2025年11月07日
~本記事は月刊誌『致知』2025年12月号 特集「涙を流す」に掲載の対談(人生の悲愁を越え命を見つめて生きる)の取材手記です~
夢にまで見た出逢い
2001年に起きた大阪教育大学附属池田小児童殺傷事件から24年の歳月が流れました。12月号で「涙を流す」という特集を組むに当たり、池田小事件で当時小学2年生だった愛娘の優希さんを亡くした本郷由美子さんにご登場いただきたいと考えました。その思いを本郷さんにお伝えしたところ、「これは私の夢でもあるのですが…」として、本誌でお馴染みの文学博士でシスターでもある鈴木秀子先生との対談を希望されました。
本郷さんが鈴木先生との対談を「夢のようなこと」と語られたのには理由があります。対談の冒頭、本郷さんはご自身が抱いてきた思いについて触れられています。
「私の叔母が以前、鈴木先生と親交があり、先生は池田小事件の後、優希をはじめ亡くなった8人の子供たちのために都内で静かにミサを挙げてくださいました。
また、事件の2年後に私が出版した手記『虹とひまわりの娘』を読んで、叔母宛にとても心のこもったお手紙をくださったのですね。叔母はこの手紙をすぐに私に届けてくれたのですが、私にとっては再生の扉への招待状であり、いまも大切なお守りなんです」
これに対して鈴木先生は、次のように答えられました。
「いまでもよく覚えていますけれども、事件の後、本郷さんの叔母様が私を訪ねてきて、当時の状況をとても丁寧に話してくださいました。
『きょうはお祈りをお願いにきました』とおっしゃって、その日以来、私はずっとお祈りを続けてきています。祈る度に皆様のことを思い出すので、きょう初めて本郷さんにお会いしたのに、まるで昨日もお会いしたかのような親しみを感じているんです」
ずっと生きる支えにしてきた「再生の扉への招待状」
事件後、生きる希望すら失っていた本郷さんにとって「再生の扉への招待状」となった鈴木先生のお手紙。そこには何が書かれてあったのでしょうか。紙幅の都合上、誌面では掲載できなかったお手紙の内容をここでご紹介させていただきます。(許可を得た上で抜粋)
この本を読んだ後、優希ちゃんは短いながらみごとに自分の使命を成し遂げ、人生を完成させて世に多くのものを残しながら至福の世界に旅立ち、今は、愛する家族のために、力と慰めと愛を降り注いでいることを確信しました。
娘を突然亡くしたお母様のお気持ちも痛いほど伝わってきて、深い苦しみと悲しみと、表現できないようないろいろな思いが体中にうずまく様子が手にとるように伝わってまいりました。
優希ちゃんのお母様だけでなく、人間は苦しみにあうと、こういう辛さを通り抜けて成長していくのだ、ということをこの本は教えてくれています。
著者の由美子さんは意識していないでしょうが、この本は深く深く心に傷を負った人がその傷を自ら受け止め、癒しつづけ恵みに変えていくすばらしい人間性があふれています。
現実から目をそむけたい気持ちにうちひしがれそうになりながらも一ミリずつ前進し、現実を受け止めながら、まわりの人との絆を感じあいながら、歩みつづけるお母さんの凜々しさ、見事さ、優希ちゃんへの愛の大きさが、読む人に大きな感動を与えてくれます。子どもを失った母と父の悲しみを通しながら、生きているということのすばらしさを教えていただきました。
この本は、天国の優希ちゃんからの支えと愛と力添えで書かれた本だと思います。優希ちゃんの愛の証でもあります。
優希ちゃん一家には、まだまだ辛い日々も続くでしょうが、それが恵みとなり祝福と感じられる日がやがて来るでしょう。
小さいお嬢様、優希ちゃんのおじい様、おばあ様のためにもお祈りをお捧げ申し上げております。小さいお嬢様もきっと見事に成長を続けることでしょう。
感謝を込めて

