【取材手記】 ジャパンハート創設者・𠮷岡秀人が語る、逆境を乗り越え運命を開く秘訣

~本記事は月刊誌『致知』2025年5月号 特集「磨すれども磷がず」に掲載のエッセイ(「我が闘いは終わらず——アジアの子どもたちのために無償の医療活動を続けて30年」)の取材手記です~

「医療の届かないところに医療を届ける」

ミャンマー、カンボジア、ラオス……。医療が十分に行き届いていないアジアの貧困地域で、無償の医療活動を30年続ける日本人医師がいます。𠮷岡秀人さん、59歳。1995年に単身でミャンマーへ渡り、貧しい子どもたちの命と心に光を灯し続けてきました。

2004年には「医療の届かないところに医療を届ける」という理念のもと、国際医療NGO「ジャパンハート」を設立。現在では、海外各地の現地スタッフを含めた約200名の有給職員の他、医師や看護師など累計5,000名以上のボランティアが参加し、国内外での治療・手術を年間約4万件実施、累計では35万件を超えています。元プロサッカー選手の本田圭佑さんやタレントの田村淳さんをはじめ、多くの企業や団体、著名人からの支援を受けるなど、日本発祥の団体としてはトップクラスの寄付を集めるまでに発展を遂げてきました。

また、ジャパンハートでは「すべての人が、生まれてきて良かったと思える世界を実現する。」というビジョンを掲げ、治療や手術といった医療活動に留まらない、様々な挑戦を重ねています。2010年には、ミャンマーに養育施設「Dream Train」を設立。エイズで両親を失った子や虐待を受けてきた子を受け入れ、十分な食料・教育環境を整えると共に、職業訓練を行うことで負の連鎖を断ち切るべく運営に当たっています。

直近では2025年3月28日、ミャンマー中部を震源とするマグニチュード7・7の大地震が発生。𠮷岡さんは震源に近い病院で被災されましたが、何とか難を逃れ、患者の治療に全力を注ぎました。「医療が受けられない、一番傷つきやすい貧困層に対しての行動を続けたい」。その揺るぎない信念に多くの称賛の声が寄せられました。

海外医療支援に半生を尽くしてきた𠮷岡さんを突き動かすものは一体何か。そしてこれまでの道のりから見えてくる、初志貫徹する秘訣とは――。

月刊『致知』最新号(2025年5月号)特集「磨すれども磷がず」に𠮷岡さんの記事が掲載されています。テーマは「我が闘いは終わらず」です。

𠮷岡秀人(よしおか・ひでと)
昭和40年大阪府生まれ。大分医科大学(現・大分大学医学部)卒業後、大阪・神奈川の救急病院などで勤務。平成7年からミャンマーに渡り医療活動を開始。その後一度帰国し、岡山病院小児外科、川崎医科大学小児外科講師などを経て、15年から再びミャンマーで医療活動に従事。16年国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を設立、代表に就任。29年より最高顧問に就任。令和3年第69回菊池寛賞受賞。著書に『「最後の講義」完全版𠮷岡秀人』(主婦の友社)『救う力』(廣済堂出版)など多数。

18年ぶりのご登場

𠮷岡さんと弊誌のご縁は遡ること18年前。𠮷岡さんがジャパンハートを設立されて間もない頃、『致知』2007年3月号特集「命の炎を燃やして生きる」でご登場いただきました。

その後、𠮷岡さん率いるジャパンハートは活動の輪をどんどん広げ、世界中から注目を浴びるように。𠮷岡さん自身もドキュメンタリー番組『情熱大陸』で3度取り上げられるなど、国際医療支援の第一人者として医療の最前線を走り続けてきました。ミャンマーを拠点に活動を始めて丸30年が経過したいまこそ、深まった心境や逆境を乗り越える心得を伺いたい。そう思い至り、本号でのご登場に繋がったのです。

取材は3月3日(月)、ジャパンハートの東京事務局で行われました。現在も1年のうち8か月は海外に渡っているという𠮷岡さん。何と取材前日もミャンマーでメスを握っていたといいます。多忙を極める中でも弊誌の取材を快くお受けくださったことに、心を打たれずにはいられませんでした。

取材では90分間にわたり、医師を志した原点から最も心に残る仕事として語られたある子どもとのエピソードまで、これまでの苦難の道のりを振り返っていただきました。本記事では全5ページにわたって、そこで語られた内容を一つひとつ詳らかに紹介しています。

 ↓インタビュー内容はこちら!

