『古事記伝』に35年の歳月を費やした本居宣長の高い志

いまを遡ること221年前。江戸時代の国学者、本居宣長が『古事記』全44巻の註釈書『古事記伝』を書き終えたのは、寛政10(1798)年6月13日(新暦7月26日)のことです。基礎作業から数えて35年の歳月を費やした大著です。この偉業を成し遂げた宣長の高い志や生き方を、『宣長にまねぶ』(致知出版社刊)の著者で本居宣長記念館館長の吉田悦之氏に解説していただきました。

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「志」の不思議な力

三重県松阪市にある本居宣長記念館には、畢生(ひっせい)の大著『古事記伝』の自筆稿本が展示されています。宣長がこの本の最後の頁を書き終えたのは1798年の夏です。

その稿本はまるで書き終えたばかりのような美しさです。文字の大きさや書体、行間に及ぶまで紙面構成が実によく練られていて、全てが調和した清潔美を感じます。それが44冊、35年の営為(えいい)であることを知る時、驚嘆せずにはいられません。

本居宣長のことを多くの方は国学者だと思っているでしょう。間違いではありませんが、実際は医業で生計を立てた人です。28歳の初冬に開業してから72歳で亡くなるまで、町医者として薬箱をぶら下げて往診を続け、5人の子供と妻を養いました。

その一方で宣長は『古事記』読解という大きな志を持っていました。何をしていても、心の中では自ら立てた目標に向かって着実に進んでいました。

その志を支えたのが昼間の仕事だったわけで、医者と国学者の両面が揃って初めて宣長という人物になるのです。

宣長は考える人です。歩きながらも、飯を食いながらも、頭の中は高速回転しているコンピュータのように検索や思索を繰り返していました。彼の志は、「忙しかったから今日は休み」といった軽いものではありません。

「天地」をどう読むかで5年

考え続けることの楽しさ、それが宣長の原動力でした。考えて倦(あぐ)むことがない強靱な精神、心力を尽くして考え抜くその姿は『古事記伝』など著作の各所に表れています。

思考のプロセスを記すことが、新しい考え方を生み出す手がかりとなることを宣長は知っていました。宣長にとって生きるとは「考える」ことでした。だから答えが出てもそれで済ませず、何度も考え直しました。

よく宣長が『古事記』を発見したのですかと問われますが、本そのものは本屋で売っていました。漢字で書かれていて、版本なら一部には振り仮名も付いているので、『日本書紀』などを読んでいる人には一通りの理解はできたはずです。

では宣長は何をしたかというと、「読む」という行為の持つ意味をひっくり返したのです。読み方に多少怪しいところがあっても、意味が通れば読めたと普通は考えます。ところが宣長は、『古事記』は「意味」よりも「読み方」が大事だと主張しました。

たとえば『古事記』は「天地初発」という文字で始まります。漢字を見れば、天地が初めてできたことだと見当はつきますが、そういうおおざっぱな意味ではなく、この四字をどう読むかが大切だと考えたのです。

しかし、解読の道のりは長く険しいものでした。何より最初の「天地」の二文字から詰まってしまいました。これを「アメツチ」と読み定めるまでに5年もの時間がかかっています。

学問の未来を信じる

宣長が『古事記伝』最終巻を書き終えたのは寛政10年6月13日、暑い夏の盛りでした。この年、宣長69歳。京都で『古事記』を買ってから42年、「松坂の一夜」で真淵と会ってから35年の歳月が流れていました。

『古事記』解読という宣長の仕事は終わりましたが、その研究はまだ緒に就いたばかりでした。『古事記伝』全44巻を開くと、「名義は未だ思ひ得ず」という言葉があちこちに出てきます。

「分からない」というのです。決して全部が解決したのではない、分からないことが分かった、ようやく研究の入り口に立ったのだ、と。

宣長は学問の未来、そして人間の未来を信じています。次の人がこの謎を解き、「私の『古事記伝』を越えていってくれるはずだ」と信じているのです。

宣長は、自分が功成り名を遂げることができたのは「もの学び(学問)」の力であったと回想しています。その生き方には私たちも学べるところがあるはずです。

難しいのは、志を遂げるという一点に全てを集約することでしょう。でも、その方法も宣長は教えてくれています。

「才のしきや、学ぶことのきや、暇の無きやによりて、思ひくづをれて、止ることなかれ。とてもかくても、努めだにすれば、出来るものと心得べし」

才能がなくても、学ぶのが遅くても、時間がなくても、それを理由にあきらめてはいけない。どうであれ、努力を続けていけばなんとかなるはずだ、と。

(本記事は『致知』2017年4月号 特集「繁栄の法則」より一部抜粋したものです。あなたの人生や経営、仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

吉田悦之(よしだ・よしゆき)
昭和32年三重県松阪市生まれ。55年國學院大學文学部卒業後、本居宣長記念館研究員などを経て、平成21年同記念館館長に就任。公益財団法人鈴屋遺跡保存会常任理事を務める。宣長研究は学生時代から換算すると約40年に及ぶ。『宣長にまねぶ』(致知出版社刊)など著書多数。

本居宣長(もとおり・のりなが)
享保15~享和元年(1730~1801)。江戸後期の国学者。伊勢松阪の木綿業・小津定利の二男。医業の傍ら『源氏物語』など、ことばや日本古典についての講義をした他、現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を著した。

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