2024年02月05日
70代と40代、ソーシャルビジネスの最前線で 活躍する二人が語り合う
ソーシャルビジネスという言葉が巷でも使われるようになりました。ソーシャルビジネスとは貧困や環境問題などの社会問題解決を目的とした事業のことで、寄付金などに頼らず事業収益を上げることで継続的な社会支援を可能にしているビジネスを指します。
人にも地球にも優しい「ヤシノミ洗剤」「ラカントS」といった家庭用品から業務用商品とサービスでSDGsに注力するサラヤは、途上国での社会貢献活動にも尽力しています。片や「人と地球を健康にする」というパーパスを掲げ、ヘルスケアだけでなくバイオ燃料の分野でも新たな挑戦を続けているのがユーグレナ。両社ともBtoBのみならずBtoCも行っているため、商品を手にしたことのある人も多いでしょう。
持続可能な社会の実現に取り組む更家悠介さんと出雲充さんは面識があったものの、しっかりと話をするのは今回が初めてとのこと。70代と40代、二回り以上年齢が離れていましたが、第一線で活躍する経営者としてビジネスに熱い思いを抱くお二人の対談は、互いに呼応するように話が深まっていきました。
両氏とも多忙のため、今回の取材は互いの本社がある大阪と東京を繋いでオンラインで行われました。
30年近く社長を務める更家社長が語った 危機に直面した時、リーダーに求められる資質
私が事前にお二人について調べる中で、ここだけはぜひ伺いたいと思っていたポイントがそれぞれありました。まず更家さんについて。
2000年代初めごろから〝パーム油問題〟が叫ばれていたのはご存じでしょうか? チョコレートやマーガリン、化粧品など多くの製品に使われているパーム油をつくるために、生産地である熱帯地域で、栽培面積を増やす目的で無作為に熱帯林が破壊されているというのです。東南アジアのある島では、森の面積が半分以下になり、野生生物の住処や食料が失われて、オランウータンや象などが絶滅の危機に瀕していました。
当時からこの問題は認識していたものの、その矛先がサラヤさんにまで及んでいたことに驚くと共に、その時のサラヤさんの迅速な対応力に心から感銘を受けました。
まず、パーム油を使っていた多くの企業が取材拒否をしたにも拘らず、取材を引き受け、正直に「問題になっていることを認識していなかった」と述べたこと。そして、この環境破壊問題は一社だけで解決できる規模ではないことを承知の上で、問題を知ったものの責任としてのやむにやまれぬ思いに突き動かされて、翌年からマレーシアのボルネオ島での環境保全活動を開始されました。
20年前の話ではありますが、この時の迅速な対応について質問したところ、更家社長はこう答えられました。
「私の場合、問題は明らかでしたので、目を背けず粛々と、淡々と真面目に改善に向けて取り組むしかありませんでした。
私は危機感というのは常に抱いていて、コロナ禍も危機でしたし、ポストコロナもある意味で大きな危機であると同時に、変化の時です。そして変化はやはりチャンスでもあると。その変化への対応は非常に大事ですので、社員にも危機を危機と思わずチャンスだと捉えて頑張ろうとよく伝えています。
変化への対応力で言えば、まず大事なのがスピード感です。それから社員の理解を深めること。社員が嫌々対応していたら、できるものもできなくなるので、社員とのコミュニケーションを大切に、その事業の必要性を繰り返し伝えなければなかなか浸透しません。それから、変化の対応は一人でできるものではないので、スピード感や事業への理解度を高める組織カルチャーを築くこと。この三つが危機の時にリーダーに求められる資質だと思います」
そしてこうも語られました。
「そのスピード感が評価されたのかもしれませんが、問題に直面した時に逃げずに真面目に向き合い続ける姿勢、そしてそれをコツコツといままで20年間、やり続けていることもよかったのだと思います。私たちは単なる一過性のパフォーマンスでなく本気で環境保全に取り組んでいます」
この言葉の通り20年間環境保全活動を続けていることが、サラヤをソーシャルビジネスに取り組む企業として確固たるものにした要因の一つです。
そして支援の手はボルネオ島を越え、「手洗い」の習慣が定着していなかったアフリカのウガンダでの手洗いプロジェクトなど、各方面に及んでいます。
25歳で起業し、7年で上場させた出雲社長流、 昨日の不可能を今日可能にする生き方
取材の終了時間が迫る中、ユーグレナの出雲社長にこれだけはと言ってお伺いしたのが、バングラデシュで始められたボランティア活動についてです。
記事内でも出雲社長がお話しされていますが、出雲社長は大学1年生の時にバングラデシュに行ったことがすべての始まりであり、原点となっています。そこで「バングラデシュの子供たちの栄養失調を改善したい!」と決意したことが起業の原点にも拘らず、その後再びバングラデシュに訪れることができたのは、それから15年後のことだったと言います。
それほどベンチャー企業を経営していくのは簡単ではないということですが、常にバングラデシュの人たちを念頭に目の前の経営に没頭し、創業から7年で東証マザーズへ上場。その翌年に再びバングラデシュの地を踏みました。そして栄養失調問題が改善されていない事実を突きつけられ、栄養満点のユーグレナ入りのクッキーを無償配布するようになったのでした。
なぜこれほど世のため人のために尽くせるのか――出雲社長はこう語られました。
「持続可能性という面で言えば、人類がこのままのペースで生活を続けていれば、いずれ地球に人が住めなくなります。私たちの子どもや孫の世代がまともな生活ができなくなるかもしれないという、いままさに分水嶺に立たされています。その危機感をもっと多くの人たちが持ち、できる人から、できる会社から、改善に向けて取り組んでいくしかないと痛切に感じています」
続いて、ご自身の生き方や仕事の指針にされている言葉を伺いました。
「ロケット工学の父と呼ばれるロシアの物理学者コンスタンチン・ツィオルコフスキーが『今日の不可能は、明日可能となる』という言葉を残しています。不可能だと思われるような難しいチャレンジを、起業家がイノベーションでもって実現させていくのがベンチャーの醍醐味だと思うんです。ですので尊敬するツィオルコフスキー先生の言葉を少し変えて、『昨日の不可能を、今日可能にする』、この気概を持って活動し、世界に貢献していきたいと思っています」
この他、二人の経営手腕、企業理念の浸透方法など具体的な実践例は本誌でお読みください。
●『致知』3月号 特集「丹田常充実」●
ソーシャルビジネスで世界を変える
―——業界を牽引するリーダーに学ぶ将の器、志の磨き方―——
更家悠介(サラヤ社長)
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出雲 充(ユーグレナ社長)
▼その他、対談ではこんなテーマでお話しいただきました
・環境問題への目下の挑戦
・サラヤ七十年の歴史とユーグレナ社の創業秘話
・創業者である父親との阿吽の呼吸
・リーダーとしての器の磨き方
・経営理念とは北極星のようにぶれない軸
・経営理念を日々の業務へ落とし込む
・突然直面した危機への対応力
・15年越しに実現させた支援活動
・世界を変えるリーダーに求められる胆力
◇更家悠介(さらや・ゆうすけ)
昭和26年三重県生まれ。49年大阪大学工学部卒業。50年カリフォルニア大学バークレー校工学部衛生工学科修士課程修了。翌年サラヤに入社し、取締役工場長に就任。55年に専務取締役、平成元年には日本青年会議所(JC)会頭を務める。10年に代表取締役社長に就任。世界での売上高は1千億円を突破。26年渋沢栄一賞受賞、令和5年に「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞 経済産業大臣賞を受賞。著書に『これからのビジネスは「きれいごと」の実践でうまくいく』(東洋経済新報社)『地球市民宣言』(日経BP)など。
◇出雲 充(いずも・みつる)
昭和55年広島県生まれ。東京大学農学部卒業後、平成14年東京三菱(現・三菱UFJ)銀行入行。17年ユーグレナ社を創業、代表取締役社長就任。同年12月に世界で初となる微細藻類ユーグレナ(和名:ミドリムシ)の食用屋外大量培養に成功。世界経済フォーラム(ダボス会議)ヤンググローバルリーダー、第1回日本ベンチャー大賞「内閣総理大臣賞」受賞。経団連審議員会副議長。著書に『僕はミドリムシで世界を救うことに決めた。』(小学館新書)『サステナブルビジネス』(PHP研究所)など。