 ◇アジアの貧困地域で医療活動に従事して30年
 ◇不幸な境遇の人たちのために役に立つ仕事をしたい
 ◇「僕がやらんとあかんのや」
 ◇与えられた環境の中で最善を尽くす
 ◇一人のゴッドハンドより再現性のある仕組みをつくる
 ◇命が救われなくても、心を救う医療を
 ◇人のために生きることは自分のために生きること

彼らに救いの手を差し伸べられるのは、自分しかいない

𠮷岡さんは勤務医として研鑽を積んでいた1995年、30歳の時に海外医療協力を行うNGO(非政府組織)から派遣の打診が入り、単身ミャンマーへ渡ります。最初の赴任地となったミャンマーの中央部の町では、人口32万人に対して医者は農村部にたった一人。おまけにミャンマーには医療保険制度がなく、薬代から注射器の針に至るまで、患者側がほぼ全額負担しなければいけません。日本の医療界の常識が全く通用しない社会環境下で、𠮷岡さんは無料の巡回診療から活動を始められます。

そして「日本人の医者がタダで診てくれる」と噂が広まり、国中から人が押し寄せるようになると、さらなる壁が立ち塞がりました。生まれつき顔や体に奇形を持つ子、大火傷で腕と胴体がくっついたままの子をはじめ、難しい手術の必要な子どもたちが次々訪れるようになったのです。

𠮷岡さんは当時を振り返り、次のように述懐されています。

西洋医学を学んできた僕にとり、十分な麻酔薬や設備のない劣悪な環境で手術を行うのは躊躇われます。感染症のリスクを考慮して、やむなく追い返す他に選択肢はありませんでした。

肩を落として帰っていく子どもの背中を見送る度、やるせない思いに駆られました。

大きな逆境に直面した𠮷岡さんの心を鼓舞したのは、現地スタッフのひと言でした。

極めつけは、現地でサポートしてくれていたミャンマー人スタッフの言葉です。

「彼らはここで断られたら、一生手術は受けられないでしょう」

彼らに救いの手を差し伸べられるのは、自分しかいない。与えられた環境の中で最善を尽くすのが、僕に課せられた使命であると思い至り、町で医療器具を搔き集めて手術の受け入れを開始しました。

単身活動当初、ミャンマーの病院にて(右が𠮷岡氏)

以降、𠮷岡さんは知恵を絞って手術に取り掛かります。ミャンマーでは停電が日常茶飯事ですが、手術中に停電する度に周りのスタッフが懐中電灯で照らし、発動機が動き出すまでの約10分間、スタッフ総がかりで出血中の患部を手で押さえ、必死に止血。また、感染症のリスクを取り除くために、窓を閉め切って空気の流れを止めました。

絶えず創意工夫を凝らすことで、1日数十件も手術を行えるようになったのです。

この時の一歩がなければ、いまのジャパンハートはありません。できるかできないかではなく、やるかやらないか。勇気を持って一歩前進すれば、歩むべき道は開けることを実感した出来事でした。

勇気を振り絞って一歩前に踏み出すことができれば、道は開ける――含蓄に富んだ教えです。

試行錯誤を重ね、ミャンマーでの活動に光を見出した𠮷岡さん。その後一旦日本に帰国した𠮷岡さんは、いかにしてジャパンハートを今日の発展へと導いてこられたのか。その全貌はぜひ本誌をお読みください。

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