2025年05月28日
~本記事は月刊『致知』2025年2月号掲載記事を一部編集したものです~
食と教育 2つの志を融合して
「私たちが半生を懸けて営んできたこの会社を、ぜひ一緒にやってほしい」
父からそう言われたのは、大学3年生の時でした。
両親が当社の前身となる飲食業を始めたのは、私が生まれた2年後の1965年。お客様のために懸命に働く両親を見て育った私は、二人を心の底から尊敬していました。しかし当時は、飲食業など学歴のない人間がやるものだと、社会から 偏見の目で見られており、それが原因でいじめにも遭った私には、飲食業だけはやりたくないという思いがありました。その一方で、高校時代にアメリカでホームステイをした経験から、教師になって日本の英語教育を変えたいという志を抱いていたのです。
教育への思いは断ち難いが、父の願いも無下にはできない。2つの思いの狭間で私は半年間考え続けました。どうせやるならただの食べ物屋にはなりたくないし、飲食業に対する社会の偏見も覆したい。何とか食と教育を融合させて、立派な事業に発展させていける道はないだろうか──。
思案の末に辿り着いたのが、幼稚園向けの給食事業でした。未就学児への食の提供を通じて、日本の尊い伝統文化やマナーを伝えていきたいという志を抱いて、私は父の願いに応えることを決断。大学を出て他社で3年間修業を積み、1991年、27歳の時に当社へ入社したのです。
東京23区の幼稚園給食でシェア5割を獲得
当社はもともと、両親が東京は西巣鴨の自宅で始めたカレーショップでした。お客様の要望で弁当づくりにも手を広げ、それを会社にお届けする事業所給食を展開。次第に引き合いが増え、近隣で生徒を約4,000人抱える私立の中学・高等学校の学食を手懸けたことが大きな転機となりました。
ちなみにその学校には、最初は当社も含めて複数の会社が学食を提供していました。しかし、オーナーである両親自らが腕によりをかけてつくる渾身のメニューは他社を圧倒し、最終的に同校の学食を一手に担うようになった経緯があります。
創業期、自宅の小さな台所で一所懸命に調理に勤しんでいた両親。幼い頃に見たその後ろ姿こそは、紛れもなく私の原点です。お客様に喜んでいただきたい一心で働いていた両親は、「こんなものがほしい」というお客様のご要望に懸命にお応えすることで事業を発展させてきました。お客様の「あったらいいな」を形にすること。これこそが当社が追求し続けてきた創業の原点なのです。
とはいえ、私が入社した当時は一握りの社員と大勢のパートさんで仕事を回していたため人材に乏しく、私は毎朝4時に工場に入って弁当づくりを手伝い、午前10時に作業が終わると幼稚園を回って営業。夕方6時に帰社すると、メニューの作成から食材の発注まであらゆる業務を一手にこなし、仕事を終えるのはいつも夜中の零時頃でした。
私は、営業で訪れた幼稚園で弁当の話は一切しませんでした。代わりに先生方と教育談義に花を咲かせ、食や教育に役立つ情報を図書館で調べてはチラシや冊子にまとめて提供。さらに先生や保護者を集め、いまでいう食育をテーマとする講演会を開催して啓蒙活動を展開したのです。
もともと教師を志していた私は、水を得た魚のようにこの活動に熱中しました。採算も度外視して取り組んだことですが、結果的に多くの幼稚園から関心が集まり、次々と契約が成立。女性の社会進出に伴う給食需要の高まりも相俟って、10年間で東京23区の幼稚園給食で5割のシェアを獲得するに至ったのです。
コロナの逆風を乗り越え、6つの事業で第二創業
私が社長に就任したのは2002年、あいにくバブル崩壊の後遺症で経済は低迷していました。しかしありがたいことに、給食事業は景気の波に左右されることがほとんどなく、その後のリーマンショック、東日本大震災も無難に乗り越え、経営は順調に推移。当社に不景気はない。私はそう思い込んでいました。
そんな当社にとり大きな転機となったのが、コロナ禍でした。
2020年の3月から順次始まった休園、休校の動きは、4月の緊急事態宣言を受けて全国に広がり、ゴールデンウィークを過ぎても再開の気配は一向に窺えません。売上高は97%減、赤字は3か月で約2億円まで積み上がっていきました。
このままでは、コロナと国の政策に殺されてしまう!
食という一つの事業だけに依存することに強い危機感を抱いた私は、少子化という趨勢も踏まえて今後の事業展開を再検討。この苦境を「第二創業期」と位置づけ、それまでの給食事業に加えて、デイサービスなどの介護事業、高齢者配食事業、子供に英語の楽しさを教える教育事業、コインランドリーを運営する衛生事業、不動産賃貸事業と、生活全般に及ぶ六本柱からなる「感動生活創造業」へと転換することを決断。多角化を念頭に置き、社名を現在のドリームガーデンズに変更しました。
第二創業で新たに掲げた経営理念が、「〝あったらいいな〟を、明日の心ときめく暮らしに。」です。新事業はいずれも、それまでの活動を通じて抱いていた「こんなサービスがあったらいいな」という思いを「誰かのよい記憶や喜び」に結び付けたいと考えて手懸けたものであり、創業来追求してきた「あったらいいな」を具現するものといえます。
例えば、新たに東京北部で始めた高齢者向け配食「やまと亭」は、電子レンジで解凍する冷食弁当ではなく、手づくりと出来立てに徹底してこだわりました。温かい味噌汁やデザートも添えると共に、ご体調に合わせてご飯をお粥に変更したり、おかずを一口大にしたものや、刻んで盛ったものから選択することも可能です。弁当は原則手渡しで、一人暮らしのお年寄りの見守りサービスも兼ねていることから評判を呼んでいます。
おかげさまで、こうした新事業が相互に相乗効果を発揮し、現在売上高は20億円を計上。社員はパート、アルバイトを含めて300名を擁するまでになりました。
私のいまの願いは、現在運営する6つの事業を末永く続けていくことです。万一事業が行き詰まれば、サービスを提供するお客様への責任を果たせなくなり、社員の雇用も守れなくなります。だからこそ私は、共に働く社員に「あったらいいな」という創業の原点をしっかりと継承していくことで、当社が100年企業になり、その先も200年、300年と事業を永続していくことを心の底から願っているのです。
そのための盤石の土台づくりに、私は残りの経営人生のすべてを投じていく考えです。
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