甲子園出場!興南高校野球部監督・我喜屋優氏の原点

第106回、夏の全国高等学校野球選手権大会に2年ぶり14度目の出場を果たした名門・興南高校野球部。監督を務める我喜屋優氏は、監督就任から3年後に甲子園で春夏連覇を果たすなど、輝かしい実績を残されてきました。その背景にあった困難をどのように乗り越えてきたのか、また不可能と思われることに立ち向かっていく力はどこで培われたのでしょうか。ご自身の若き日々を振り返っていただきながら、我喜屋氏の原点に迫ります。

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自分を培ったもの

私はそのまま北海道で骨を埋めるつもりでした。

ただ心の内でずっと気にかかっていたのが、低迷の続く母校・興南高校野球部のことでした。

そんな私が再び高校野球との接点を持つようになったのは、駒大苫小牧高校の野球部監督に就任した香田誉士史さんから選手指導への協力を要請されてからでした。

練習に加わり様々なアドバイスをする中で、高校野球への思いが次第に募っていきました。

そして同校が夏の甲子園で北海道勢初の優勝を果たし、翌年には連覇、3年目も決勝戦まで駒を進め、引き分け再試合の末準優勝という快挙を成し遂げたことは、指導に協力した私にとっても嬉しい限りでした。

決勝戦を観戦し、熱戦の余韻に浸っているところへ舞い込んできたのが、母校・興南高校からの監督就任の打診でした。

実はそれまでも幾度となく打診を受けていたものの、会社での立場や家族のことを考えて断り続けていました。

しかしその時は妻の強い後押しもあり、私は34年間過ごした北海道を後にし、故郷沖縄に帰郷することを決意。

一からチームづくりに取り組み、3年後の平成22年に史上6校目の甲子園春夏連覇を果たすことができたのです。

困難を乗り越え、不可能と思われることに立ち向かっていく力は、幼少期からの道程の中で養われたものと思います。

私は昭和25年に沖縄南端の玉城村(現・南城市)という田舎に生まれました。

父親の体が不自由で家計が苦しかったため、子供の頃から家の手伝いをするのは当たり前でした。

しかしそのおかげで都会の子供にはない体力や忍耐力が養われ、陸上選手として誘いをいただいた興南高校へ入学しました。

あいにく体格に恵まれず、陸上は3か月で断念して活路を野球へ求めましたが、途中から入部した自分にはなかなかチャンスが巡ってきません。

球拾いなど雑務に明け暮れ、野球らしいことはほとんどさせてもらえなかったものの、幼い頃から家の手伝いを務めてきた私には、些かも苦ではありませんでした。

そうした私の姿勢を先輩方はちゃんと見てくれていました。

入部した年にチームが地方大会で優勝を果たすと、お手伝い要員の一人に選ばれ、レギュラーに帯同して甲子園に行けることになったのです。

「皆のため嫌な顔一つせず雑務を引き受けてくれている我喜屋を連れて行ってほしい」と3年生が監督に進言してくれたのでした。

実際にこの目で甲子園を見たことで、今度は選手として訪れたいとの夢が膨らみました。

その夢に突き動かされ、私は3年生の時にキャプテンとして再び甲子園の土を踏み、そして沖縄県勢初のベスト4を果たしたのです。

大昭和製紙の野球部に入部した時には、あまりの練習の厳しさにいつ辞めようか、いつ辞めようかと、逃げ出す理由ばかり探していました。

しかしある時、嫌だ嫌だと思っていたら何もかも嫌になる。嫌なものに立ち向かっていこう、と気持ちを切り替えてから自分の可能性が開けていったのです。

北海道という過酷な環境も、マイナスに捉えたままでは決して優勝という快挙は成し遂げられなかったでしょう。

私は、逆境にめげることなく、逆境に立ち向かうことで全国優勝を果たすことができました。

逆境は自分を育んでくれる宝。

逆境は立ち向かえば友達になるというのが、体験を通じて確立された私の信念なのです。


(本記事は月刊『致知』201611月号 連載「二十代をどう生きるか」より一部抜粋・編集したものです)

【本記事の内容】
▼一流選手はここまでやるのか
▼情熱は不可能を可能にする
▼自分を培ったもの
▼挑戦する限り人はいつも若い

高校時代、興南高校野球部キャプテンとして、甲子園に出場、沖縄県勢初のベスト4入りを果たした我喜屋優氏。その後は社会人野球に進出するも、様々な逆境が訪れます。幾多の困難をいかにして乗り越えてきたのか。甲子園に挑む名将の原点に迫ります。【詳細・購読は下記バナーをクリック↓】。

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◇ 我喜屋優(がきや・まさる)
昭和25年沖縄県生まれ。43年夏の甲子園に興南高等学校野球部主将として県勢初の4強。大昭和製紙富士を経て、47年白老町の大昭和製紙北海道に移り、49年都市対抗野球で優勝。平成元年監督に就任し、4年連続で同大会出場。5年に休部し、クラブチーム「ヴィガしらおい」監督。19年興南高校監督就任。22年選抜初優勝。同年夏の甲子園で史上6校目となる春夏連覇を果たす。現在、同校の理事長も務める。

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