2025年04月05日
宿命観から脱し、立命の心を説いた中国明末の書『陰騭録』。仏道を歩みながら運命論の研究を重ねてきた、あさか大師香林寺山主・山路天酬氏に『陰騭録』から学ぶべき運命好転の心得を繙いていただきました。
(本記事は月刊『致知』2025年4月号 特集「人間における運の研究」から一部抜粋・編集したものです)
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
命は我よりなし福は己より求む
『陰騭録』の極めて異例な特徴は、占術によって予言された運命がことごとく的中していったにも拘らず、善行の陰徳を積むことによって運命を変えた模範的な記録であるという点でありましょう。
人生と運命との関係を考える人にとって、同書は見逃すことのできない貴重な典籍であることは間違いありません。そして私にとっても、まさに運命を変える出合いとなった書物なのです。
『陰騭録』の中で、私が特に心惹かれた言葉は、始めに出てくる、
「命は我よりなし、福は己より求む」
という名言です。宿命論者であった袁了凡の人生を根底から覆したのも、この名言でした。
つまり、天命は自分からつくり、福もまた自分で求めるものであるという意味です。仏門に入るまでは、私もいささか宿命論者になりかかっていましたので、この名言に触れてより大きく人生観が変わったことは確かです。
また、この『陰騭録』の中で見逃してはならない点は、袁了凡は立派な陰徳の実践者でありますが、奇特な仏教者でもあったということではないでしょうか。
『陰騭録』を読んで、陰徳を積もうと志した人は多いはずです。しかし、三千善行を重ね、ついに一万善行の偉業を成し得るほどのことは、凡人にでき得ることではありません。袁了凡の根底に、仏教への篤い信仰心があったから成し得たことなのです。私に『陰騭録』の多くの読者と異なる観点があるとするなら、まさにこのことでありましょう。
運命を変えようとして努力をしても、その努力自体が運命そのものに終わるという事実がないとは限りません。煩悩の多い人間の心を支え、その背中を押すものは、信仰による仏天のご加護でなくて、何でありましょう。
『陰騭録』の中ではわずかな記載でありますが、袁了凡は陰徳の善行に励みつつも准胝観音の真言を唱え、護符を書いてご加護を祈りました。また、善行達成の度に、その功徳を回向しました。こうした信仰心なくして一万善行が果たし得たとは思えません。
私は『陰騭録』はすぐれた陰徳の実践書であると同時に、仏教への素晴らしい勝縁の書であると考えています。
(本記事は月刊『致知』2025年4月号 特集「人間における運の研究」から一部抜粋・編集したものです)
◉『致知』最新4月号 「人間における運の研究」に、山路天酬先生がご登場!!
運命は固定したものではなく、自ら切り開いていくもの。この立命の心を説くのが中国明末の書『陰騭録』です。仏道を歩みながら運命論の研究を重ねてきた異色の僧侶・山路天酬氏に、この稀有なる書から学ぶべき運命好転の心得を繙いていただきました。
『立命の書『陰騭録』を読む』好評発売中!
詳細はこちら↓
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。