2024年07月16日
庄内地方の田園が見渡せる本店に、全国の食通が足を運ぶアル・ケッチァーノ。シェフの奥田政行氏は地場食材を使った独自のイタリアンを発信、山形県鶴岡市を「ユネスコ食文化創造都市」認定へ導いた立役者です。今日の繫栄の礎となったものは何か。若き日の心掛けにその答えを探ります。 ◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
修行には段位がある
<後藤>
いま、アル・ケッチァーノは日本中に展開していますね。
<奥田>
直営店が9つと、僕がプロデュースした店が13店舗です。
<後藤>
それはすごい。初めて会ったのはもう30年以上前ですが、当時、料理人というと地方出身が大半で、僕のように東京が地元という人はほぼいなかった。奥田シェフの印象は、田舎から来た素朴な青年という感じでした。いまはこんなに貫禄があるけど(笑)、華奢でイケメンでしたよね。
<奥田>
高校卒業と同時に山形から東京に出てきて、あの時は22歳でした。
僕は実家が飲食店で、小学4年生から手伝いに入っていたので、手先はそれなりに慣れていました。ですからそれまでいたイタリアンレストランとフランス菓子店では割合いいポストに就かせてもらえて、紹介で後藤シェフのいる新宿3丁目の高級ステーキ店「葆里湛」に面接に行きました。
あの時のことはよく覚えています。「この時代だから、俺は殴らないよ」と言われて、ああ、いいシェフだなぁと思いました(笑)。
<後藤>
それで騙されたんだ(笑)。
<奥田>
店に入ってすぐ、大変なところに来てしまったと分かりました。
その日は予約が少なくて休憩が長めだったので、裏でラジオをつけて大相撲の実況を聴いていました。そうしたら後藤シェフがやって来て「切れ!」と。
別の日、今度は漫画を持ち込んでいました。そうしたら「漫画なんて読むな!」。スポーツ新聞を読んでいたら「『日本経済新聞』しか読むな!」。どうしてかなと考えて、ああ、一切合切を捨てて「道」に入れと言っているんだなと一人で納得しました。
<後藤>
そういう素直さ、心構えは初めからよかった気がします。
<奥田>
そこからシェフの言うことの答えを自力で探し始めました。
後藤シェフは、例えば、予約が入っていなくても完璧に仕込みをされる。メニュー表にある食材がないなんてことは料理人の恥だと。僕たちが自分の立場の仕事を100%できていないととにかく怒る。皿に指紋がついていただけで、すぐ手が飛んできましたね(笑)。
<後藤>
いやあ、ここに来る途中も話したけど、ほとんど記憶がない。まだ35歳前後で若かったから、スイッチが入ると自分の世界に入り込んで、周りが見えなくなっていました。当時のスタッフを集めて、謝りたい気持ちですよ。
<奥田>
誤解のないよう読者の皆様にお伝えしておくと、当時の料理界というのは、たくさんの腕利きのシェフが皆、名を上げようと群雄割拠していた時代でした。
シェフになればスパルタ教育が当たり前、勝ち上がってきた弟子だけ拾う。どこもそうだったんです。
でも、怒られるうちに気づきました。最初は「一所懸命」が肝腎だと。一所懸命って鎌倉時代にできた言葉らしくて、殿様から与えられた領地を命懸けで守るという意味。僕は自分の仕事を100%クリアすることに力を注ぎました。
ところが準備がいくら完璧でも、本番で失敗すればしこたま怒られました。「奥田にあの仕事はさせるな」と交代させられるんです。一所懸命の上には「真剣勝負」のステージがあるんですね。
◉『致知』2024年7月号 特集「師資相承」◉
対談〝己のコスモを抱いて生きる〟
後藤光雄(葆里湛シェフ)
奥田政行(アル・ケッチァーノ オーナーシェフ)
↓ 対談内容はこちら!
◆料理人にゴールはない
◆修行には段位がある
◆好きになれば吸収できる呼吸も目で見える
◆チャンスを掴み、引き上げられるコツ
◆俺はきょう自分に戻ろう
◆「ここにコスモがあるんだよ!」
◆故郷を照らす光を求めて
◆師の志を継いで新たな旅へ
◆時代が求める師資相承
▼詳細・お申し込みはこちら
◇後藤光雄(ごとう・みつお)
昭和29年東京都生まれ。高校卒業後、東京のレストランを中心に修業を積み55年渡仏。63年「葆里湛」伊勢丹店にて低温調理遠赤外線を開発。平成7年より17年まで「ア・ヴォートル・サンテ」オーナーシェフ。25年香港「葆里湛」で低温調理遠赤外線を伝授。同店休業に伴い帰国後はパーソナルシェフとして活躍、令和6年より再開店。
◇奥田政行(おくだ・まさゆき)
昭和44年山形県生まれ。高校卒業後、東京で7年間修業し、26歳で鶴岡ワシントンホテル料理長就任。平成12年「アル・ケッチァーノ」を鶴岡市に開店。16年より「食の都庄内」親善大使。令和元年文化庁長官表彰受賞ほか受賞多数。近著に『パスタの新しいゆで方 ゆで論』(ラクア書店)『日本再生のレシピ』(共同通信社)など。