シスターとして多くの人たちの悩みや悲しみに、静かに寄り添い続けてこられた鈴木先生。本郷さんがこの手紙のひと言ひと言を噛みしめ力としながら、24年という歳月を歩いてこられたことを思うと、とても感慨深いものがあります。
絶望の淵から立ち上がる力となったもの
優希さんの死をきっかけに本郷さんの人生は大きく変わりました。
事件から4年後には精神対話士の資格を取得。その後、上智大学グリーフケア研究所で専門スピリチュアルケア師の認定を受けて、大切な人を亡くし支えを必要とする人たちのためのグリーフケアの活動に従事する一方、同研究所で非常勤講師を務められました。
現在は、東京・下町を拠点に社会福祉士、小学校での児童たちのサポートなどに取り組むなど本郷さんの活動の輪は年々広がっています。
我が子を突然亡くしたショックや、犯人に対する憎しみを抱えたまま、いつまでも苦悩から抜け出せなかったとしても不思議ではありません。しかし、本郷さんは多くの人たちの支えを受けながら人生に光を見出し、少しずつ立ち直っていかれたのです。
「最初は犯人を徹底的に憎んだし、恨みました。なぜ自分ばかりこんな不幸な目に遭うのだろう、周りの人も同じような目に遭えばいいと本気で思いました。人間ってこんなにも弱いものなのだと、その時はとても苦しかったです。
最悪の事態に至ることはありませんでしたが、一歩間違えたら加害者になってもおかしくなかった。その境地を味わったことが大きかったですね。
加害者の生育歴や生活環境などを後から知りました。「生まれなければよかった」と親から存在を否定されるようなことを言われ、暴力も振るわれていたそうです。
いまならば虐待と言われているでしょう。もし自分だったらと考えた時に、自尊感情が傷つき自分を大事にできなくなり、自分を大切にできなければ人にも優しくできなくなってしまっていたでしょう」
上記の言葉からは、犯人が抱える事情にまで思いを馳せることができるようになった本郷さんの心の変化を知ることができます。その本郷さんは悲しみの本質について次のように語られました。24年間、深い悲しみと静かに向き合ってきた本郷さんだからこそ、語ることのできる言葉です。
「悲しんで哀しんでかなしみ尽くし、自分なりに折り合いをつけると悲しみの根源にある愛に気がつき、いつしか悲しみの涙の質が変わってきて、安らぎを得た温かい涙として流れてくるようになります。
悲しみと向き合うことで心が成長し、成熟できるようです。悲しみは人間にとって大切なものであり、私はこれからも悲しみを愛おしきものとして抱き締めて歩いていきたいと思っています」
本対談には、私たちが人生で悲しみに直面し、それと向き合っていく知恵も随処に鏤められていますが、鈴木先生が語られた次の言葉はその一つといえるかもしれません。
「生きていて、どうしようもなく辛く悲しい出来事に遭遇した時、大切なことはやはり涙を流すことなんですね。
安全な場で徹底的と言っていいくらい号泣することは一番の癒やしになります。泣くだけ泣いて胸の中が空っぽになると、そこから新しい考えが浮かび、その考えが自分を導いてくれるんですね」
お二人の言葉は、それぞれに私たちの心の奥底に深く沁み入って癒やす力があります。体験の中から醸し出される言葉を、生きていく上での糧としていただけたらと願っています。
本記事の内容 ~全10ページ~
◇再生の扉への招待状
◇命を見つめる優希ちゃんの眼差し
◇最後の力を振り絞って歩いた六十八歩
◇傷ついているからこそ人は神の愛を自覚できる
◇なぜ犯人の立場に思いを馳せられたのか
◇一人ひとりの命を輝かせる
◇深い悲しみを含んだ温かい涙
◇悲しみを受け入れた時人は立ち直ることができる
◇涙の質は変わっていく
◇幸せは心の奥深くに隠れている
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