君子を目指せ小人になるな——北尾吉孝

このたび、SBIホールディングスの北尾吉孝氏が新刊『人間学のすすめ』を上梓しました。幼少期より中国古典で人生観、仕事観を培ってきた北尾氏。2023年には72歳となりますが、49歳の時に認識した天命のもとに人生を歩んできていると言います。そのことについて語った『致知』2008年10月号のインタビューを再掲します。

中国古典で錬磨された人格

〈北尾〉

かつて世界から称賛された我が国の豊かな精神文化が荒廃し、将来を担う多くの若者が確固たる仕事観、人生観を培うこともなく刹那的に生きている現状があります。

いまは学校でも家庭でも、人間について学ぶ機会がなくなっています。

しかし、社会に出て活躍するためには、人間というものの探求が不可欠であり、人は何のために生きるのか、何のために働くのかといった根本をしっかり身につける必要があると私は考えます。

昔の日本では、寺子屋などで中国古典の講義が行われ、四書五経などを通じて人間を鍛錬する環境が整っていました。そうした環境で若い時期から人物を練り上げてきた吉田松陰や坂本龍馬など、幕末の志士たちの言行には非常な深みが感じられます。

明治維新も、四書五経に裏打ちされた人間と人間社会に対する深い洞察によって成し遂げられたことは間違いありません。

偉大な足跡を残した先人が紐解いた古典は、いまの時代を生きる私たちにも大きな力を与えてくれるはずです。明快な指針の見出しにくいいま、確固たる人生観、仕事観を養い、よりよい人生を創造するためにも、ぜひとも古典を手に取り、心を養い、古典が説くところの“君子”を目指していただきたいのです。

幸いにして私は、江戸末期の儒学者・北尾墨香を先祖に戴く家系に生まれたことで、子どもの頃から古典は非常に身近なものでした。

父は私が幼稚園に上がる前から中国古典の様々な片言隻句を日常会話の中で使い、古典の世界へと誘ってくれました。何度も繰り返し言い聞かされるうちに、私は次第に中国古典に親近感を持つようになり、自ら様々な読書をするようになりました。

そこにある珠玉の言葉を反芻しながら、いかに生きるべきか、深く自問するようになったのです。

己を知ることの大切さ

私自身が中国古典から学んできたこと。そして、その学びを通じて培ってきた人生観は、大きく5つあります。

1つは、天の存在を信じる心です。

世の中には神を信じる人もいれば、まったくそういう存在を信じない人もいます。私は、特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、幼い頃から、人知を超えた何か大きな、根源的な力の存在を感じていました。

それはいつもご先祖様に手を合わせる父の後ろ姿を見ていたことが大きかったと思います。そしてその思いは、古典の勉強を通じて確信に変わったのでした。

大切なことは天の存在を認識した時に、人間がどう変わるかということです。

『大学』には「君子必ず其の独りを慎むなり」とあります。

人目のないところでも、天は自分を見ている。そのことを自覚して、独りでいる時を大切にすること、人目のないところでも人の道に外れたことはしない、人が見ていなくても自分を律していかなければならないということです。

このことを「慎独(しんどく)」といいます。

2つ目が「任天」「任運」という考え方です。

自分のやるべきことを精いっぱいやった上で、天に任せる、運に任せるという考え方です。

『論語』に「死生命有り、富貴天に在り」という言葉があります。

生きるか死ぬか、これは天の命である。金持ちになるか、貴い人になるかも天の配剤。すべて天に任せて精いっぱい人事を尽くす。それが成功すれば感謝をし、仮に思うような結果が得られなくてもそれは失敗ではない、そのほうがむしろよかったんだと思うことです。

天がそれでいいと判断してもたらされた結果だと思えば納得でき、余計なストレスが溜まることもありません。

3つ目が「自得」です。

人間はまず本当の自分、絶対的な自己を掴まなければなりません。『論語』には修己(己を修める)、知命(命を知る)という言葉がありますが、これを端的に言えば自得といえるかもしれません。

私が敬愛する碩学・安岡正篤先生は、「人間は自得から出発しなければいけない」と説かれています。

「人間いろんなものを失うが、何が一番失いやすいかというと自己である。根本的・本質的にいえば人間はまず自己を得なければいけない。人間はまず根本的に自ら自己を徹見する、把握する。此れがあらゆる哲学、宗教、道徳の根本問題である」

