なぜ日本は近代化できたのか? 明治天皇が伊藤博文、山縣有朋らと築かれた濃密な人間関係

江戸から明治への大転換……世界の歴史でも稀な近代化を成し遂げた日本人。欧米列強が圧倒的な力を誇った時代に、アジアの一国がなぜこのように輝きを放てたのか? いま話題を集めている伊藤博文や山縣有朋をはじめ、有能な人材を開花させたのが明治天皇陛下でした。本記事では『致知』ご登場の三氏の語りから、明治時代が持っていたエネルギーの根源に迫ります。

日露戦争を勝利に導いた人物鑑識眼

岡田幹彦(日本政策研究センター主任研究員)
——『致知』2022年8月号より

〈岡田〉
明治日本が直面した最大の国難は、何といっても明治37〜38(1904~05)年の日露戦争である。

当時のロシア帝国と日本の国力には、横綱と幕下ほどの圧倒的な差があった。その国力差を跳ね返し、日本が勝利できた一番の要因は、やはり明治天皇のもとに日本人が一致団結して戦ったという精神的な要素が大きい。強い精神で国力差を補ったのである。

特に明治天皇の絶大なご信任を受けた二人の傑出した将軍・乃木希典と東郷平八郎の働きは格別であった。

1年かけてロシア太平洋艦隊を撃破した東郷平八郎が東京に戻った明治38年正月、宮中で新年宴会が行われた。その時、伊東祐亨海軍軍令部長が、「東郷も開戦以来一年、疲れたであろうから交代説が出ております」と申し上げたところ、明治天皇は急に顔色を変えられて、

「いかん、東郷を代えてはならぬ」

と東郷の面前で強く言われ、宴会後、山本権兵衛海軍大臣を呼ばれ、

「東郷を決して交代させてはならぬ」

と厳命された。

この深いご信任に感動・感奮した東郷は、「勝算はいかに」と心配される明治天皇に、「恐れながら誓って敵艦隊を撃滅しもって宸襟(天皇の御心)を安んじ奉ります」とお答えし、その通りロシアのバルチック艦隊を全滅させ、世界海戦史上空前の大勝を遂げたのである。それゆえ東郷はイギリスのネルソン提督を凌ぐ古今随一の海将として、現在に至るまで世界中から絶賛されている。

乃木希典は、日露戦争における最大の難戦である旅順要塞戦において、二度にわたる総攻撃に失敗し、多大な人的損害を出した。その主たる理由は、参謀本部が敵戦力を実際の3分の1ほどに過小評価し、乃木率いる第三軍に全く不十分な戦力しか与えなかったことにある。

しかし、事情の分からない国民の間から乃木批判の大合唱が巻き起こり、同じ長州藩出身の参謀総長・山縣有朋さえ、乃木を交代させるしかないと明治天皇にお伺いを立てたほどであった。

ところが、誰よりも旅順要塞戦の困難さを洞察なさっていた明治天皇は、「乃木を代えたら、乃木は生きておらぬぞ」、乃木で難戦苦戦しているなら他の誰に代えてもうまくいかぬと、あくまで乃木を信じられた。

乃木はその明治天皇のご信任に応え、息子二人が戦死するも、到底人間業とは思われない力戦死闘により遂に旅順を陥落させた。それは「千番に一番」、いや「万番に一番」の奇蹟的勝利であった。

こうして旅順を落としたことが奉天会戦、日本海海戦、ひいては日露戦争の勝利に繋がったのである。乃木と東郷を交代させていたら、日本はいま頃ロシアの植民地になっていただろう。

明治天皇の人物鑑識眼が日本を救ったのである。

日本近代化の支柱 明治大帝

新保祐司(都留文科大学名誉教授)&渡辺利夫(拓殖大学学事顧問)
——『致知』2020年1月号より

 写真右が渡辺氏、左が新保氏

〈新保〉
私は、明治天皇が日本の近代化・文明化に果たされた役割は非常に大きかったと思います。

昭和7年に起こった海軍青年将校を中心としたクーデター「五・一五事件」に関係した橘孝三郎という農本主義者が、神武天皇、天智天皇、明治天皇の三つの天皇論を戦後になって書いています。これは要するに、「神武創業」「大化の改新」「明治維新」が、日本史の最大の事件だというわけです。

その最大の事件の時に、人格的・能力的にも傑出した明治天皇というカリスマ的君主がいらっしゃったことは、日本にとって非常に素晴らしい幸福だったと思うのです。

その明治天皇がいらっしゃったことで、大久保利通や伊藤博文、山縣有朋、乃木希典といった人材が活躍でき、日本の近代化・文明化も成し遂げられた。ちなみに「大帝」と称されたのは明治天皇だけです。

どれほど優れた憲法や制度、組織がつくられたとしても、カリスマ的な存在がいない時代というのはね、やはり貧しいんですよ。

〈渡辺〉
明治天皇のカリスマ性、威厳が伝わってくるようなエピソードはありますか。

〈新保〉
私は明治天皇が大帝と称されたのは、ヨーロッパの絶対王政の君主のような存在であったからではないと思っているんです。

例えば、御前会議などで明治天皇がうとうとされると、横にいた山縣有朋がサーベルで床をボンと叩いた。

あるいは、明治天皇は西郷隆盛と相撲を取った、足音だけで乃木希典がやってくることが分かったというようなエピソードが数多く残されています。それはある意味、明治天皇が周囲からかけ離れた存在でなく、体と体でぶつかり合うというか、非常に人間的で親しみのある君主であったことを示していると思うのですよ。

