2026年10月18日
大阪府堺市倫理法人会の会長を務める亀井潤一郎氏は、かつて裏社会に身を置いた経験があります。そこから見事に立ち直り、現在経営者として歩み続ける力となったのが『致知』と倫理法人会での学びでした。亀井氏は人間学の学びによっていかに人生を転換し、幸せという運をつかんだのでしょうか。『致知』との出会いと、そこで得た学びについてお話しいただきました。
(本記事は月刊『致知』2026年10月号 インタビュー「人間学の学びが僕の運命を変えた」より一部抜粋・編集したものです)
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人生を変えた『致知』との出合い
<亀井>
刑務所の団体部屋に回ってきた新聞でたまたま『致知』創刊30周年の記念広告を見たのは、祖母が亡くなる少し前のことでした。「人間学」という言葉が目に留まり、「何やこれは」と。定期購読でしか読めないということでしたから、手紙を書いて申し込みました。だけど正直、「住む世界が違う人の話やな」と思って、読むのはそのままになっていたんです。
その頃、刑務所には僕が「親父」と慕う刑務官がいました。理由はいまでも分からないのですが、親父はなぜか僕を気に入ってくれましてね。各工場から一人しか参加できない外部講師の勉強会に僕を参加させてくれたり、いろいろな面で便宜を図ってくれたんです。
自分を可愛がってくれた祖父母が亡くなり、親父の恩義に報いるためにもちゃんとせなあかんな、揉め事など起こしたらあかんなと思った時、初めて勉強しようという気持ちが起きました。それまでまともに勉強なんかしたことはなかったけれども、パッと目に入ったのが毎月届く『致知』でした。
――それから『致知』を読むようになった?
<亀井>
最初は「やはり面白ないな」と思って読み始めました。しかし、1つの記事を読み返すと違う感覚で心に飛び込んでくるんですね。そのうちに登場された方々に対する憧れが湧いてくるようになりました。「この人、えらい苦労されたけど、こんな逆転劇があるのか」「人間はこんなに立派に生きられるんか」と感動を覚える度に、いつしかマーカーを引き、気に入った言葉をノートに書き写すようになっていました。
「特集総リード」は僕にはとても難しかったのですが、何度も辞書を引きながら読み、そこに紹介された本もたくさん購入しました。そのうちに自分で希望して雑居部屋から独居部屋に移してもらい、生まれて初めて耳栓を買ってテレビの電源も抜いて、作業から戻るやすぐに読書に耽ふけるようになっていました。
その頃は毎月『致知』が届くのが楽しみで楽しみで、隅から隅まで貪るように読んで、出所したら地元の木鶏会に参加したいと強く思うまでになっていたんです。
そういう期間が3年ほど続いたでしょうか。2011年11月に35歳で出所した時は、反社に戻る気は全くなくなっていました。とはいえ、そんなに簡単に抜けられる組織ではありません。組織のトップに引退を伝えるも、許してはもらえず、一旦大阪を離れました。ただ、組との間で特にトラブルがあったわけではなく、ほとぼりが冷めた頃を見計らって、2012年、友人と2人でK-RENT というレンタカーの会社を堺市で立ち上げました。
事故が起きた場合に駆けつけるレッカー車や代車を請け負う社員10人ほどの会社ですが、最初は全くうまくいかず何年も赤字続きでした。何しろ経営のイロハどころか、請求書の書き方一つ知らないわけですから。ありがたかったのは、たまたま飛び込み営業をした会社の社長さんから異業種交流会を紹介され、そこから縁が広がって5年ほどで売り上げが5倍になったことです。現在は近畿一円をエリアに事業を展開しています。
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◆暴走族から裏社会の道へ
◆祖父母が教えてくれたこと
◆人生を変えた『致知』との出合い
◆自我を手放す生き方を目指したい
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◇亀井潤一郎(かめい・じゅんいちろう)
昭和51年大阪府生まれ。平成24年堺市でレンタカーの会社K- RENT を立ち上げる。令和元年堺市倫理法人会入会。事務長、副会長、専任理事を歴任し、令和6年会長に就任。
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください










