「意に沿わない時こそ一所懸命やる」——大和証券を就職人気ランキング1位へと育て上げた鈴木茂晴の原点

日本証券業協会会長を務めたのち、現在は大和証券グループ本社名誉顧問として日本の証券業界を牽引する鈴木茂晴氏。大和証券の社長・会長を計13年務め、様々な改革を推進し、同社を就職人気ランキング1位へと育て上げてきました。鈴木氏の原点にあるもの、それは若き日に営業の第一線で積み重ねた努力に他なりません。その自身の歩みを振り返っていただきました。

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坂の上の雲を一点に見つめて

〈鈴木〉
入社後、まず所属した部署は東京丸の内にある本店営業部でした。本店は強者の先輩営業マンばかりが集まり、鎬を削るところ。私は決して本店を希望したわけではないものの、150人ほどいた同期の中から7~8人が本店営業に配属され、たまたまその一人に選ばれました。

証券取引業務を行うために必要な資格を3か月で取得し、それ以後は来る日も来る日も朝から飛び込み営業に出掛け、新規顧客を開拓する。いまと違って個人情報保護法がない時代ですから、株主や医者などの名簿がたくさんあり、「これで回ってこい」とよく言われたものです。

当時はインターネットもありませんでしたので、会社から支給される資料に加え、ありとあらゆる新聞や雑誌を取り寄せて読み込み、そこで得た情報をもとに立てた株価の予測などをお客様に話すよう心掛けていました。

朝は7時半前には出社し、夜は9時、10時頃まで働く。ノルマも課され、厳しい仕事だったため、辞める社員も多かったのですが、その一方で、花見や運動会、社員旅行といった行事もあり、アットホームでなおかつ皆が努力し高め合う雰囲気に包まれていました。

あの頃は大和証券のみならず、どこの会社も同じ状況だったと思いますが、全員が坂の上の雲を一点に見つめながら、せっせと上っていたような時代です。

とりわけ証券業界はニクソン・ショックやオイル・ショックに見舞われながらも右肩上がりに伸び続け、初任給が約4万円のところ、翌年には7,000~8,000円もベースアップする。そういう中で、仕事も遊びも一所懸命に打ち込んでいきました。

異動や転勤は試され時である

〈鈴木〉
本店営業を3年間経験した後、次に与えられたステージは埼玉県の大宮支店でした。いまでこそ大宮は栄えていますが、当時はまだ田舎。仕事を終えて夜お酒を飲んでいると、操車場から汽笛が鳴り響く。それが非常にもの悲しく、こんな遠くの町へ来てしまったのかと思いながら飲んでいた記憶があります。
 
それでも「住めば都」という諺の如く、日を追うごとに居心地がよくなっていきました。仕事でも順調にお客様を増やし、3年経つ頃には、全国的に見ても高い成績を上げられるようになったのです。

ここを終の住処にしたいと思っていたところ、ある日突然、1通のファクスが届きました。

驚くことに、それは新規店の開設準備員として、神奈川県の鎌倉へ転勤する辞令でした。30歳の頃です。

新規店ということは当然お客様をゼロからつくらなければいけません。その上、鎌倉支店は投資信託のみで株式は取り扱わないとのこと。これまで株式しかやってこなかった私に、まさか白羽の矢が立つとは思ってもみませんでした。

成績が悪いならまだしも、トップクラスの俺がなぜそんなところへ行かなければならないのか。当初は不満を抱いていました。
 
新入社員時代のように、担当地域を指定され、あてがわれた高額所得者名簿を頼りに1軒ずつ訪問していく日々。

山の上に大きな豪邸が立っており、見ると階段が100段くらいある。夏の暑い日でした。こんな炎天下で100段の階段を上っていくのは嫌だな、やめておこうと一瞬尻込みしましたが、これでもし他の誰かに取られてしまっては癪に障ると思うと、駆け上がっている自分がそこにはいました。

また、在宅の可能性の低い平日は残業しない代わりに、土日は休むことなく飛び込み営業に奔走しました。

最初はインターホン越しにけんもほろろに断られることも少なくなかったものの、チラシを投函したり、時に食い下がって話をしたりする中で、成約に繋げられるようになりました。

そのうちに心を覆っていた不満は消え去り、どこへ行ってもゼロからお客様を開拓できるという自信、強みが生まれたのです。まさに「人間万事塞翁が馬」だと思います。

かつて私がそうだったように、納得のいかない異動や転勤を命じられることも時にあるでしょう。しかし、そこで愚痴ばかり吐き、やけくそになっては手の施しようがありません。

逆にそこで成績を出し、期待に応えれば自らの仕事力が高まり、マルチプレイヤーに育つばかりか、どんどん登用され、引き上げられていく。

社長や上司はその人の能力を見定めるために意図して人事を決めているのであり、「いま自分は試されているのだ」と思うべきです。

意に沿わない時こそ一所懸命やる。いま与えられた部署、役割の中で最大限の努力をすることが重要なのではないでしょうか。


(本記事は月刊『致知』20186月号連載「二十代をどう生きるか」より一部抜粋・編集したものです)

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◇ 鈴木茂晴(すずき・しげはる)
昭和22年京都府生まれ。46年慶應義塾大学経済学部卒業後、大和證券入社。引受第一部長、専務取締役などを経て、平成16年大和証券グループ本社取締役兼代表執行役社長、大和証券代表取締役社長。23年大和証券グループ本社取締役会長兼執行役、大和証券代表取締役会長。29年日本証券業協会会長に就任(令和3年まで)。令和3年大和証券グループ本社名誉顧問に就任。

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