2024年12月30日
小腸や大腸の炎症によって腹痛・下痢・発熱が生じる「クローン病」は、指定難病の一つである、いわゆる不治の病です。大学生の頃にこの難病を発病し、30年以上に及んで戦い続けてきたオカリナ奏者のさくらいりょうこさん。自らの体験を元に、近著『幸せを向いて生きる。 クローン病を乗り越えた「選択」のチカラ』の出版やオカリナ演奏・講演活動を全国各地で行い、これまで35万人を超える聴衆に深い感動を与えてこられました。プロの音楽家になる夢を断たれ、絶望の底に沈んでいたさくらいさんは、いかにして生きる希望を見出したのか。難病と闘い続けてきた半生を振り返っていただき、その過程で掴んだ幸せな人生を送る秘訣を伺いました。
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突如として訪れた不治の病との闘い
私が音楽に魅せられたのは、小学4年生の頃でした。
神戸で生まれ育ち、運動も勉強もパッとしない典型的なドジっ子。けれど、初めて手にしたリコーダーの演奏が楽しく、家族や先生から褒めてもらえることが嬉しくて仕方ありませんでした。
「人より少しだけ上手にできること、少しだけ好きなことは一つあったらええねんで」
担任の先生がよく発していたこの言葉に背中を押され、自ずと音楽の道を志しました。中学・高校は吹奏楽部でフルートを担当したのち、大阪音大に入学。世界一のフルート奏者になる夢を掲げ、一所懸命練習に励みました。
ところが、朝から晩まで練習に明け暮れていた1988年、大学3年生の終盤、慢性的な腹痛に苛まれるようになったのです。次第に痛みは増していき、体重もみるみる落ちていく。とうとう動くことさえままならない激痛に襲われ、病院に担ぎ込まれました。
この時、医師から下された診断が「クローン病」でした。クローン病とは、小腸や大腸の炎症によって腹痛・下痢・発熱が生じる病気です。一度炎症を起こすと普通に食事することもままなりません。指定難病の一つである、いわゆる不治の病です。
病気一つ経験のなかった当時の私は、その意味を全く理解できませんでした。両親も治療すれば健康になると思い込んでいました。実際、2か月の治療入院で腹痛はすっかり治まり、「絶対病気なんかに負けるもんか」という一心で、夢に向かって再び走り出したのです。
しかし再発を繰り返すようになり、大学卒業間際には病状が急変し、夢の第一歩だった仏国留学が絶たれました。それでも諦めず、薬で腹痛や発熱を抑え、国内のアンサンブルで全国を巡行。一度ステージを離れてしまえば、二度と戻ることはできない──。その恐怖心がステージに立たせていたのかもしれません。
ただ、その間も病魔は私の身体を着実に蝕み、27歳の時に腸閉塞が破裂、生死の境を彷徨いました。強い挫折感に打ち拉がれ、ついにフルートを手放したのです。
自ら動き出せば、誰かがチャンスを授けてくれ、人生を変えることができる
夢を失い、感情の起伏は疎か、生きるエネルギーが一滴も湧いてきませんでした。頑張らなければ病気は許してくれるのではないかと、人との関わりを断ち、真っ暗闇の中に深く落ちていったのです。
そんな絶望のどん底に沈んでいた1995年、突然襲ってきたのが、阪神・淡路大震災でした。一人暮らしをしていた神戸の自宅で被災し、最小限の被害で済んだ実家に身を寄せました。
すると、両親の温もりに接し、命があることにホッとする自分を確かに感じました。また甚大な被害を受けた地域の人々にお風呂を提供するや否や、皆が感謝の言葉を掛けてくださる。
その光景を目の当たりにし、人と人が触れ合う、当たり前で身近な幸せが全く見えていなかったことに気づかされたのです。6,000人以上が命を落とした震災で死を免れた。だからこそ、夢を阻まれても生きていくべきであると、意識が自然と前向きに転じていきました。
病を克服したいという気持ちも強まり、多くの方々に背中を押されて関東の名医を訪ね、治療を受けることを決断。手術の成功で病状が安定したことはもとより、一歩踏み出せた事実が大きな自信に繋がりました。この体験を機に、二度とできないって言わない──、自ら働き生計を立てよう、そう決意を立てたのです。
初めて講演依頼が届いたのは、社会に出て数年が経過した2000年、34歳の時でした。闘病体験を綴った私の新聞記事を見た方から講演とフルートの演奏を依頼されたのです。フルートを断念して早7年が経っており、躊躇したものの、自らとの約束を破るわけにはいきません。本番直前まで逃げ出したい気持ちと葛藤しながら、恐る恐るステージに上りました。
「ああ、やっとここに戻ってこれた」。ステージに立つと、直前の緊張が嘘のように自然と笑顔が溢れ、スポットライトを浴びるたびに身体中の細胞が生き返るような嬉しさが込み上げてきました。一所懸命講演を終えると、会場中の人々が拍手を送ってくださり、再びステージに立てた感慨を一層深くしたのです。
自ら動き出せば、きっと誰かがチャンスを授けてくださり、人生を変えることだってできる。人生は選択の連続であると実感した出来事でした。
「幸せ」を向く生き方
以降、本講演が発火点となって依頼が殺到。これまで全国各地で1,500回以上開催し、参加者は延べ35万人に上ります。また、2016年には講演で好評を博したオカリナ教室を開講、音を奏でる楽しさを伝えています。
人生は幾多の困難の連続で、知らぬ間に心が沈んでしまうものかもしれません。かくいう私も依然として病状に振り回され、コロナ禍にはすべての仕事がなくなる逆境に突き落とされました。
それでも毎朝目が覚め、空気が吸え、新しい一日が始まるという日常の小さな幸せに目を向けることで、次第に人生の彩りを取り戻していきました。ありふれた日常を見つめ直して感謝を抱く。日々迫り来る選択をすべて〝楽しい〟に染めることが、「幸せ」を向く生き方に繋がるのではないでしょうか。
私はいま、自分の力を信じて断薬し、奇跡的に健康を取り戻しました。心の底から生きていてよかったと断言できます。これからも人々に生きる勇気を与えられる存在であり続けたいと思います。
(本記事は月刊『致知』2023年11月号 連載「致知随想」より一部抜粋・編集したものです)
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◇さくらい・りょうこ
大阪音楽大学在学中、難病クローン病を発症。度重なる手術や入院により人生に挫折。阪神淡路大震災をきっかけに、「生きる」ことについて深く考えるようになる。「普通に生きる」ことを目指すも、コロナ禍で全てを失い、再び「生きる」を見つめ直す時間が訪れる。合併症による二度の敗血症から生還し、「生きるか死ぬか」の選択を通じて「今ある幸せ」にようやく気づく。講演では、「あなたは本当に幸せに向いて生きていますか?」と問いかけ、聴衆に自分で選ぶ力の大切さを伝えている。『奇跡体験アンビリーバボー』『24時間テレビ』等に出演、多くの雑誌・新聞に掲載される。また、澄んだ音色が魅力のオカリナインストラクターとしても活躍。「大阪オカリナフェスティバル」などを通じて普及活動にも尽力している。著書に『あしたを生きる言葉』『幸せを向いて生きる』など。