良い品・良い人・良い会社つくり——食のイノベーションを通じた「人づくり」を描く(八天堂・森光孝雅社長)

広島県三原市港町発祥の冷やして食べる「くりーむパン」をはじめ、やさしさとくちどけ、食感を追求した様々なお品をつくり続ける八天堂。これら唯一無二の商品は、倒産の危機の中で生まれたといいます。森光社長にその開発秘話、事業に懸ける覚悟を伺いました。

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「お菓子は人の心を元気にする仕事」
創業者である祖父の言葉を胸に

一品一品大切にお届けしている八天堂の〝冷やして食べる〟くりーむパン。丁寧なものづくりを心掛け、お品に魂を入れる思いで多い時では一日に6万個をつくり上げています。コロナ禍で変更を余儀なくされた点もありますが、これはくりーむパン誕生から14年近く変わらぬポリシーです。

この思いの背景には、創業者である祖父、先代の父の姿がありました。

昭和8年、まだ砂糖が貴重な時代に和菓子屋を始めた祖父は、お菓子はおいしいだけでなく「人の心を元気にする仕事でもある」と語り、誇りを持って楽しそうに働いていた姿が心に残っています。祖父も父も非常に丁寧にお菓子をつくり、また人を大切にしていました。それはお客様や社員・スタッフだけでなく、親戚一同、仲がいいことも誇れることの一つです。

父の時代から洋菓子を始め、私の代でパン屋へと業態変更をしました。私は商品開発が得意で、大袈裟ではなくこれまでに一万種類以上のパンをつくってきました。おかげさまで地元・広島県に13店舗を構えるまで事業を広げたものの、奇を衒った商品のブームは長続きせず、また、コンビニエンスストアや地域の焼き立てパンの新店の台頭もあり、2000年初め頃から、小売りだけではなくパンの卸業も手掛けるようになりました。

天然酵母や無添加にこだわったパンは大変好評で卸事業は拡大していきましたが、地域のパン屋さんも追随。競合の台頭によって業績は悪化の一途を辿り、信頼していた店長クラスの社員が蜘蛛の子を散らすように会社を去り、ついに倒産寸前にまで追い込まれてしまったのです。

生き残りをかけて戦略を練る中で、東京では一品専門店がブームであることに着目。当時100種類以上あった商品を一つに絞り、不退転の覚悟を以て、都心の市場に挑戦する決意を固めました。

「不退転の覚悟で」
唯一無二のくりーむパンへの挑戦

広島県内で焼いたパンを空輸しても、都内の焼き立てパンには到底敵いません。冷めてもおいしく、お母さんが握るおにぎりのように毎日食べても飽きのこないパンとは何なのか――。

経済学者・シュンペーターがイノベーションとは既存のものを新しく組み合わせることと定義したのは有名ですが、ここにヒントを得て、勝負の一品の案を練り続けました。

パンの世界でスタンダードと言えば、アンパンやクリームパン。そこで初めは地元の酒蔵の酵母菌を使ったアンパンをつくったものの、すぐに撃沈しました。東京の百貨店に自信作のアンパン持参で熱弁をふるうも、関心を抱いてもらえないどころか、試食さえしてもらえない。

そうして担当者に連れていかれたのが、当時開催されていたバレンタインフェアの会場でした。チョコレートを購入するための行列以外に、海外の有名ショコラティエのサインをもらうために長蛇の列ができている様子を無言で見せられ、最後にひと言、「東京ってこういうところですから」と。

つまり、地方のパン屋は出る幕がないということです。このひと言を聞き、その場に倒れ込みそうになったことをよく覚えています。悔しさ、情けなさを通り越し、このまま地元に戻ってもう一度やり直せるのか。得も言われぬ感情が押し寄せてきたのです。

幸い、既に我が社の経営理念「良い品 良い人 良い会社つくり」があり、私自身の信条「何があっても私は社員のために、お客様のために、未来のために」を心に誓っていたため、何とか心が折れずに立ち直ることができました。

絶対に満足のいく一品をつくり出す、この覚悟で再びゼロから開発に臨んだからこそ、〝くちどけ〟というアイデアが閃いたのでしょう。「クリームパン×くちどけ」。つくるパンのコンセプトは固まりました。

