2017年11月08日
かつて「異端の三樹彦」と呼ばれながらも、
一途に自分の信じる道を歩み続けた俳人・伊丹三樹彦さん。
97歳のいまもお元気な伊丹さんが語る
80年以上にわたる俳人人生とは──
伊丹 三樹彦(俳人)
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※『致知』2017年12月号
※連載「生涯現役」P96
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──伊丹さんは俳句一筋の人生を歩んでこられ、
今年で97歳になられたそうですね。
13歳からだから、もう80年以上俳句をやってきました。
役者馬鹿っていう言葉があるけど、私の場合は「俳人馬鹿」(笑)。
俳句以外は何にも知らない。
いまは一人暮らしで、ヘルパーさんが毎日来て
日常のことをやってくれているんだけど、怒られてばっかりや。
この前も部屋のスリッパでベランダに出たら、裏が汚れちゃってね。
洗濯物を増やさないでくれと怒られた(笑)。
──少し前に入院されたと伺っていますが、もう大丈夫ですか?
そうそう、肺炎でね。
医者からは最低でも三週間は臥せてもらうと
言われましたけど、二週間で退院できた。
「あんたは底力があるね」って医者に驚かれたけど、
私は病気を7、8回はしてますよ。
一番は脳梗塞、それから黄疸、赤痢、ヘルペス、それに鬱病まで。
──それらの病気をすべて乗り越えてこられたわけですね。
ええ。八病不屈でしぶとく生きていますねん(笑)。
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・『致知』のバックナッバー勢揃い
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──どういったきっかけで俳句を始められたのでしょうか。
きっかけは車内俳句やね。
──車内俳句、ですか。
そう。私は小学校卒業後は、神戸一中(旧制)に
行きたかったんだけど親が許してくれなくてね。
「おまえは実用人間になれ」という言葉に従って、
兵庫県立工業学校(現・県立兵庫工業高校)の建築科に入ったんですよ。
家から学校までは三木駅から播州鉄道で加古川駅に出て、
そこから山陽本線に乗り換えて兵庫駅まで行く。
当時はまだ電車はないから、蒸気機関車でした。
汽車ぽっぽに乗って、加古川、明石、舞子、須磨と、
窓から見える景色はどこもええとこばっかりでね。
明石海峡には帆掛け船が浮かんでいた時代ですよ。
もう自然と詠いたくなるやん(笑)。
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