2025年11月09日

世界の強豪相手に真っ向勝負のファイトスタイルを貫き、多くの人たちに生きる力、生きる希望を与えた元総合格闘家の大山峻護さん。格闘家を引退後は、難病「アミロイドーシス」と闘いながら、画家として多くの作品を制作、2026年10月には初のアメリカのニューヨークにて個展を開催するなど、芸術を通じて人々の心に温かい灯をともし続けています。そんな大山さんに、作品に込める思いを語っていただきました。対談のお相手は、パラサイクリング選手の官野一彦さんです。
(本記事は月刊『致知』2025年12月号掲載の対談「喜びも悲しみも、すべてを人生のギフトに」より一部抜粋・編集したものです)
難病は成長のためのギフト
<官野>
……大山さんも、格闘家を引退した後もいろいろなことに挑戦されていて本当に素晴らしいです。
<大山>
私は26歳で総合格闘技の世界に入り、2014年、40歳の時に現役を引退しました。
以後、格闘技とフィットネスを融合させた企業向けの研修「ファイトネス」(社員同士でミット打ちなどを行い、健康増進と組織の一体感を高める研修)の普及に取り組んだり、2020年には妻とYou-Do協会を立ち上げ、アスリートと障がいを持つ子供や児童養護施設の子供たちの交流を深める社会活動にも取り組んできました。
それで最近、趣味で絵を描くようになったのですが、実はそのタイミングで難病の「アミロイドーシス」を宣告されたんです。
昨年、妻と一緒に歩いている時、息が上がったので、おかしいと思って近くの病院に行ったら、別の大きな病院で検査入院することになって、最終的に今年4月、難病であることが分かったんです。
<官野>
ああ、突然難病に……。
<大山>
これは神経や心臓に障害が出て、息切れや痺れ、不整脈など様々な症状を引き起こす進行性の難病で、いまのところ治療法はないんですね。ただ、尊敬するアントニオ猪木さんが亡くなったのもこの病気ですから、運命を感じていますし、何より〝死〟を身近に感じるようになったことで、長いと思っていた人生、残された時間がすごく愛おしくなりました。
趣味で始めた絵にしても、難病だと分かってから、皆が何かを感じてくれる作品を一つでも多く残したいという思いが込み上げてきましてね。本気で向き合うようになって、この12月に都内で個展を開催するまでになりました。
ですから、この難病も自分を成長させてくれる〝ギフト〟だと受け止め、感謝しているんです。

<官野>
僕もある日突然、事故に遭って障がい者になりました。「明日、君は障がい者になる」なんて誰も教えてくれませんでした。
難病と障がいを比べることはできませんが、私も障がい者になった時、人生、明日どうなるか分からないことに気づかされ、「きょうも頑張った」と言える悔いのない日々を送ろうと決めました。
ただ、大山さんのように、難病をギフトだと感謝して受け止められるかどうか……。やはり大山さんはすごい人だと思います。
(本記事は月刊『致知』2023年3月号 特集「 一心万変に応ず」より一部抜粋・編集したものです)
◎『致知』2025年12月号に大山峻護さんがご登場!!
事故による頸椎損傷という苦難にも屈せず、2016年のリオデジャネイロパラリンピックにて日本車いすラグビー史上初の銅メダルを獲得し、現在はパラサイクリング選手として飽くなき挑戦を続ける官野一彦氏と共に、勝利への道、人を生かし自らを生かす道を語り合っていただきました。
◇大山峻護(おおやま・しゅんご)
昭和49年神奈川県生まれ。5歳から柔道を始め、中学2年生で講道学舎に入る。平成5年作新学院高等学校卒業、9年国際武道大学卒業。10年第28回全日本実業柔道個人選手権大会・男子81kg級優勝。13年柔道選手からプロ格闘家に転身。22年「マーシャルコンバット」ライトヘビー級タイトルマッチ王座獲得、24年初代ROAD FCミドル級王座獲得。26年現役引退。現在は格闘技を応用した研修プログラム「ファイトネス」を通じて、教育機関や企業などでチームビルディング、メンタルタフネスに尽力している。また、令和2年に一般社団法人You-Do協会を立ち上げ、アスリートと児童養護施設等の子供たちを繋ぐ活動にも取り組む。著書に『ビジネスエリートがやっているファイトネス』(あさ出版)などがある。
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください












