが、いよいよ生活は苦しくなっていった。母は自分の嫁入り道具や着物を売り食いし始めた。箪笥が裏戸から運ばれていくのを母はいつまでも見送っていた。

当時は日本中が貧困のどん底で、生活を苦に一家心中をする家族が後を絶たなかった。母もまた、食べ盛りの子ども5人といつ死ぬかわからない夫を抱え、一家心中を考えたこともあったらしい。青酸カリを飲もうか、列車に飛び込もうか、川に入水しようか……。

私も子どもながらにその緊張感が伝わってきて、ある日の夕食にぼた餅が出てきたときは兄と顔を見合わせた。以心伝心で「これには毒が盛られているのではないか、怪しい」と感じ、四男が食べて何も起こらないのを見るまでは、2人ともなかなか手をつけられずにいた。

母から「勉強しろ」と言われたことは1度もなかった

一家の家計を支えるため、兄は中学を卒業したら奉公に出されることになっていた。しかし兄は成績が良く、母は担任の先生から「歯を食いしばっても高校へ行かせるべきだ」と言われた。夜中まで延々と続いた米長家親族会議の結果、長男だけは高校まで行かせることになった。

ところが兄は、高校へ進学すると世の中に東大という大学があることを知った。その大学は学費・寮費はタダ同然、金がなくても入学できるが、かなりの難関らしい。

それから兄は狂ったように勉強し始めた。するとどうだろう。それまで「早く起きろ!」「早く畑仕事へ行け!」と間髪入れず用事を言いつけていた母が、兄が勉強しているときは何も言いつけなくなったのだ。

ある日、私と弟が畑仕事をしてくたくたになって帰ってくると、兄は机に向かって勉強していた。たまりかねた私は母に食って掛かっていった。

「俺たちは畑仕事してきたのに、なんで兄貴は仕事しなくていいんだ」

「兄は勉強してるじゃないか」

そうか、勉強すれば仕事しなくてもいいんだ。それから私も本腰を入れて勉強を始め、兄が東大へ入ると、私もすぐ下の弟もそれに続いた。兄弟3人がそろって東大というとよほど教育熱心な母親と思われるかも知れないが、母に勉強しろと言われたことは一度もない。奉公か東大か。私たちにはそれしか道がなかったのだ。

四男の邦雄が将棋の世界へ進んだのも同じような理由だった。

邦雄が小学校6年生のとき、山梨でアマチュア将棋大会が開催され、初段未満の部で優勝した。すると翌日、大会で審判長を務めた佐瀬勇次名誉九段がわが家を訪ねてきて、邦雄を内弟子にほしいと言う。内弟子になれば生活費はもちろん、学費も小遣いも面倒見るという申し出に否のはずがなかった。多分、母は将棋の世界のことなどまったくわからなかったに違いない。

働くことを美徳とした典型的な「日本の母」

このように兄が東大に合格し、邦雄が内弟子として上京した昭和30年ごろから、次第にわが家の運が開けていったように思う。

話は前後するが、昭和267年ごろ、世にパチンコ屋が出来始めた。当時パチンコの景品はたばこが主流で、母は新規開店を聞きつけると、遠くは甲府まで営業に出かけて行った。母は商売の才覚があったのだろう。売り上げが山梨県で2番目になって表彰されるまでになった。

しかし母は、商売が軌道に乗っても、私たちが社会人になっても、邦雄が将棋で名人になってもまったく変わらなかった。これまでと同じようにつましくたばこ屋を続け、畑を耕した。働くことを美徳とし、嘘や言い訳を嫌った。物を大切にする心を無くさない典型的な「日本の母」だった。

奇しくも享年は米寿の88歳。いつまでも米長家を守ってくれるに違いない。

◇米長修よねなが・おさむ)——ジェムコ日本経営顧問


(本記事は月刊誌『致知』2002年5月号 特集「このままではいけない」から一部抜粋・編集したものです)

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