2023年04月24日
大正2(1913)年、倉敷の町に「井上葬具店」として産声をあげた株式会社いのうえは110年にわたって地域に根差した葬儀葬祭業を担ってきました。3代目である現社長の井上峰一さんは原点を慮りながらも葬儀屋からの脱皮を目指し、様々な変革を実施。グループ年商40億円、社員250名を擁する儀礼文化企業へと導いてきました。創業の原点と現在に至る足跡を通じて、事業に懸ける熱い想いをお話しいただきました。
倉敷の地に儀礼文化の灯を灯す
〈井上〉
㈱いのうえは本年、おかげさまで創業110年の節目を迎えることができました。大正2(1913)年、祖父・英二が井上葬具店(当時)を創業して以来、2代目の父・哲二、そして現社長の私に至る3代にわたり地元倉敷の葬儀葬祭を担ってまいりました。
私が幼い頃存命だった祖父は、真面目で生一本。故人とご遺族のために毎晩遅くまで一所懸命仕事に打ち込んでいた後ろ姿が強く印象に残っています。祖父の気質を色濃く受け継いでいた父もまた職人気質で、会社や仕事のことを饒舌に語る人ではありませんでした。
祖父、父の背中を見て育った私は、昭和60年に社長に就任。日々の仕事と向き合う中で「葬祭業は命の尊厳に最も近い仕事である」という信念を持ち、自分と他者は元来一つのものであるという意味の禅語「不二一如」の精神で故人とご遺族に親身に向き合い、頼れるご近所さんのような存在でありたいと心から願うようになりました。
この信念、願いこそは110年に及ぶ歴史を刻み得た所以であり、時代を超えて貫いていくべき創業の原点と私は受け止めています。
君なりの葬儀屋を目指しなさい
〈井上〉
小学校を出て宮大工に弟子入りした祖父・英二は、手先が器用で家具や調度品を巧みに製作することから葬儀の祭壇や備品づくりの依頼を受けるようになり、20歳の若さで独立し葬儀屋を始めました。
地元では、倉敷市が葬儀を公益事業として手掛けていました。当時の事業規模は当社の5倍。事業の継続は並大抵のことではありませんでしたが、施主様の気持ちに寄り添い、心を込めて故人をお送りする姿勢を貫くと共に、地元における人脈づくりに努め、営業エリアを拡大することなどを通じて、皆様からの信頼を一つひとつ積み重ねていったのです。
しかしその過程で、祖父は享年70で他界。父が後を継ぎましたが、経営の苦労は絶えませんでした。ある日、弟と一緒に父の前に座らされ、「この家もどうなるか判らんから、おまえたちは好きな道を行け」と言われるほど窮状に陥った時期もありますが、あの疲れを滲ませた父の目は、いまも忘れることができません。
一方、若い頃の私は血気盛んで、高校時代は喧嘩に明け暮れ、謹慎・停学を繰り返すやんちゃ者でした。大学進学後は応援団を立ち上げ、団長として活動に没頭。自分の将来を決めかね、家業と真剣に向き合うことを避けていた私は、卒業後は海外で活動しようと考え、「ワシは葬儀屋を継がんよ」と父に伝えたことがありました。
家業を継ぐよう説得されると思いきや、父はポツリ、「葬儀屋はワシの代でええ。おまえは自分の道を行けばええ」と言いました。傍では、私が問題を起こす度に学校へ頭を下げにきてくれていた母が黙って俯いている。あぁ、自分は何と親不孝なことを言ってしまったのだろう。二人の寂しそうな姿に、慚愧の念で胸が張り裂けそうになりました。
高校の恩師を通じてご縁を賜り、生涯の師と仰いでいた後の臨済宗妙心寺派管長・山田無文老大師と、そのお弟子さんの河野太通老大師の元へ相談に伺ったところ、
「君なりのやり方で、いままでと違う葬儀屋を目指したらどうか」
とのお諭しを賜りました。私はこれまでの人生にけじめをつけるべく、無文老大師が住職を務められていた霊雲院で1年半ほど禅の修行を積み、井上葬具店に入社したのです。昭和46年、22歳の時でした。
葬儀屋からの脱皮を目指して
〈井上〉
入社当時は、家族を含めて従業員僅か5名の葬儀屋に過ぎませんでした。しかし、私は師よりいただいた「いままでと違う葬儀屋」という命題を心に刻み、社会から認められ、自分たちも誇りに思える会社を目指して仕事に邁進しました。
昭和50年には旧社屋が全焼する災難に見舞われたものの、旧弊を打開して生まれ変わろうとする決意は一層強固なものとなり、父から「おまえに任す」と背中を押され、36歳で社長に就任しました。
社長就任後は、綜合葬祭式場「エヴァホール」の開設、コーポレート・アイデンティティ(CI)の導入など、様々な施策を通じて葬儀屋から脱皮を図るべく変革を重ね、おかげさまで現在ではグループ年商40億円、社員250名を擁する儀礼文化企業へと成長を果たすことができました。
かねて新卒が入ってくる会社を目指してきた当グループは近年、岡山県の人気企業ランキングに名を連ねるようになり、優秀な新入社員が新しい感性で組織に刺激をもたらしてくれています。葬祭業は人間産業というスタンスの下、社員には礼(礼儀・礼節)、仁(お互いを理解し合う)、和(心の信頼関係)の基本姿勢を育むと共に、社員と直に語り合う社長塾を開催し、創業来貫いてきた不二一如の精神の共有を図っています。
かつて家業とは距離を置いていた私は、祖父や両親、師をはじめ、様々なご縁に導かれて当グループの経営を担ってまいりました。社会からいただいたご恩を些かなりともお返ししたいとの思いから、母校の関西高等学校等を運営する学校法人関西学園理事長や、倉敷商工会議所会頭を兼任し、地域貢献にも尽力してきた結果、令和2年の秋の叙勲において旭日小綬章受章という栄誉に浴することとなりました。このことで何より嬉しかったのは、名実ともに葬祭業界が社会に認められたことを実感できたことです。
社業と共に地域への貢献が評価され旭日小綬章を受章
昨今は少子化やコロナ禍等を通じて、葬儀葬祭に対する考え方にも変化が生じています。当社は、こうした変化を先取りして一層の革新を重ね、従来の葬儀葬祭の枠を超えた総合生活支援企業へと進化を図っていく一方で、今後とも創業の原点である不二一如の精神を堅持し、地域の皆様にとっての頼れるご近所さんであり続けたいと念じております。