しかし、ここからがさらなる試行錯誤の日々の始まりでした。パンに生もののクリームを入れると冷蔵保存が必須ですが、そうするとパンが固くなる……。原材料の配合、一度につくる量、使う器具、ガスの種類など細部にわたって徹底的にこだわり抜いた結果、出来上がったのがいままで世の中になかった新発想「冷やして食べるくりーむパン」でした。

実に開発開始から1年半が経過していました。

一点突破の全面展開
事業とは人づくり、地域貢献

この自信作を2009 年から東京に店を構えて販売すると、驚くほど一気に人気に火がつきました。「空飛ぶくりーむパン、毎日空輸で運んでいます」とのキャッチコピーも口コミで話題を呼び、マスメディアで何度も紹介いただき、連日15時には売り切れる状況が3~4年も続いたのです。2013年には広島空港の目の前に工場を新設し、量産化体制を整えることができました。

このくりーむパンはたまたまヒットした商品ではありません。満足いくまで何度も試作を重ね、他社が「真似をしたくない」と思うレベルまでこだわり抜いたこと、一品一品に魂を入れるが如く真心を込めたこと。そうした小さな積み重ねが、いままでにない逸品を生み出しました。

いまではアジアやカナダなど海外にも進出しています。

「人間は逆境の時にその真価が問われる」とよく言いますが、まさに社運を懸けたこの挑戦で、私自身の人間性も試されたと思います。業績悪化の中、パンの卸の仕事をくださった命の恩人たちに、「一品専門店で勝負するため、取り引きを辞めさせてください」とお一人お一人に土下座をする思いで頭を下げて回りました。

その時、まだくりーむパンは完成していません。当然、卸先の方々からはお叱りを受けましたし、無謀な挑戦だと揶揄されました。

それでも、我が社が生き延びる術は「一点突破の全面展開」以外にないと、決死の覚悟で臨んだのです。この時に、誠心誠意謝罪する私の姿を見てくださった方々は、いまでは強力な応援者になってくださっています。やはり、志を持って本気で打ち込んでいる人間を、周囲は放っておかないのでしょう。

私は事業とは〝人づくり〟だと考えています。おかげさまで社員は100名以上に増え、教育のために『致知』を使った勉強会「社内木鶏会」を実施する他、地域貢献の一環として、積極的に障がいを持たれた方の雇用も推進しています。また、商工農と連携した体験型のテーマパークを2016年に地元広島の空港前にオープンし、同様の施設を全国につくる計画も立てています。

一点突破の全面展開。くりーむパンで切り開いた当社の事業は、現在、様々な場に蒔いていた種が芽を出し始め、コロナ禍でありながら2022年5月の決算で売上高は過去最高の34億円になりました。創業から89年、業態は変えながらも、地元発信で事業を続けてこられたことに感無量です。

これからも一人でも多くの方の心を元気にすべく、誠心誠意、事業に打ち込み続ける覚悟です。


(本記事は月刊『致知』2022年8月号 掲載記事より一部抜粋・編集したものです)

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『致知』45周年、誠におめでとうございます。
また45年もの長きにわたり「いつの時代でも仕事にも人生にも真剣に取り組んでいる人はいる。そういう人たちの心の糧になる雑誌を創ろう」という創刊理念の下、私達を導き勇気づけてくれた『致知』は私の人生を変えてくれました。
また幾いくつもの叡智溢れる先達の言葉から、経営に正対する覚悟が持てました。
45年の長きにわたり全身全霊で取り組んでこられた藤尾社長、致知出版社の皆様に、心より感謝申し上げます。

◇森光孝雅(もりみつ・たかまさ)
昭和39年広島県生まれ。パン職人の修業を経て、平成3年八天堂に入社。焼き立てのパン店で順調に売上を伸ばし、広島県内を中心に13店舗経営する。18年3代目社長就任。20年「冷やして食べるくりーむパン」の開発に成功。21年屋号を「八天堂」に統一。日本ニュービジネス協議会から日本ニュービジネス優秀賞など受賞。令和元年より三原商工会議所会頭を勤める。4年全国社内木鶏経営者会副会長に就任。

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