2025年02月03日
~本記事は月刊『致知』2024年1月号掲載記事を一部編集したものです~
多岐にわたる商材を迅速かつ正確に管理・配送
アパレルから医療用品、化粧品まで……。千葉県東部、茂原市に複数の物流拠点を構える当社のお取引先は近年、あまり類を見ないほど多様になってきています。
物流業の仕事は、一般に馴染みが薄いものかもしれません。当社の場合、例えばアパレル分野では、素材の特性を熟知したスタッフがメーカー様から運ばれてきた衣料の検針、丁寧なプレス(最終加工)を行い、自社倉庫に保管。 さらに日々発生する店舗への入出荷や催事への不規則な発送にも即応できるワンストップサービスを提供しています。
衣料の最終加工と物流、両方の機能を備えた事業者は多くありません。衣料の低価格化に伴い、アパレルメーカー様の保管・物流コストの削減に拍車がかかる中、「ルミネ」などに軒を連ねる専門店、衣料ブランドを筆頭に、全国に展開する顧客と提携できている大きな理由です。
こうしたアパレル分野の成長は一例ですが、いま、ここまで事業が発展してきた原点を辿ると、創業者である父の思いに行き着きます。
15歳から家族を養い、自転車で街を駆け巡った父
当社は1957年、父が東京都墨田区の実家一階で興した洋服のプレス業から始まりました。当時、父は15歳。中学に上がる前に父親を亡くし、母や姉との暮らしを支えるため、一家の大黒柱として働き始めたのです。
戦後の貧しさの中、アイロン一台からの出発でした。近所の衣料品メーカーの仕事を受け、プレスを済ませては自転車にハンガーを引っかけて納品に走る。同業者が悠々と車で何十枚も服を運ぶのを見て、何とも羨ましく、早く自分も、という思いに駆られたそうです。
そんな情熱を糧に誠実に仕事を積み重ね、創業15年目には親族が土地を持っていた千葉県夷隅郡に倉庫兼自宅を建てました。我が父ながら尊敬するのは、子を授かってすぐ夫を亡くした姉を気遣い、現在の3~4億円を投じて実家を本社ビルとして建て替え、母親と姉家族を住まわせたことです。あの若さで二つの家族の面倒を見るのは容易ではありません。関わる人すべてを幸せにする――。父のこの姿こそ、会社の原点と感じています。
1973年に法人化を果たし、父は物流拠点を持とうと考えるようになりました。ところがまだ町工場規模だったため銀行の融資を受けられず、二進も三進もいきません。
その折でした。得意先だった日本屈指のコートメーカーの常務が一肌脱いでくださり、会社として保証を請け負ってくれたことで、茂原市に初の物流拠点(第一物流センター)を設立できたのでした。これが基盤となり、当社はプレス業一本足から総合物流業へと進化していきます。会社の転機には人との出逢い、ご縁が不可欠だと確信しています。
社員の心を大事にし、未知の領域を開拓する
大学時代、後継者の意識は全くなかった私は鉄鋼商社に就職しました。しかし3年目、社内屈指の激務の部署に異動となり、心身を擦り減らす毎日を送っていたところ、不意に父から飲みに誘われ、初めて入社を打診されました。その瞬間、共に中卒で大学まで行かせてくれた両親や社員さんの顔が浮かび、恩返しがしたいと痛切に感じました。そうして2003年、30歳で家業に入ったのです。
昔から顔馴染みのパートさん他、社員は6人のみ。創業者の息子とはいえ右も左も分からないため、志願して物流の現場に入り、とにかく自分から心を開いて長い時間を一緒に過ごし、信頼を築くことに徹しました。
社長就任は思いがけないタイミングでした。入社3年目、外回りや来客に随伴し、勉強している最中、父から指名を受けたのです。
社長の名刺を持ったとはいえ経験も実力もまだまだです。父は古参の社員を時に鬼のように叱るかと思えば、見事に心を掴んで慕われる生来の人たらし。同じようにはできません。どうすれば社員を幸せに導けるか、悩みました。
試練に立たされたのは2006年のこと。それまで当社はプレスした衣料の長期保管や一括納品を中心に担っており、物流への本格参入はまだでした。そこに第二物流センター増設の話が持ち上がった時、私は日々の入出荷や個別配送といった物流需要に応えられる、専門の物流拠点をつくる必要を感じ、アパレル業界を中心に必死で営業をかけていきました。
ところが、いざ操業を始めるとまるで勝手が違い、発送が間に合わず遠方まで服を届けに行ったり、発送が漏れた商品が当社買い上げになったりと現場がなかなか追いつきません。父の目も厳しく、「もうやめたらどうか」と諭されるありさまでした。悩み抜いた末、担当社員に「どうしたい?」と問いかけました。すると答えは意外なものでした。「社長、まだやめられないです。絶対成功させたいです」。その目は死んでいませんでした。「よし、じゃあやろう」、胸のすく思いがしました。心配だったのは唯一、現場の社員の心、幸せだったからです。
お客様の思いに応え、社員と共に百年企業へ
この決断が奏功しました。最初の1~2年こそガタガタでしたが、社員と共に根気よく継続したところ次第にノウハウが蓄積され、5年ほどで立派な事業に成長。プレス、そしてきめ細かな物流の両方に対応できるとあってお引き合いが順調に増え、ほどなくEC(ネット通販)専用の第三センターの設立に至りました。
以後、格段に現場のオペレーション能力は高まり、既存のお客様からのより幅広い要望への対応、紹介による新分野開拓に着手。例えば大手眼鏡チェーンとのご縁で医療用品の取り扱いを始め、また某家具小売りメーカー様とのご縁がもとで、2025年には危険物倉庫も本格的に稼働します。厳しいコストカットの逆風の中で社員数も入社時の3倍以上に増え、今期は年商8億円、利益率10%を超す見込みとなり、皆様のニーズに応える形で成長しています。
人の縁を徹底して大事にする、それが父の一貫した姿勢でした。2024年春、末期がんで亡くなりましたが、父の精神を自分の代で分かりやすい言葉に磨き上げ、受け継いでいく。そして100年続く永続企業へ育て上げることが私の使命と捉えています。愛読する『致知』で社内木鶏会を開催しているのもその一環です。社員皆が内発的動機に基づいてイキイキ働き、幸せになってほしい。あの世へ逝った時、「あの社長は人を幸せにする会社を遺した」と言ってもらえれば御の字です。
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