2022年11月14日
一世を風靡したテレビ番組『料理の鉄人』の審査員として、「おいしゅうございます」のひと言で親しまれた食生活ジャーナリスト・岸朝子さん。2015年に91歳で旅立たれましたが、在りし日の姿を懐かしく思い出す方は多いでしょう。
月刊『致知』連載「生涯現役」ご登場時(2014年2月号)では、料理記者として休むことなく働いてこられた岸さんが、心の糧にしてきたという言葉についてお話しされています。ぜひ皆さんも触れてみてください
駆け出しの料理記者時代を振り返る
〈岸〉
大変だったのは戦後です。
戦争が終わると同時に職業軍人だった夫は職を失い、父の勧めもあって千葉に移り住んで牡蠣の養殖に携わりました。
――お父様と同じ道を歩まれようとしたと。
〈岸〉
でも数年間努力したのですが、どうしても事業を軌道に乗せることができませんでした。夫は養殖業に見切りをつけると同時に、今度は東京に新しい働き口を見つけて再び引っ越しです。
暮らし向きはかなり厳しくて、私も何かしなければと考えていたところ、たまたま主婦の友社の募集広告を妹が見つけてくれたんですよ。
「料理の好きな家庭婦人を求む」とあって、子供がいてもいいという条件だったので、これならと思って試験を受けに行きました。
もっともおなかの中にいた5番目の子供がかなり大きくなっていたので、いくらなんでも難しいかなと思っていましたけど(笑)。
――どのくらいの応募があったのでしょうか?
〈岸〉
300人くらいだったと思います。試験は書類審査、筆記試験と身体検査、そして実地試験があってどんどん振り落とされていきました。最終的には7名が残って、そのうちの一人が私だったんです。嬉しかったですね。
4月に入社してからすぐに出産だったので、初出勤はその年の8月1日。思い返せば、この日が50年以上続く料理記者としての第一歩となりました。
――記者としての力量はどのように磨かれたのでしょうか。
〈岸〉
素人でしたから最初は苦労しました。会社の決まり事として社員全員に日記を書かせていて、これが大いに役に立ったんです。
退社時に提出すると翌日朱筆で校正が返ってくるのですが、特に最初の頃は句読点の打ち方から行がえ、表現法などの指摘でページが真っ赤になっていました(笑)。その繰り返しの中で基本を覚えていきました。
時代は高度成長期にさしかかる頃で、家庭で手の込んだ料理をつくろうとする主婦や、花嫁修業で料理学校も大盛況だったため、カラーの料理本なども本当によく売れました。
だから仕事も次から次へと本当に忙しくて、料理学校で撮影の仕事がある日なんか、授業が終わってから始めるものだからほぼ徹夜でしたね。それが何日か続くともうふらふらで。
――日々体当たりで仕事に臨まれていたと。
〈岸〉
体重がガタッと落ちるくらい大変だったけど、この時期に料理記事の何たるかを学ぶことができましたし、一流の先生方や優れた調理人との交流によって料理記者として育ててもらうことができました。
『栄養と料理』編集長としてふるった辣腕
〈岸〉
主婦の友社で様々な本に携わるうちに、だんだんと病気と食事の関わりについて気になるようになりました。成人病や糖尿病など食生活の乱れによる病気が増えてきているにもかかわらず、かつて学んだ「病人をつくらないための食事」を全く活かせていないのではないかと。
――以前に学ばれた女子栄養学園での教えですね。
〈岸〉
実はちょうどこのタイミングで、大学に戻って雑誌『栄養と料理』の編集長になってほしいというお誘いを綾先生からいただいたんです。以前にも二度ほど誘われていたのですが、その当時は仕事に追われてそんなことを考える余裕は全くなかったんですけど。
でもこの時ばかりは凄く惹かれました。ただ、13年間記者として育ててくれた主婦の友社に受けたご恩を思うとなかなか踏ん切りがつかなくて……。随分迷ったのですが、綾先生の口添えもあって、当時の石川社長に了承いただいて大学の出版部に移らせていただきました。
――悩み抜いた末の決断だったと。
〈岸〉
だから新天地では思い切りやってやろうと思っていました。編集部員には、「やりたいこと」をどんどん提案するように促しました。やりたいことをしっかりと持っていなければいい仕事なんてできないのだから、自分たちのつくりたい『栄養と料理』にしようと呼び掛けたんです。
大学が出している雑誌だからどうしてもお堅い雰囲気があるので、少しでも遊び心を持たせたいと思って、婦人雑誌に倣って雑誌のサイズを大きくしたり、カラーページをふんだんに使ってイメージチェンジを図りました。
その土地その土地の暮らしぶりが伝わってくる「日本の食事」や、いまでは当たり前のように特集が組まれている、各地のうまいもの情報を集めた「おいしんぼ横町」などの新企画は大好評でした。
こうして「楽しくつくってたくさん売ろう」と頑張っているうちに、10万部だった販売部数が倍の20万部を超えるようになったんです。
(本記事は月刊『致知』2014年4月号 連載「生涯現役」より一部を抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。 ◇岸朝子(きし・あさこ)
大正12年東京府生まれ。女子栄養学園(現・女子栄養大学)卒業後、昭和30年主婦の友社に入社。その後、女子栄養大学出版部に移り、『栄養と料理』編集長を務める。54年エディターズ設立。平成5年テレビ番組「料理の鉄人」の審査員を務め、注目を集める。23年akオフィス設立。著書に『このまま100歳までおいしゅうございます』(東京書籍)など。平成27年逝去。