商家に伝わる古典『冥加訓(みょうがくん)』の教え——健康長寿の秘訣から夫婦円満のあり方まで

フィギュアスケート選手が出演したことでも話題となった「殿、利息でござる」は江戸時代、仙台藩の吉岡宿で宿場町の窮状を救った人々の実話をモデルにした磯田道史さんの歴史小説『穀田屋十三郞』がその原作です。宿場町再興の道標となったのが代々商家に伝わってきた『冥加訓』という教えでした。その内容はどのようなものだったのでしょうか。

とかく体を動かし、手足を惜しまず使え

『冥加訓』の著者は関一楽という江戸時代の儒学者です。一楽は備前岡山藩の医者でしたが、豊後岡藩(大分県竹田市一帯)に招かれて藩の儒者となります。

私塾を立ち上げて藩士の子弟達に『論語』『大学』などの中国古典を教えるのですが、『冥加訓』はその手引き書と考えられています。それだけに人間がどのようにしたら長寿がまっとうできるのか、飲食や仕事の心得、親子、夫婦のあり方など誰にでも分かるように実に具体的に記されています。

「朝は日の出とともに小鳥の囀りを聞いて起床し、手水で顔を洗い、髪を結い、身嗜みを整えてそれぞれの家業とする天職に励みなさい。王と身分の高い人から庶民に至るまで分相応の役目があり、上に立つ人ほど役目も重くなります」

「とかく体を動かし手足を惜しまず使い、与えられた職を全うすることです。働くために天から手足を与えられているのであり、自身は楽をして人を使って働かせ、人を苦しめてはいけません」

『冥加訓』とは「人間が天から授けられた本性に従って生きる道」といった意味の言葉ですが、それぞれが置かれた環境の中でどのように天分を発揮したらよいかが説かれていることが、これらの短い一文からもお分かりになるのではないでしょうか。

藩再建の指針ともなった教え

厳しい財政難に陥っていた岡藩もまた、再建に当たって『冥加訓』を大きな指針としました。地元・竹田市の有志でつくる「冥加訓を読む会」の代表を務める本田耕一さんは次のように述べられています。

18世紀中盤、岡藩は厳しい財政難に直面しました。その時、改革の先頭に立ったのが江戸から招かれた中沢三郎左衛門という藩士でした。三郎左衛門は財政を立て直すために、他藩のように増税策を取ることをせず、農業の生産性を向上させることで米の収穫量を増やし、結果的に年貢の自然増を図る政策を講じました。
 
それまで農民たちは出稼ぎや副業をしながら生活費を稼いでいました。しかし、それでは農業に専念する時間が少なくなり、稲作の手入れを怠ってしまいます。それを知った三郎左衛門は農民たちの副業を禁止して農業に専念できる政策を実行することによって農民のモチベーションや生産性を高めて藩を潤したのです。こうした政策のヒントは、『冥加訓』や『論語』によるところが大きかったとされています。

『論語』には「四海困窮せば、天禄永く終えん」という言葉があり、一楽も『冥加訓』にその部分を引用して解説しています。農民の生活が苦しくなれば生産性が下がり、結局国は滅びてしまうという危機感が一楽の影響を受けた三郎左衛門にもあったのでしょう。
 
時代を経て昭和初期、三郎左衛門の末裔に里見雄二という人物がいました。日本パーカライジングの創立者で、金属のメッキ加工技術で世界的に名を成した人ですが、里見氏は自社の繁栄だけでは産業全体が発展しないとして、技術を広く公開して日本のみならず世界の自動車、鉄鋼、家電などの基幹産業から最先端産業の共存共栄に幅広く貢献していったのです。
 
さらに、その子孫も事業を継承、成長させるばかりでなく、奨学会運営などをとおして地域の教育振興に尽力されています。これは『冥加訓』の精神が三郎左衛門を経て現在まで受け継がれている何よりの証ではないでしょうか。

(本記事は月刊『致知』2018年3月号「天 我が材を生ずる、必ず用あり」「『冥加訓の教えに学ぶ』」より一部を抜粋・編集したものです。『致知』には人間力・仕事力を高める記事が満載!詳しくはこちら

◇本田耕一(ほんだ・こういち)
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ほんだ・こういち――昭和18年大阪府生まれ。39年竹田市役所入庁。竹田市立歴史資料館水琴館・古文書講座講師などを歴任し平成4年から図書館長。6年退職。著書(共著)に『三宅山御鹿狩絵巻』(京都大学学術出版会)など。

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