2026年10月21日
~本記事は月刊誌『致知』2026年11月号 特集「夢なき者に成功なし」に掲載の対談(かくして途上国に希望の光を灯してきた)の取材手記です~
「途上国で苦しむ人々を助けたい」
「医療の届かないところに医療を届ける」という理念のもと、2004年に国際医療NGO「ジャパンハート」を設立し、ミャンマー、カンボジア、ラオスといった医療が十分に行き届いていないアジアの途上国で無償の医療活動を実施。現在では国内外での治療・手術を年間約4万件、累計治療総数は40万件を超え、貧しい子どもたちの命に寄り添ってきた吉岡秀人さん。
「途上国から世界に通用するブランドをつくる」を理念に、途上国で生産した高品質なバッグやジュエリーを国内外で販売するファッションブランド「マザーハウス」を2006年に創業。いまではバングラデシュやネパールをはじめとしたアジア6か国の自社工場・提携工房、販売店は国内50店舗、海外8店舗を展開するまでに導き、途上国の秘めた可能性を引き出してきた山口絵理子さん。
医療支援と経営──歩んできた道は違えども、「途上国で苦しむ人々を助けたい」という一心で、たった一人で活動を開始したお二人は、いかにして今日の発展に至ったのでしょうか。そして、途上国での活動に懸ける思いとは――。
月刊『致知』最新号(2026年11月号)特集「夢なき者に成功なし」に、吉岡秀人さんと山口絵理子さんの対談記事が掲載されています。対談のタイトルは「かくして途上国に希望の光を灯してきた」です。

ご縁に紡がれて
企画の発端は今年1月頃、吉岡さんから対談企画のご提案をいただいたことがきっかけです。
吉岡さんは2025年5月号 特集「磨すれども磷がず」にご登場いただき、海外医療支援に半生を尽くしてきた足跡を振り返りながら、初志貫徹する秘訣を語っていただきました。医療環境が十分に整っていない途上国で多くの命と向き合う中で辿り着いた境地、「医療が受けられない、一番傷つきやすい貧困層に対しての行動を続けたい」という揺るぎない信念に、多くの反響が寄せられました。
そこから1年近くが経過するに当たり、2025年3月28日にはミャンマー中部を震源とするマグニチュード7.7の大地震を経験されたことも踏まえ、吉岡さんの中で死生観や人の上に立つ者としての価値観が変化してきたといいます。その深まった心境や逆境を乗り越える心得を伺いたいと、企画を検討し続けました。
そして「懇意にしている方はいらっしゃいますか」と吉岡さんに尋ねた中で、ひと際目を惹かれたのが、マザーハウス創業者の山口さんでした。
実は、山口さんがマザーハウスを創業されて間もない頃、『致知』2010年2月号 連載「第一線で活躍する女性」でご登場いただきました。その後、山口さん率いるマザーハウスは事業規模をどんどん拡げ、世界中から注目を浴びるようになります。山口さん自身も女性社会企業家のパイオニアとして経営の最前線を走り続け、今年創業20周年の節目を迎えられました。
それぞれ異なる形で途上国に寄り添ってこられたお二人が語り合う人間学談義に、ぜひ耳を傾けたい。そう思い至り取材依頼をすると、すぐに快諾のお返事をいただき、対談が実現する運びとなりました。
対談取材は9月上旬、都内ホテルにて行われました。取材時間は2時間に及び、その内容を凝縮して誌面10ページの記事にまとめました。
↓対談内容はこちら!
