2026年02月18日

高級魚として定番のふぐの中で、最も高価で美味とされるとらふぐ。これをコースでも数千円という廉価で提供、日夜大勢の客が舌鼓を打つとらふぐ料理専門店が「玄品」です。同店を国内外66店舗展開する関門海(大阪府)の五代目・山口久美子社長は、創業者の妻にして、予期せず会社を受け継ぎ発展させてきました。本記事では、社長就任のきっかけとなった創業者との別れについてご紹介します。
(本記事は『致知』2025年11月号インタビュー「『どんな時も、笑っとけ!』創業者が見た夢の続きを見る」より一部を抜粋・編集したものです)
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不意に溢れ出た「ありがとう」
〈山口〉
常に明るく笑顔を絶やさない彼の周りには元気のある仲間が集まって、会社にはふぐの研究所ができ、どんどん発展していきました。主人は社員に教えるのと同じことを、私や子供にも言うんですよ。例えば「くーちゃん、一番大事なのは愛やで」。あと「どんな時も、笑っとけ!」って。
――お人柄が伝わってきます。
「玄品」の名を掲げたのは2002年です。当時99店舗あった系列店の名前は、仲間たちが思い思いにつけていて、統一感がありませんでした。そんな折、神戸在住で、伝説的な美術作家の綿貫宏介先生とご縁があり、この屋号を名づけていただいたんです。
これは先生の造語です。「玄」とは「ものの極み」。流行や他の店がどうかは関係ない。うちはこうだ! という品物を追求しなさい。本物でありなさい。そんな指導を以後もずっと受けました。
こうして全店が「玄品ふぐ(当時)」で統一され、東京でも6時間待ちの店が出てきました。
――関東圏でも成功された。
ところが3年後、会社が東証二部に上場してすぐ、2005年11月15日のことでした。
会社から帰った主人と、家族でいつものように夕飯を食べ、仲間との行きつけの店に出かける彼を見送ったほんの数時間後、真夜中に電話が鳴ったんですね。
警察からでした。「いま、事故に遭われた方の鞄に『山口聖二』さんの名刺が入っています」。
最初は、会社の人かなと思いました。でも、本人の可能性がありますかと尋ねたら、「はい」って。
彼は、ふぐに対してはもちろん、「人」を何より大切に思って努力していました。あの夜も仲間と語り合った後、会社に戻って養殖の研究に没頭していたんです。その帰りに事故に遭ってしまった。
救命救急センターに運ばれたと聞いて、すぐ車に乗って大声で泣き叫びながら向かいました。着いたらもう会社の人がいて、手術室の前で待ちました。しばらくしてお医者さんが出てきて、ひと言「お亡くなりになりました」と。
――……。
44歳でした。その瞬間、こう思ったんですよ。「ああ、『ありがとう』って言えてない」。
すぐ主人のもとに連れていってもらうと、まだ体が温かかったですね。
その温かい体をさすってあげながら、ずっと「ありがとう、ありがとう」って言っていました。何でもやってもらうばかりで、お返しできていませんでしたから。ひらすら感謝でした。
――悲しみにもまさる感謝が。
当時、子供が上から小学6年生、5年生、3年生。一人で育てることに恐怖はありました。
ただ、主人が言っていたんですよね。「くーちゃん、大抵のことは、大したことないんやで」と。だから、主人が亡くなったことも「大したことない、私は乗り越えられる」、そう思えました。
お葬式では、子供たちに「パパは『いつも笑っとけ』言うてたよな。笑顔で見送ろうな」と伝えて、泣かないで、笑顔で主人を見送りました。歯を食いしばってそうしたわけじゃなくて、ごく当たり前に。主人が、そういう家庭にしてくれていたんですよ。
本記事の内容↓↓
◇45年の歴史は、こだわりの賜物
◆人を愛し、人をつくる 創業者と共に歩んで
◇不意に溢れ出た「ありがとう」
◆遺されたものに命を吹き込む
◇正しいことを正しく、当たり前を当たり前に
◆創業者が目指した愛ある社会のために
◇山口久美子(やまぐち・くみこ)
昭和47年大阪府生まれ。平成4年帝塚山学院短大卒業、関門海創業者・山口聖二氏と結婚。24年関門海入社。CI推進部、執行役員を経て29年副社長、30年より社長。令和5年「女将のカウンター」を開き、週2回自ら現場にも立つ。
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