2024年08月22日
菓子の製造小売業として国内最大規模を誇るシャトレーゼ。地元・山梨で僅か4坪の焼き菓子店からスタートし、1,000億円企業に育て上げた齊藤寛さんが2024年8月10日にお亡くなりになりました。90歳でした。幾多の試練を乗り越え、シャトレーゼはなぜこれほどまで成長を遂げてきたのか。齊藤さんのご冥福をお祈りし、月刊『致知』2023年5月号で語られたご自身の人生哲学、後から来る世代への熱いメッセージをご紹介します。
どん底まで行けば、後は上がる一方
——齊藤会長は逆境に直面するたびに知恵を絞り、飛躍を遂げてきましたが、逆境の只中ではどのように心を保ってこられましたか?
〈齊藤〉
もうともかく自分がやらなきゃどうしようもないということで、必死でしたね。落ち込んでいる暇はありませんでした。
困った時、社員は皆、社長の顔を見るんです。僕はこのくらいだったら大丈夫だ、これからだぞと。最悪の状況の中でも光を生み出すという気持ちでやっていました。やっぱりトップが意気消沈しちゃうとダメですね。体は小柄だけど気持ちは常に前へ前へ行く。トップがへこたれちゃいけません。
——リーダーは何があってもへこたれない。
〈齊藤〉
人生には波があって、ピークが来ると必ず沈みます。しかし、次にまた大きなチャンスが待っている。高い波の時に驕らず、波が来ない時に失望しないことが大切です。
シャトレーゼはどちらかというと逆張り、波が来ない逆境の時こそ知恵や資本を積極的に投じてきました。どん底まで行けば、後は上がる一方ですからね。
僕が尊敬する地元・甲斐の戦国武将である武田信玄はこんな言葉を残しています。
「凡そ軍勝五分を以て上と為し、七分を中と為し、十分を以て下と為す。その故は、五分は励を生じ、七分は怠を生じ、十分は驕を生ずるが故。たとえ戦に十分の勝を得るとも、驕を生ずれば次には必ず敗るるものなり。すべて戦に限らず世の中の事この心がけ肝要なり」
勝って怠けたり驕ったりしてはいけない。どんな時も励むんだと。
人生いろいろなことがありましたけど、試練を与えてくれたから成長したんじゃないですか。僕らの世代は敗戦の灰の中から立ち上がっていったわけですから、とにかくもう皆、一所懸命でしたよね。
いまの若い人は豊かで物に溢れた環境で育っていて、車も欲しがらないとか、苦労しなきゃいけないから出世したくないとか。どうしても試練を避けようとするわけですが、それはダメだよと。大きな目標を持って、試練に直面してそれを乗り越えて初めて成長するんだってよく語っています。
(本記事は月刊『致知』2023年5月号 特集「不惜身命 但惜身命」より一部抜粋・編集したものです)
◇ 齊藤 寛(さいとう・ひろし)
昭和9年山梨県生まれ。29年20歳の時に焼き菓子店「甘太郎」を創業。5年後、㈲甘太郎を設立し、代表取締役に就任。39年大和アイス㈱を設立。42年2社を統合し、㈱シャトレーゼに社名変更。平成20年代表取締役会長に就任。22年シャトレーゼをはじめ、ワイナリー事業、リゾート事業、ゴルフ事業などを統括して㈱シャトレーゼホールディングスに商号変更し、代表取締役社長に就任。30年より現職。著書に『シャトレーゼは、なぜ「おいしくて安い」のか』(CCCメディアハウス)。