そのような体と体がぶつかり合うような関係、人間的な深い信頼関係があったからこそ、明治天皇を中心軸に国家が一つに纏まることができたのだと思いますし、明治天皇が崩御された時、乃木希典が夫人と共に殉死するという道を選んだのです。

コラム|明治憲法誕生秘話

——『日本の偉人100人(上)』寺子屋モデル・著より

憲法草案は、総理大臣伊藤博文を中心に、若手の井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎の3人が加わって作成されました。時には神奈川県横須賀沖の夏島にカンヅメとなって没頭しました。4人がそろうと議論を始め、昼食も食べずに晩まで続けることもあり、夜もおおむね12時頃まで議論を戦わせました。

博文の案が激しい攻撃を受けることもあり、そんなとき博文は、「伊藤の三百代言(いい加減なことをいうやつ)め!」、「井上、おまえは腐儒だ!」と大きな声で叱ることもたびたびありました。

ところが翌朝になると、「昨日の問題は、まあ、君たちの言い分を認めよう」とあっさり折れたそうです。飾り気のない無邪気な博文の人柄がうかがえるとともに、4人が身分の違いを超えて、より良い憲法を目指して激しく議論に打ち込んでいた様子が伝わってきます。

草案作成で最も苦心したのは、憲法に日本の歴史や文化伝統をどのように取り入れるか ということでした。

欧米の憲法に基づく議会政治は、それぞれの国の伝統や歴史が背景にあり、キリスト教がそれを支える土台となっていることを、博文はヨーロッパでの憲法調査を通じて学んでいました。そこで博文は、天皇が国民の精神的支柱と仰がれてきたわが国の伝統を踏まえて、 皇室を憲法の土台にすえて草案を作成することにしたのです。

練りに練って作成された憲法草案は、明治天皇のご臨席のもとで開かれた枢密院で議論され、ついに明治22年2月11日、大日本帝国憲法として公布されます。翌23年には衆議院議員選挙が行われ、第一回帝国議会が開かれました。欧米以外の国では無理だと思われていた立憲政治(憲法に基づく議会政治)がアジアで初めてスタートしたのです。

第二次世界大戦後、アジアやアフリカ諸国が次々に独立して民主的憲法を持ちましたが、 多くの国がうまく運用できず、独裁国家に逆戻りしたことを考えれば、明治憲法と議会が一度も停止されることなく、立憲政治が続いたことは高く評価できるのではないでしょうか。その土台を築いたのが伊藤博文だったのです。

(伊藤の死後)松下村塾でともに学んだ友であり、明治の政界において良きライバルであった山県有朋は、伊藤の死を悼んで次のような歌を詠んでいます。

 かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

(現代語訳:一緒に真剣に語り合い、国のために尽くしてきた友は先だってしまった。今から後の日本の世の中を一体どうしたらよいのだろうか)


(本記事は『致知』2022年8月号 特集「覚悟を決める」2020年1月号 特集「自律自助」『日本の偉人100人(上)』〈寺子屋モデル・著〉よりそれぞれ抜粋したものです)

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【登場者情報】
◇岡田幹彦(おかだ・みきひこ)
昭和21年北海道深川生まれ。國學院大學中退。学生時より日本の歴史・人物の研究を続け、月刊『明日への選択』に数多くの人物伝を連載すると共に、全国各地で歴史講座や歴史講演会を行う。平成21〜22年『産経新聞』に「元気のでる歴史人物講座」を連載(103回)。著書に『親日はかくして生まれた』(日本政策研究センター)『日本の誇り103人』『日本の偉人物語1ー7』『日本の母と妻たち』(いずれも光明思想社)など多数。

◇渡辺利夫(わたなべ・としお)
昭和14年山梨県生まれ。慶應義塾大学卒業後、同大学院博士課程修了。経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授、拓殖大学長、第18代総長などを経て、現職。外務省国際協力有識者会議議長、アジア政経学会理事長なども歴任。JICA国際協力功労賞、外務大臣表彰、第27回正論大賞など受賞多数。著書に『神経症の時代 わが内なる森田正馬』(文春学藝ライブラリー)『士魂-福澤諭吉の真実』(海竜社)などがある。

◇新保祐司(しんぽ・ゆうじ)
昭和28年宮城県生まれ。東京大学文学部卒業。『内村鑑三』(文春学藝ライブラリー)で新世代の文芸批評家として注目される。文学だけでなく音楽など幅広い批評活動を展開。平成29年度第33回正論大賞を受賞。著書に『明治頌歌-言葉による交響曲』(展転社)『明治の光 内村鑑三』『「海道東征」とは何か』(共に藤原書店)など多数。

◇山口秀範(やまぐち・ひでのり)
(株)寺子屋モデル代表取締役。1948年、福岡市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、大成建設(株)入社。ナイジェリア、英国、米国など15年間にわたり海外赴任。1994年に帰国、国際事業本部企画管理室長。1996年、教育再生を志し、同社を依願退職。1997年、公益社団法人国民文化研究会理事・事務局長。2005年、福岡市に(株)寺子屋モデルを設立、大人向け・子供向けに偉人伝を語り聞かせる「寺子屋事業」を各地で展開している。

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