2019年11月22日
麻雀代打ちで20年間無敗の伝説を持ち、雀鬼と恐れられた桜井章一さん。熾烈な勝負の世界を生き抜く中で掴んだ、独自の勝負哲学が凝縮された珠玉の金言と、『桜井章一100の金言』の発刊に寄せられた桜井さんの思いをご紹介いたします。
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桜井章一の流儀
本当の強さ
勝負には「終わり」はないと私は考えています。いつも「始まり」という感覚でとらえるのが、本当の強さだと思います。
昨日の己に勝て
自分を人と比べるからおかしなことになるのです。比べるのであれば、昨日の自分と今日の自分を並べるのです。
捉え方
自分の能力で牌を操っていると思うのは過信で、本当は牌が自分と仲良く遊んでくれたような気がします。考え方、思い込み方ひとつで、運はいくらでも近くにあるんです。
知識と知恵
見えるものをどうにかするのは知識、見えないものをどうにかするのが知恵だと思います。
与える
受けようとするのではなく、相手に何を与えられるか、それを考える。守ろうとするからしんどくなるのです。攻めていく。それも楽しみながら。
全身全霊
「負けない」攻めとは、テクニックのようなものではなく、シンプルに全身全霊を込めて向かっていくときに、初めて生まれるものなのだ。
運とツキ
運やツキは気持ちのいい場所に集まってくる。マイナスの思考に占拠されてしまっているような人のところに運やツキは決して寄ってこない。
君次第
運とは、つかみ取りにいくものではなく、感じるものなのである。運は誰もの周りにふわふわと漂っていて、ある時ふっと近寄ってくる。それを感じるのも、感じないのも結局は君次第ということなのだ。
自分を救う
結局のところ、「救う」ということはその人自身にしかできません。「誰かに救われたい」と思っているうちは、自分を救うことはできない。何かに気付き、そこから自分自身を変えていく。自分を救えるのは他でもない、自分しかいないのです。
あとがきより
致知出版社の編集者から、私の語録集ができたと聞いて驚いた。
送られてきた原稿を読み通してみたが、自分では特段面白いことを言っているとは思えない。そもそも「金言集」という言葉自体が、私にはどうも似つかわしくない。どちらかと言えば、私の言葉は、土から湧いて出てきたような言葉である。とても金(きん)とは呼べない。だから「土言(つちげん)集(しゅう)」くらいでいいのではないかと答えておいたが、これは半分冗談、半分本気で言ったことである。
まだ幼かった頃、私は凧揚げに興じながら、こんなことを思った。
「凧は天高く舞い上がっても、夕暮れには地に還る」
上に上がるほど見晴らしはよく、気分もよくなるが、いくら上がっても、最後は必ずまた元に戻ってくる。このことを私は「土に還る」と表現し、自戒の一つとしてきた。私に褒められるところがあったとすれば、その心掛けを今日まで忘れずにきたことだろう。
高い所にいては見えないことがある。感じ取れないことがある。私が土に還ることを大事に考えるのも、そんな思いからである。土から掘り出してきた言葉が、読む人にとっていささかでも益することがあれば嬉しい。
(本記事は『桜井章一100の金言』(弊社刊)(桜井章一・著)から一部抜粋・編集したものです。あなたの人生、経営・仕事の糧になるヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら)
桜井章一(さくらい・しょういち)
昭和18年東京都生まれ。大学時代に麻雀を始め、裏プロとしてデビュー。以来、代打ちとして引退するまで20年間無敗、「雀鬼」の異名を取る。引退後は「雀鬼流麻雀道場 牌の音」を開き、麻雀をとおして人間力を鍛えることを目的とする「雀鬼会」を主宰。著書に『負けない技術』(講談社)など多数。最新刊に『桜井章一 勝運をつかむ100の金言』(致知出版社)。
真剣な眼差しで道場生の一打一打を見つめる