◇「60点、70点でも広げていくことが大事」
◇この世界に幸せを増やす ベストオブカントリーをつくる
◇単身途上国に飛び込んで見えたもの
◇救いの手を差し伸べられるのは自分しかいない
◇「この地に希望の光を灯したい」
◇誰かの力になりたい その思いこそがサステナブル
◇経営もデザインもすべて繋がっている
◇命に向き合う中で掴んだ人生の真理
◇アクションし続けることで現実は変えられる
◇手術の最中に襲ったM7.7の大地震
◇理想と情熱を長続きさせる3つのポイント
なお、山口さんの公式YouTubeチャンネルでは、お二人の対談取材時の動画が公開されています。
対談動画では、紙幅の都合上、誌面では削らざるを得なかった要素も盛り込まれています。お二人の肉声や表情、言葉の間合い、対談の空気感までダイレクトに感じ取れ、その志や情熱がより鮮やかに伝わってきます。
誌面を読むことでお二人の言葉一つひとつをじっくり味わい、動画を通してその言葉に込められた思いや人柄をより深く感じ取ることができるでしょう。
挫折や試練を受け止め、前進し続けるバイタリティー
お二人の共通点は、単身途上国に渡って活動を開始されたこと、原点に自身のコンプレックスがあることをはじめ、枚挙に遑がありません。中でも筆者が心を動かされたのは、挫折や試練を受け止め、前進し続けるバイタリティーです。
吉岡さんは勤務医として研鑽を積んでいた1995年、30歳の時、慰霊団の依頼で戦後50年の節目に19万人の日本兵が亡くなったミャンマーへ単身渡りました。メッティーラという人口30万人ほどの街で無料の巡回診療を始められますが、ミャンマーでは電気が来ない、水は濁っている、十分な薬や設備もなければ、医療保険もありません。
日本の医療界の常識が全く通用しない劣悪な衛生環境に手術を阻まれましたが、吉岡さんは決して逃げ出しませんでした。
いまの時代はあれがない、これがないって言われますけど、あの頃の僕に比べたらましやろうと思います。最初は劣悪な衛生環境で手術をするのは憚られました。
それでも、最後の希望を懸けて手術を求める人がいて、彼らは自分がやらなければ命を諦めるしかないと知り、手術を受け入れました。
吉岡さんは停電に備えて懐中電灯を用意したり、感染症のリスクを取り除くために窓を閉め切って空気の流れを止めたり、絶えず創意工夫を凝らすことで、一日数十件の手術を行えるようになったのです。その後ジャパンハートを立ち上げた吉岡さんは、いかにして今日の発展へと導いてこられたのか。その全貌は本対談に余すところなく紹介されています。
一方の山口さんは、バングラデシュの大学院に通う中で「援助ではなく働く場所がほしい」と願う現地の同級生の声に突き動かされ、国の特産品のジュートを用いたバッグづくりから途上国の魅力を発信するマザーハウスを立ち上げました。社会的な取り組みが脚光を浴び、創業当初から各メディアで取り上げられ、バッグは順調に売れたものの、利益はほとんど出ず、1年目は他所でアルバイトをするような状態でした。
生産地の提携工場でも苦難は絶えず、不良品率は95%を超え、パスポートを盗まれたことも。挙げ句の果てに、一晩のうちに設備ごと夜逃げされた際は、数日涙が溢れて止まらなかったといいます。しかしながら、創業2年目の2008年にはバングラデシュに初の自社工場を設立するなど、山口さんはリスクを承知で行動し続けました。
創業期に仕事を続ける原動力になったのは、「この地に希望の光を灯したい」との想いです。
私が諦めたら、一体誰がこの国に光を灯すんだと。その強い使命感があったからこそ、辛くても苦しくても前進することができました。
どんなに辛くても苦しくても、使命を糧に前進し続ける。コロナ禍で売り上げがほぼゼロに陥る逆境に遭いながら、次から次へと手を打つことでさらなる発展に導いてこられたのも、並々ならぬ使命感があったからでしょう。
最後に、お二人のお話の中でとりわけ心に響いた言葉を紹介します。
〈吉岡〉
物事を成就できるか否かは、結果がよかろうと悪かろうと、すべては自分が選択して辿り着いた結果であると引き受けられるかどうか。そしてあらゆることは自分のためにやっているという自覚を持つことです。
30年以上途上国で医療活動を継続してこられたのは、一所懸命治療して人々を幸せにすることによって、自分も幸せになると分かっているからに他なりません。
世のため、人のためと思いながらも、自己犠牲を続けていればいずれ挫折してしまう。人のために生きることは、自分のために生きること。その自覚こそ継続する原動力になるというのが僕の実感です
〈山口〉
私は理想と情熱を長続きさせるために、次の3つのポイントを心掛けてきました。1つ目は、ビジョンを大きくすること。ビジョンが人の行動を決める以上、そのビジョンが数年後もずっと輝いているかはとても重要だと思います。
2つ目は、定点観測をして、自分の立ち位置をはっきりさせることです。大きなビジョンを描けば描くほど、自分がいまどこにいるのか分からなくもの。ゴールと現在地の間に小さな目標を設定し、それらを達成していくうちに、少しずつ前に進んでいけるんです。
そして3つ目は、プロセスの中で生まれた夢も追加すること。ワクワクしていないと挑戦は生まれない。そういう意味では、ビジョンに進む道中で見つけた夢を取り入れる柔軟性も欠かせません
吉岡さんと山口さんが挑戦を続ける過程で掴んだ「夢を実現させる秘訣」には、私たちの日常の仕事や人生に活かせるヒントが満載です。ぜひ本誌の対談記事をお読みください。
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