【追悼】「ただ純粋に音楽が好きだった」——世界的指揮者・飯守泰次郎の原点

世界的に活躍された指揮者・飯守泰次郎氏が2023年8月15日、82歳で亡くなられました。とりわけ後期ロマン派の頂点と称されるワーグナーのオペラ演奏において、氏の右に出るものはいないと言われるほどの指揮界の巨匠はいかなる修業時代を過ごしたのでしょうか。飯守さんのご冥福をお祈りし、弊誌記事より指揮者としての原点となったエピソード、20代に向けたメッセージをご紹介します。

音楽が好きという純粋な思い

3歳の頃からヴァイオリンやピアノを習い始めた私は、ある時、桐朋学園の運営する「子供のための音楽教室」を見学した。同世代の生徒たちによるオーケストラ演奏はプロを凌ぐほどのレベルで、とにかく衝撃を受けた。

私もそこに通ってピアノのレッスンを受け始めたが、あまりに練習時間が長く自由な時間が束縛されることに窮屈さを覚え、レッスンに出たり出なかったりする時期が続いた。桐朋の圧倒的な水準の高さに惹かれる一方、実力主義で競争の激しい環境に反発を感じ、そういう鬩ぎ合いの中で悶々としていた。

そんなことから、当初は音楽学校ではなく、普通高校に進もうと考えていた。ところが、ちょうどその頃から受験戦争が激化し、周りの友人たちは塾に通って必死に勉強している。どちらにしろ激しい競争を避けることはできない。それだったら、学力と点数のみでデジタル的に評価される道よりも、自分の音楽的能力と個性で競争する道に進もうと思った。最終的には、音楽が好きだという気持ちが決め手になったのである。

1956年、後に数々の世界的な音楽家を輩出することになる桐朋学園のピアノ科に入学した。

そして高校3年生の時、指揮科へ転科した。桐朋学園音楽部門の創設者の一人で、小澤征爾さんを育てた指揮者としても有名な齋藤秀雄先生から、ある時こう声を掛けられた。

「飯守君、きみは噂によると絶対音感があって初見にも大変優れている。その才能をもってすれば指揮者としても立派にやっていける」

このひと言がきっかけとなり、指揮のレッスンを受けたところ、瞬く間にオーケストラの虜になったのである。

指揮者というと、楽員を従わせて自分の思いどおりの音楽を表現する独裁的なイメージを持たれる方もいるかもしれない。しかし、私にはそういった野望は全くなかった。それよりも、ただ純粋に音楽が好きだった。一人でピアノを弾いていた時とは違って、大勢の人と音楽ができる。さらに、交響曲や楽劇、オペラ、オペレッタ、合唱曲、協奏曲……というように演奏できるレパートリーが非常に多い。自分の中の音楽の世界がどんどん広がっていくことは、私にとって形容し難い喜びであった。

人との出逢いが運命を動かす

私にとって一つ目の転機は大学卒業間近に訪れた。ある時、オペラで有名な藤原歌劇団の創設者である藤原義江さんに目を掛けていただき、同劇団の公演『修道女アンジェリカ』の指揮者に抜擢されたのである。そこでオペラの世界に開眼し、将来は本場ヨーロッパの歌劇場で仕事をしたいと思うようになった。

ただ、すぐにはヨーロッパには渡らなかった。1962年に桐朋学園短期大学を卒業し、数年間、齋藤先生のもとでアシスタントを務めた後、フルブライト留学で向かった先はアメリカ・ニューヨークだった。25歳の時である。

なぜヨーロッパではなく、アメリカの地を選んだのか。それは、ヨーロッパのそれぞれの国や町には厳然たる伝統が確立しており、いきなりそこに身を置いてしまうと、一つの伝統に縛られ、価値観が偏ってしまうと危惧したからだ。そしてニューヨークは、世界各国から多くの民族が集まっている。若いうちはできるだけいろいろな価値観に触れ、豊かな経験を積むことで、広い視野を持って自分自身を確立していくべきだと思った。

ニューヨークの音楽学校で学び、翌年開かれたミトロプーロス国際指揮者コンクールに参加。この時私は、日本人初となる4位入賞を果たした。このコンクールに偶然足を運んでいたのが、19世紀ドイツの作曲家で後期ロマン派の頂点と称されるリヒャルト・ワーグナーの孫、フリーデリンド・ワーグナーだった。

彼女は、ワーグナーの歌劇・楽劇のみを上演するバイロイト音楽祭でマスタークラスを主宰していた。マスタークラスとは、後進の育成を目的に優秀な生徒たちを世界中から集めてトレーニングする特訓クラスだ。彼女は私の指揮に目を留め、マスタークラスにスカウトしてくれたのである。これが第二の転機となった。

そのマスタークラスに参加した時、またしても偶然に恵まれる。バイロイト音楽祭のアシスタントが病気になり、急遽私がその代役を任されたのだ。そして、やはりリヒャルト・ワーグナーの孫で、音楽祭の総監督であったヴィーラントとヴォルフガングの兄弟と知り合うようになった。

当時の私はまだドイツ語が堪能なわけではなかったが、音楽的能力に対する信頼を得ることができ、1971年、30歳の時には正式にバイロイト音楽祭の音楽助手に就任したのである。人生の様々な局面において、人との出逢いが私の運命を大きく動かし、指揮者としての道が拓かれていったと実感する。

自分にとって何が大事か

私自身の過去を振り返ってみると、二十代の10年間で自慢できるような話は多くはないが、一つだけ言えるとしたら、私ほど失敗や困難の多かった指揮者は他にいないと思うし、そのおかげでいまの自分があるということである。失敗は次の発展に繋がっていくものなのだ。

もし私が、自分の立場や名誉のために指揮者をやっていたら挫折していただろう。だが、私は心底から音楽が好きだった。音楽に対する愛情が根底にあったから、壁にぶつかっても前に進むことができたのだと思う。

ゆえに、いまの二十代の人たちに伝えたいのは、周りの意見や常識に振り回されないで、何が自分にとって大事なのか、自分は何をすべきか、自分の内面と真正面から向き合って考えてほしいということである。

自分の信念を定めるには、ある程度時間が掛かるものだ。だからこそ、恐れずに勇気をもって行動してほしい。失敗なくして成長はないし、絶対に失敗しないように気を遣ってばかりいれば、スケールの大きなことは成し得ない。

何か新しいことに挑戦する若い人たちに対して、普通は「成功を祈ります」と言うだろう。しかし、私はあえてこういう言葉を贈っている。「失敗を祈ります」と。


(本記事は月刊『致知』2015年10月号 連載「二十代をどう生きるか」一部抜粋・編集したものです)

◇飯守泰次郎(いいもり・たいじろう)
昭和15年旧満洲生まれ。37年桐朋学園短期大学音楽科卒、同時に藤原歌劇団公演『修道女アンジェリカ』にてデビューを飾る。46年バイロイト音楽祭の音楽助手に日本人として初めて就任。平成5年名古屋フィルハーモニー交響楽団常任指揮者。9年東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団常任指揮者、25年より桂冠名誉指揮者。13年関西フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者、24年より桂冠名誉指揮者。26年より新国立劇場オペラ芸術監督を務める。

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