2024年10月29日
~本記事は月刊『致知』2024年8月号掲載記事を一部編集したものです~
創業から70年 振り返るとあっと言う間
〈福田〉
この6月に満90歳を迎えてなお、元気に会長職を全うできているのは、いまも毎日欠かさず会社に出社し、1時間ほど数字をチェックしていることと無縁ではないでしょう。創業以来、70年にわたって経理の仕事に携わってきたことが私の生きがいであり、健康の秘訣なのです。
当社は神話の国として知られる島根県出雲の地に本社を構え、創業70年の歴史を有する総合建設会社です。道路・橋梁・河川・砂防・ダム・港湾・上下水道といった地域開発の土台づくりを担う土木事業と、公共施設・工場・店舗・住宅といった健康的で快適な環境づくりを担う建築事業を中心に、「地域と共に未来を創る」をスローガンに営業しております。
おかげさまで従業員数109名、直近の売上高は30億円以上と業界で県内トップクラスの実績を上げております。また、近年では経営の多角化を目指し、シャインマスカットやミニトマトの生育・販売を行うアグリ事業なども手掛けている他、建設コンサルタントやホテル、ガソリンスタンドなどを営業するグループ5社を合わせると、従業員数200名、売上高50億円を超える規模に発展を遂げることができました。
70年の歳月は傍から見ると途方もない時間のように感じられるかもしれませんが、当事者である私にとっては「振り返ると、あっと言う間だな」というのが偽らざる実感です。
当社の起源は戦後間もない昭和29(1954)年、私の夫である福田壽夫が25歳で斐川村(現・出雲市)に「福田組」を興したことに遡ります。中学時代、多くの男手が戦地に駆り出されていた矢先、村内に水害が相次ぎ発生。ちょうどその頃、軍の飛行場建設もあり、残された女性や子供が徴用され、壽夫は学校の授業をまともに受けず、工事に従事させられます。
戦後も村内の農地は水害で荒れたままで、米は占領軍に吸い上げられる。悶々とした日々を過ごす中、少しでも家計の足しになればと始めたのが、農閑期に土木作業に参加することでした。戦後復興を図るため土地改良と農地開拓は急務であり、重労働ではあったものの、中学時代の経験を生かし積極的に仕事を請け負うようになります。県職員から背中を押され、「この仕事は必ず地域の役に立つ」――その思いで創業に至ったのです。
とにかく壽夫は〝仕事の鬼〟で、朝早くから現場へと出掛け、夜飲みに行って接待していても、仕事のことを考える。休みは盆と正月だけでした。
一つひとつの仕事や一人ひとりの縁を大切に
〈福田〉
その実直な性格ゆえ、壽夫は一つひとつの仕事や一人ひとりの縁を大切にしていました。もっとよいものをつくろう。よいものをつくるには高い技術を持った人間が必要である。その考えの基、地元の農家の方に「家の田んぼの水門から水が抜けて困っているから何とかしてくれないか」と相談を受ければ、ポンプを担いで赴き小さな水門をつくったりと、仕事の大小に拘らず、目の前のことに誠心誠意尽くしていく姿勢を貫きました。
また、社長と呼ばれることをひどく嫌い、周囲の人たちには「隣保班長と呼べ」とよく言っていたものです。若い時から仲間と一緒に働いていただけに、肩肘張らない関係性を好んだのでしょう。派閥争いがなく、風通しのよい、大家族主義的な当社の社風はこうして培われていったと思います。
昭和41(1966)年に有限会社に改組した頃には現場の数も増え、作業員も400人ほどを擁していました。当時は機械もなく、その多くがつるはしとスコップを使った人海戦術です。そのため、いかに人を集めるかが重要であり、壽夫はその点で「種蒔き」に長けていました。
いろいろな会合や飲み屋に顔を出し、たまたま隣に座った人とは初対面であろうと職業が何であろうと、一緒にお酒を酌み交わしながら、たちまち味方にしていったのです。ただ、もともとお酒が好きで強かったわけではなく、ひとえに仕事のために選んだ最良の手段でした。
利害損得を抜きにして、どんな人とも分け隔てなく接し、飲み代はすべて自分が払う。そういう人と人との繋がりを大切にする姿勢が巡り巡って新たな仕事となって返ってくるという経験を重ねていきました。
事業拡大の一つの転機は、昭和40年代末に、従来の人海戦術中心の土木作業から重機械を使った施工管理、いわゆる現場監督を重視し、他に先駆けて有資格者を集め出したことです。施工管理ができる職員の中途採用が進められ、地元出身者を中心に全国各地から新たな人財が入社しました。
どういう理由で壽夫が現場管理を重視し始めたのか定かではありませんが、おそらく飲みの場で役所の方から情報をいち早く収集し、先手を打ったのではないかと思います。現在の本社屋が完成したのも昭和49(1974)年でした。
当時は珍しいコンクリート3階建ての社屋で注目を集めたことが施工管理への本格参入とも相俟って、会社が勢いづき飛躍したと感じています。
100年企業に向けて 次世代へのメッセージ
〈福田〉
「製品ではなく商品を納める精神」
これが当社の経営理念です。「お客様に喜んで買っていただけるものをつくれ」というのが壽夫の口癖でした。もっとも、どちらかというと職人気質で、自分の思いを口に出して伝えるよりも、行動を以て示すタイプだったため、社員に訓示を垂れたことはほとんどありません。
そんな壽夫が毎年作成する経営計画書の行動指針に記していたのが、「顧客の喜びを自分の喜びとして、製品ではなく、商品を納める」という言葉でした。
平成6(1994)年、壽夫が64歳にしてがんで急逝したことは当社にとって最大の試練だったと思います。
しかし、長女の夫である長岡秀治が二代目社長(現・相談役)として経営の舵取りをし、長男の福田弘道が副社長(現・社長)として営業を取り仕切りながら、「ここを乗り越えて大きく前進しよう」と皆で誓い合い、実際に右肩上がりに成長できたのは、経営理念に込められた創業者の思いを全員が共有し、一所懸命に実践を重ね、一丸となって協力したからに他なりません。
この創業精神を絶やすことなく、さらに強く深く根づかせるため、私の孫で副社長を務める福田佳典が中心となり、今年4月より『致知』をテキストにした人間学の勉強会「社内木鶏会」を導入し、毎月1回、全社員で学んでいます。
この年になるまで『致知』を知りませんでしたが、感心する言葉や体験談ばかりで、「もっと早く出逢いたかった」と感じずにはいられません。
当社では100年企業に向けて第三創業期が新たに始まりました。70年ずっと見守ってきた私から次世代を担う若い人たちに伝えたいことは、会社が永く続いていってほしい、そのために創業の原点である経営理念を大切に受け継ぎながら、やり方は時代に合わせて追求していってほしい。ただそれだけです。
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