〝最後の砦〟と呼ばれる脳神経外科医・上山博康氏が語った医師としての覚悟

多くの医者が「助からない」と匙を投げた患者さんを〝最後の砦〟として受け入れ、命を救い続けてきた脳神経外科医、上山博康氏。患者さんのために己のすべてを懸けて病気と闘い続ける上山さんに、師匠である伊藤善太郎氏の教え、医師としての原点をお話しいただきました。対談のお相手は、同じく日本を代表する脳神経外科医・佐野公俊さんです。

患者さんに命懸けで向き合う

〈上山〉

それで北大に戻って頑張っていた37歳の時に、ある難しい脳腫瘍の患者さんの手術を行うことになりましてね、その時に私は本当の意味で(師匠である)伊藤先生のバトンを受け取れたと思ったんですよ。

〈佐野〉 

どんな手術だったのですか。

〈上山〉 

その手術は、腫瘍に通じる内ない頚動脈からカテーテルを通して塞栓物質を流し込み、腫瘍を固めて壊死させるという特別な方法で行うことになりました。僕は塞栓物質が腫瘍以外の血管に流れ出さないようフライフィッシングで使う結紮(けっさつ)の仕方を応用して血管を縛ろうと思っていました。でも、術前検討会ではクリップで止める方法でやることに決まったんです。

〈佐野〉 

上山先生が主張したのとは違う方法でやることになった。

〈上山〉 

「分かりました。クリップでやりましょう」ということで手術に臨んだのですが、手術終盤に塞栓物質を注入していくと、4ccで1回止まったんですよ。かなり大きな腫瘍だったので、もう少し入るだろうとさらに注入したところ、2本のクリップが開いて全部脳幹に流れていってしまった。顕微鏡を見て、あっ、これはもう駄目だって分かりましたよ……

その瞬間、時間が停止して違う次元へ飛んでいったというか、目の前がクラクラして、自分がどこにいるのかも分からなくなったんです。脳裏には、手術前の患者さんの笑顔が浮かんでいました。

「俺には独り立ちできない子供が2人いるから、まだ死にたくないんだ。先生に任せるから頼むよ」

ただ最初はどうやって言い逃れをしようか、そればっかり考えていたんですね。ところが、そんな時、ふと伊藤先生の言葉が出てきたんです。

「患者は命を懸けて医者を信頼して手術台に上るんだ。おまえはそれになんて答える?」

〈佐野〉 

とても重い言葉ですね。

〈上山〉 

若い頃は伊藤先生の問いに答えられませんでした。でも、この時に先生の言葉の重さを本当に理解できたんです。それで、命懸けの信頼を寄せてくれた患者さんに言い逃れするようでは人間が駄目になると、ご家族に土下座して「私が失敗しました。許してください!」と泣いて謝りました。

すると、奥様は泣いたままでしたが、高校生のご長男が涙ながらに、「お父さんは上山先生のことが好きで、信頼して手術を受けると言いました。その先生が一所懸命にやったことだから、仕方がありません」と言ってくれて……。結局、訴訟にはならなかった。

それからです。上に何を言われてもノー、地位などのためではなく、患者さんの病気を治すことだけに専念しようと決めたのは。

〈佐野〉 

覚悟を決められた。

〈上山〉 

それから周囲と衝突することも多くなり、「上山が言うことを聞かない」と、うちのかみさんが上司に呼び出されたこともありました(笑)。ただ、そのことでかみさんも、僕が信念を持ってやっていることが分かり、「何があってもついて行きますから」と、応援してくれるようになったんです。


(本記事は月刊『致知』2022年11月号「運鈍根」より一部抜粋・編集したものです)

◎『致知』2022年11月号「運鈍根」には、日本の脳外科を牽引してきた佐野さんと上山さんの対談を掲載。本記事には、

「日本の脳外科の新たな道を切り開く」

・「事前の準備を徹底する」

・「脳外科医になって人々の命を救いたい」

・「人生を変えた運命の出会い」

・「努力をする者にのみ神の啓示がある」

・「厳しい道を選ぶことが運を招き寄せる」

・「上司に可愛がられる気骨ある人間になれ」

など、医の一道を歩む中でお二人が掴んだ人生・仕事哲学を余すところなく語り合っていただいています。本記事の詳細・ご購読はこちら「致知電子版」でも全文をお読みいただけます】

 

◇佐野公俊(さの・ひろとし)

昭和20年東京都生まれ。45年慶應義塾大学医学部脳神経外科入局。51年藤田保健衛生大学赴任。同救命救急センター長、藤田保健衛生大学医学部脳神経外科主任教授などを歴任し、平成22年同大学名誉教授、同大学医学部脳神経外科客員教授。総合新川橋病院副院長、脳神経外科顧問。日本脳神経外科学会理事・監事、世界脳神経外科連盟脳血管障害部門委員長など要職多数。12年、13年開発したクリッピング手術数でギネスブックにも登録。現在、主に川崎と名古屋で手術と外来を行っている。

◇上山博康(かみやま・ひろやす)

昭和23年青森県生まれ。48年北海道大学医学部卒業、同部脳神経外科教室に入局。55年秋田県立脳血管研究センターへ転勤。60年北海道大学医学部へ戻り、同部助手、講師などを経て、平成4年旭川赤十字病院脳神経外科部長に赴任。10年より同院急性期脳卒中センター長を兼任。24年より社会医療法人禎心会脳疾患研究所所長。

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