【創業70年】配管材事業を手掛ける中央物産が創業以来貫いてきた信念(株式会社中央物産会長・三尾義彦)

本記事は月刊『致知』2024年6月号掲載記事を一部編集したものです~

「中央物産が危ないから帰ってきてほしい」

〈三尾〉
当社中央物産は、教職に就いていた父が1954年、38歳の時に教壇を降りて地元岐阜県に立ち上げた会社です。しかし、新たな挑戦に向けて踏み出した父に、突然の不幸が襲いかかります。44歳の時、交通事故で命を落としてしまったのです。私が高校3年生の5月のことでした。

父を亡くしたことは、家族にとっても中央物産にとっても大きな悲しみであり、打撃でした。創業期に社長を失った会社を助けたいと思い、私は大学進学を断念。ところが受験を間近に控えた11月末、母が突然「大学に行ってもいいよ」と口にしました。その言葉を受け、私は猛勉強を開始。時間がない中、寝る間も惜しんで机に向かい、早稲田大学の合格通知を手にしたのです。

在学中は経済地理を専攻すると共に、「経営経済学会」のサークルで経営学を勉強し、さらに3年次からは夜間の村田簿記学校に通い工業簿記二級の資格を取得。「企業の地域社会に及ぼす影響」をテーマに書いた卒業論文は一番の評価を得て、全国大会で発表する機会を得ました。

就職活動では、新聞記者を志して入社試験に合格しましたが、母の勧めで三菱系の商社へ入社。名古屋支店に配属され、エアコンや冷蔵ショーケース、冷蔵庫、エレベーターやエスカレーターなどを扱う部署で働くことになりました。主に担当したのは冷蔵ショーケースの営業活動で、コカ・コーラ、ペプシコーラ、ヤクルト、キリンビール、雪印乳業といった飲料メーカーに通う日々が始まりました。

懸命の営業努力の甲斐あって、2~3年後には生産が間に合わないほどの注文が入るようになりました。実績が評価されて三菱電機からも最優秀セールスマンとして表彰され、私はそのままトップセールスとして活動を続けていくつもりでした。

ところがその最中、母から一本の連絡が入ったのです。

「中央物産が危ないから、帰ってきてほしい」

私は母の求めに応じて退職し、中央物産に入ったのです。1967年、26歳の時でした。

為せば成る 為さねば成らぬ何事も

〈三尾〉
ここからの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。

当時の中央物産は、扇風機の包装資材、断熱材、リード線などを扱う、男性社員2名、女性社員20名ほどの弱小企業でした。私は脆弱な経営基盤を何とか盤石なものにするため、三菱電機中津川製作所の協力工場として、営業、ものづくりから運送まで一人でこなし、新規部品の受注に尽力。世界初の熱交換形換気機器「ロスナイ」の部品開発などを通じて業容を拡大していきました。

「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」

心酔する上杉鷹山の言葉で己を鼓舞し、ひたむきに前進を続けたのです。当初目指していたのは、「全天候型経営」でした。当時大きな収益を得ていた暖房機の排気パイプに装着する断熱材及び植毛付きステンレスパイプは、冬が過ぎると注文が途絶え、経営の不安定要素になっていました。そこで新たに冷房用のパイプカバーを開発することで夏季の収益も確保し、年間を通じて安定した仕事を実現することができたのです。

事業の拡大に伴い、国内市場だけを相手にしていたのでは頭打ちになることを痛感し、海外展開も始めました。

シャープの紹介する中国企業と合弁でエアコン部品工場を立ち上げたのを手始めに、経営環境の変化に対応して台湾、ヨーロッパ、オーストラリア、タイ、ベトナムへと拠点を広げ、おかげさまで創業70周年を迎えた今年、グループで売上高220億円を計上、従業員1,500名を抱えるまでになりました。

当社は、こうした海外展開を推進する中で「グローカル・カンパニー」を標榜。グローバルな視点を持ちながらもローカルを大事にする事業姿勢を貫いてまいりました。

安易に生産拠点を海外へ移し、それを国内に輸入するいまの風潮は、日本経済を停滞させると憂慮しています。それぞれの進出国で事業を完結させることで、日本国内の仕事をしっかり守っていく。それによって社員が安心して働ける職場を提供することができ、会社もより一層発展すると私は考えるのです。

会社は社員と共になければならない

〈三尾〉
とはいえ、会社は決して一本調子で成長してきたわけではありませんでした。製造を委託していた複数の大手取引先から技術を盗まれ、仕事を根こそぎ奪われたこともありました。しかし、当社が品質において圧倒的に優れていたことから、奪われた仕事は後にすべて取り戻すことができました。当社はこの反省を踏まえて一貫生産に注力し、エアコン用の被覆銅管や給水給湯の断熱保護付きポリ管などで大きなシェアを獲得するに至っています。

また、リーマンショックで景気が急速に悪化した際には、為替予約が裏目に出て大きな損失を被りました。会社の存続も危うくなるほどの苦境の中、やむなく中国で多数展開していた合弁企業をほとんど手放して経営を立て直し、何とか危機を脱したのです。

難しい経営の舵取りを担う中で支えになったのが、入社間もない若い頃に三菱電機中津川製作所の所長様から教わった「和敬を以て業を為す」という言葉でした。

経営基盤の脆弱な小さな会社であった当社をここまで導くことができたのは、この言葉を心に刻んで常に社員との和を大切にし、お互いに尊敬しながら共に仕事に取り組んできたからであると自負しています。会社は社員と共になければならない。それが私の信念です。

この和敬の精神を社内に一層根付かせるため、2年前には『致知』を活用した人間学の勉強会「社内木鶏会」を導入しました。毎月1回、4人ずつ15組に分かれて『致知』の読後感を交換し、美点凝視の精神でお互いのよいところを指摘し合うことで、コミュニケーションの苦手な最近の若い社員も積極的に仲間と交流し、それが社風向上にも結びついています。

また、『致知』を通じて我が国の大切な歴史や文化を学ぶことは、社員の価値観が共有され絆が深まるばかりでなく、日本の将来のためにも大切なことだと考え、今後もこうした教育を長い目で実践していく考えです。

世の中は絶えず変化し続けています。十年一日の如く同じことを繰り返していては、早晩会社は行き詰まります。社員一人ひとりが変化に対応し、時代を先取りするものづくりを実践していくためにも、当社はこれからも和敬の精神を大切にしてよりよい製品を開発し、社会に貢献していく考えです。 


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