自分のことは、分かっているようで意外と分かっていないものです。『老子』にも、「人を知るものは智なり。自らを知るものは明なり」とあり、ソクラテスは「汝自身を知れ」、ゲーテは「人生は自分探しの旅だ」といっています。自分自身を知ることがいかに難しいことであるか、またそれがいかに重要であるか、古今東西を問わず、先人は説いているのです。

自分の天命は何か

4つ目は、天命を悟るということです。

『論語』に、「五十にして天命を知る」という有名な一節があります。

ここでいう命とは、絶対性と必然性を表します。自然科学は大自然の必然的、絶対的なるものを研究して科学的法則を掴もうとする学問です。他方、人間学は、人間を徹底的に究明して、必然的、絶対的なものとして最終的に到達するのが命です。

『論語』には「命を知らざれば、以て君子たることなきなり」とも説かれています。

自分の中にどういう素質があり、能力があり、これを開拓すればどういう自分をつくることができるかが、「命を知る」「命を立つ」ということです。

そのためには人間学を勉強し徳を修めなければなりません。それによって自分で自分の命を思い通りに支配することも可能になります。

逆にそうしなければ運に自分が支配され、宿命的存在、動物的存在、機械的存在になってしまいます。命を支配する君子となるためには、学び続けなければならないのです。

私は、49歳の時に自分の天命を悟りました。あの孔子でさえ天命を悟るのに50年という歳月を要したのに、自分のような浅学非才な者が49歳で天命を悟ったなどというのは、いささか面映ゆい気もしますが、少なくとも私は49歳の時に自分でこれこそ天命だと認識し、それに人生を懸けることを決意しました。

一つは、インターネットを用いて顧客中心のサービスを提供し、そのサービスを消費者、投資家に安く提供し、社会に貢献することです。

もう一つは、そうした事業を通じて、ともに働く者たちの経済的厚生を高めるとともに、事業活動によって得られた自らの資産を使い、恵まれない子どもたちのための施設をつくり、その子どもたちに私が父から受けたような徳育を行うことです。

何のために働くか。私は、人は天に仕えるために働くのだと考えています。天に仕えるとは、公に仕えるということです。公に仕え、社会に貢献することこそが、働くことの意味であると考えています。

5つ目は、倫理的価値観です。

古典を通じて、私自身の中に確立された倫理的価値感の中核となるのが、信、義、仁です。

信とは、こういうことをして人や社会の信頼を失うことがないか、ということです。義とは、正しいことを行うことです。仁とは、相手の立場になって物事を考えることです。

私は、この三文字に照らして事を処しています。それによって自分の考え方や判断がブレないように心がけているのです。

人間は、状況に振り回され、考え方がブレてしまいがちです。環境がどう変わろうとも、自分がひとたび正しいと信じたことを貫き通す。そういう人間になるために自己を磨くことが大切だと考えます。


(本記事は月刊『致知』2008年10月号 特集「心学のすすめ」掲載 北尾吉孝氏の「君子を目指せ小人になるな」より一部を抜粋・編集したものです)

◎『人間学のすすめ』
 北尾吉孝・監修 定価=2,000円+税

野村証券で“伝説の営業マン”として名を馳せ、ソフトバンク入社後は孫正義氏の懐刀として活躍。その後、SBIホールディングスを創業し、一大インターネット総合金融グループに育て上げた北尾吉孝氏の随筆集。

仕事や人生を通じて「いかにして身を修めるか」を一貫したテーマに置き、幼少期から慣れ親しんできた東洋古典を引き合いに現代社会の風潮を論じたり、自身のライフスタイルからリーダーとしての振る舞いや心構えを示唆したり、築き上げてきた仕事観・人生観を率直に語ります。

金融ビジネスの荒波を「常に主体的に渡り歩いてきた」という筆者渾身の100篇、344頁の大部。令和の時代を生きるビジネスパーソンに贈る珠玉の自己修養本です。

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◇北尾吉孝(きたお・よしたか)
昭和26年兵庫県生まれ。49年慶應義塾大学経済学部卒業。同年野村證券入社。53年英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。野村企業情報取締役、野村證券事業法人三部長など歴任。平成7年孫正義氏の招聘によりソフトバンク入社、常務取締役に就任。現在SBIホールディングス代表取締役会長兼社長。著書に『何のために働くのか』『修身のすすめ』(共に致知出版社)など多数。

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