「他社の類似品は出すな」「面白いと思うものをつくれ」任天堂・山内溥社長の経営哲学

祖父から継いだ花札とトランプのメーカーだった任天堂を一代で世界企業へと押し上げた山内溥氏。当時取材にあたった編集者は「とにかく型破りな経営者であるというのが山内社長の第一印象である。その勝負師然たる風貌は、取材中、終始くずすことはなかった」と記しています。今回は1989年に山内社長が語った貴重なインタビュー記事をご紹介します。

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任天堂はなぜ変身できたのか?

〈山内〉
人間の運というものは、死んでみないとわからんと思っているんだかね、そういう意味でいえば、私は運がいいか悪いかわからんが、今の時点で過去を振り返ったら、運がよかった部類に入るんじゃないですかな。

だいたい、ファミコンなんてのは、ずーっと後からの話でね、最初は家業を祖父から継いで、長い間、花札とトランプを作っていたわけです。世間では、任天堂はファミコンを出したときから変身したっていうが、たかだか6年くらいしか経っていない。

繰り返すようやが、結果としてこういうことになったんであって、逆に明日はどうなるかわからない。だから、私は、会社をこうしようとか、ああしようとか思ったんじゃなくて、これはもう、企業やから生き延びなければいかんのです。最初から自信があったり、採算があったりしたわけやなくて、じっとしていたら沈んでしまうからもがいた結果が、今日の任天堂をつくったということですな。つまり、成功は目的じゃなくて結果だということだよ。決して、私が優れていたから、企業が変身できたとは思ってないよ。

さっきから言うように、今日の任天堂はもがきにもがいた結果であって、何も先見の明があったわけやない。私なんか大した男とは違うのや。一番金がかからなくて、一番簡単に、一番手っ取り早くやれるものは何があるかを探したら、やはり娯楽商品しかなかったということや。だから、任天堂も初めはオモチャ屋さんがやるようなことをしていた。しかし、やっているうちに気づいたんやが、在来の玩具というのは所詮オモチャ屋さんの舞台なんだね。

つまりプラスチックとか、金属とか、モーターなどを使って作るオモチャだと、どうしても任天堂より専業の玩具メーカーのほうがうまい。それだけの歴史もあるし、実績もあるわけや。当然、アイデアやノウハウだけでは勝負にならん。そこで、アイデアだけじゃなく、技術力で勝負しなければ勝てないと思った。それが、エレクトロニクス・トイに進出するそもそものきっかけですね。しかし、それもよく考えてみると、オモチャ業界でよそと違うことをしようと思うと、そこしか残っていなかったということや。これも、ひたすら生き延びようとした結果にしかすぎないんですな。

不安は当然ありましたよ。そうそう自信満々の人生などというものがたくさんあると思えないな。自信満々でやったとしても成功するとは限らないし、不安を抱きながらやったとしても成功するときは成功するんやから。

そんなことは意識したこともないし、そんなこと意識したら商売というものはできないと思うんだよ。商売は、すべて結果論じゃないですか。成功したら、後から理屈がくっついてくるだけでね。栄枯盛衰は世のならいだから、成功したからといって、いつまでも、いつまでも続くわけがない。企業というのは、激動激変する中を歩いているわけですから、こうしたから成功したといったって、なんにもならないわけや。

人々が遊んで面白いと思うものをつくる

〈山内〉
世間では、私たちが時代の変化を予測していたようにいうが、決してそうじゃない。苦しい時代が長く続き、そうしたときにマイコン革命が始まった。で、嫌でもその道を行くしかなかったということですな。

企業においては、確かに冒険精神は必要不可欠なものだが、何も現在、小は小なりにうまく暮らせるものを、わざわざヤケドしに行くことはないという気持ちも、私にはあるんや。しかし任天堂の場合は、現実に何かしなければ会社がなくなってしまう、という危機意識が非常に強かったということですな。つまり、変身する以外に生き延びる道が見つからなかったのです。

はっきり言えることは、われわれ娯楽業界というところは、商品が売れるかどうかという前に、人々が遊んでおもしろいと思うものをつくることです。それが任天堂ビジネスだよ。その結果として、多くの人たちにおもしろがられて広まってくれば、ファミコンならファミコンというマーケットが誕生する。

商品が売れるか売れないかは、正直いって誰もわからんよ。しかし、おもしろいか、おもしろくないかは誰にでもわかる。おもしろいものをつくれば会議で検討したり、市場調査をしたりする必要もないわけや。事実、ゲームソフトで370万本売って超ベストセラーになった「スーパーマリオブラザーズ」など、100人中90人までがおもしろいと評価していたよ。

娯楽というものは、独創性を持たないで、人のやったことをやっていたってしかたがないんや。独創性を発揮して、それが認められるような商品でなかったら新しい市場は成立しない。新薬の開発のように、何かを深く掘り下げて、その技術の上に立って戦略を考えるというのとは根本的には違うんです。

だから、今までこんな遊びがあった、これを改良、改善すればなんとか商売になるのでは……という発想では絶対うまくいかん。だからこそ、他社の類似品は出さんというのが、任天堂のモットーなんです。

亡き父が愛した言葉

〈山内〉
よく、任天堂は急成長したと話題にのぼる。トランプと花札の会社が、先端技術を使ったゲーム機メーカーに様変わりしたこと自体が、不思議でしようがないらしくて、「任天堂商法」なんてことまでいうけど、特別な商法なんて何もない。外から見ると、何か大層な戦略展開をしたように見えるかもしれんがな。

言ったように、花札とトランプから離れていったのは、こうした伝統的な遊びの人気が落ちたからで、時代が変化したからです。そのためやむを得ず転換を図った。それだけのことでしかない。

それ以降は、幾多の苦難を経ながら、ともかく生き延びてきた。もっといえば、明確な経営戦略などがあったわけじゃなくて、文字どおり試行錯誤の連続で、その失敗の積み重ねの中から、少しずつ体で覚えて勉強し、それを材料として、たまたま幸運に恵まれて、昭和55年からようやく急成長の波に乗ったわけや。だから、最初にも言ったように、運がよかっただけなんだよ。

今の娯楽ビジネスは私一代で十分だと思っているから、好きにやらせてもらっている。次の社長は今の路線を引き継ぐ必要などないな。次の社長の個性で会社を経営すればいい。その結果、会社が傾き、株が紙くず同然になってもいいと思っているんや。

その心境に達しちゃいないが、

「失意泰然 得意冷然」

という言葉は、幼いころ私と生別した父が46年に死んだとき、その奥さんが、父の形見の角帯と一緒に「これがお父さんの好きな言葉」と送ってきてくれたんや。それ以来、これといった座右の銘はないけど、この言葉は自分にとっては理想的な心がけだと思っている。

ま、たまたま運がよくて任天堂という会社も変身できて、業績も伸びているが、今こそ、得意冷然という言葉をかみしめるときかもしれないですな。


(本記事は『致知』1989年11月号 特集 「想いを込める」より一部抜粋したものです)

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◇山内溥(やまうち・ひろし)
昭和2年京都府生まれ。同27年、祖父に当たる先代社長が病に倒れ、同25年早稲田大学法学部を中退、社長に就任。昭和58年に販売した「ファミリーコンピュータ」は世界的大ヒットとなった。平成14年より取締役相談に就任。同17年より取締役として任天堂を支えた。平成25年死去。本原稿は平成元(1989)年に書かれたもの

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