2024年12月20日
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アサヒビール名誉顧問を務めた中條高德氏。いまや誰もが知る「アサヒスーパードライ」で大成功を収め、アサヒビールの奇跡と呼ばれる伝説を生みました。しかし事業の立ち上げ当初は「アサヒビールの勝つ道は絶対にない」と言われるほど、その道のりは険しいものだったと言います。世間の予想を覆す大成功はいかに実現したのか。その舞台裏に迫りました。
(本文は1997年掲載当時のものです)
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自然すら一点集中のすさまじさを説く
〈中條〉
昭和61年に「コクがあってキレがある」という生ビールを提案しました。翌年、スーパードライを提案しました。
それまでにも、ビール券も缶ビールも生のミニ樽も、アサヒが真っ先に開発しているんです。ところが、全部五月雨投入だったんですね。
その反省から、今度は大きく変えなくてはいかんというので、ラベルをはじめ中味も外味も社員の意識も根こそぎ変えようということになったんですが、図体がデカイですからね。ラベルを変えるだけでも3か月もかかりました。
ところが、 遅れた分、またまた「時」の利益をいただいたのです。
〈林〉
なるほど。
〈中條〉
ちょうどそのときの社長が村井勉さんだったということもありました。村井さんは、さわやかでこだわらない人でしたから、こんなリスキーな作戦でもやってみようということになったんです。兵法でいうなら、指揮官としてぴったり叶った人だったわけです。
統帥綱領には、指揮官は方向を指示することと兵站のこと以外はやるな、 と書いてあります。瑣事にわたるな、とあるんですね。細かいことまでこだわると、いざというとき、先が見えないとか幅広く見えないものだから、決断が鈍るんです。
そして次に樋口さんが社長になった。 兵站には最適の指揮官です。この順序で社長が登場したのはアサヒにも命運があったのだと思います。
それから大事なことは、一点集中です。
私どもが立ち上げようといったときは、マラソンでいったら、先頭のキリンビールの背中も見えないような差でした。こういう寡占状態でアサヒビールの勝つ道は絶対にない、と世界中の経済学の権威から言われました。アンケートを取っても、アサヒなんかなくても困らない、とまで言われました。
そういうときに勝つ方法があるかというと、兵法では一点集中なんです。
必ず勝てるというのではないんですが、 一点集中だけに勝つ可能性があるというんですね。
たとえば石と水とどっちが強いかと訊けば、大部分の人が石だと答えるでしょう。ところが、かなわないはずの水が雨垂れとなって一点石を穿てばどうですか。自然すら一点集中のすさまじさを説いているじゃありませんか。
一生懸命ではなくて、一所懸命ですよ。